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第393回    小林幸子  
2003.12.21付紙面より

小林幸子
写真=超大物歌手、ド派手衣装、性格も少し怖かったりして…。取材前、緊張と不安で汗びっしょり。それがスタジオに入った途端、すべての不安が吹っ飛んだ。「かわいい」。しぐさ、笑顔がとてもチャーミング。シャッターを押しながら、思わず「さっちゃん」とつぶやいてしまった。「おちゃめなポーズ」のリクエストにも、笑顔で応えてくれた。決めた。大みそか、格闘技番組が話題沸騰中だが、私は紅白を見る。そして画面に向かって叫ぶ。「さっちゃん!」
(撮影・栗山尚久)

この人を見なきゃ1年が終わらない

 NHK紅白歌合戦での超ド派手衣装は、今では大みそかの風物詩となった。今年で芸能生活40周年を迎えた演歌歌手小林幸子(50)。10歳でデビューした天才少女は「第2の美空ひばり」と呼ばれたのが災いして、「おもいで酒」が大ヒットするまで、一家の生計を背負い、キャバレー回りをするなど長いどん底時代も経験した。ド派手衣装誕生の裏には小林の弱点克服という意外なきっかけもあった。


上がり症対策

 小林と美川憲一のド派手な衣装対決は、紅白歌合戦の目玉。小林は、わずか約3分間のステージのために、衣装の構想と制作に1年の大半を費やす。衣装チェックが最終段階に入るこの時期になると、小林への質問はいつも衣装ばかりに集中する。

 小林 「どんな歌を歌うんですか?」よりも「どんな格好ですか?」と聞かれることが多いですね。しょうがないですよ。NHK関係者も、紅白の終わった打ち上げの席で年が替わると「今年はどんなの?」と聞くぐらい。アハハハ。でも、私たちの仕事は、歌を聴いてもらうのは当たり前ですけど、いかに人を喜ばせ、楽しんでもらうことだと思うんです。サービス業ですから。期待されることはうれしいし、(衣装を)否定したら、自分の生き方も否定するようなことですよね。

 今年で歌手生活40周年を迎えたベテランだが、若いころはステージに登場する前に必ず極度の緊張に襲われる「上がり症」に悩んでいた。緊張を少しでも和らげようと始めたのが、派手な衣装だった。3回目の出場となった81年の紅白で、曲目は「迷い鳥」。鳥の羽を背中に付け、ステージで広げてみたら、大きな反響を呼んだ。翌年からド派手衣装路線がスタートし、今年で23年目となった。

 小林 紅白の本番になると非常口から逃げ出したくなるの。それで単純に喜んでもらえるかなって、面白がってやってみただけなんです。それからですよ。こういう手があったんだと気付いたのは(笑い)。審査員も衣装を見て「ニコッ」て笑うんです。冷静な気持ちで歌えましたよ。

 ドライアイスの滝、宙乗り、本番で失敗したが6万個の電飾、巨大な鳳凰(ほうおう)…。衣装の概念を超えた、数々の演出で紅白の話題をさらった。周囲の期待が大きいほど、それを上回る仕掛けでファンを喜ばせた。しかし、その都度、千万、億単位の制作費を投じてきた。これまでの衣装の管理費も加わり、衣装を維持するだけでも多額の費用がかかるという。

 小林 スタッフには「紅白の衣装にお金をかけなかったら、もう少しお金が残っているのにね」と言われるんです。笑っちゃうよね。アハハハ。でも歌い手にとって、紅白は一番の花舞台ですよ。デビュー16年目にしてようやくつかんだ紅白ですから、ズーッと出場していくためにも頑張らないといけないじゃないの。


第2のひばり

 9歳のとき、歌好きだった父に「東京見物に連れて行ってやる」と言われ、喜んで新潟から上京した。しかし、着いたのは、TBSの歌の物まね番組の予選会場。そこで、美空ひばりさんの曲を歌ってグランプリとなり、審査委員長だった作曲家・古賀政男氏にスカウトされた。64年に古賀氏作曲の「ウソツキ鴎」でデビュー。大作曲家が手掛けた10歳の少女歌手は、“天才少女”とはやし立てられ「第2の美空ひばり」とも呼ばれた。日本で最も有名な小学生となった。

 小林 まだ生まれて10年しかたっていない状況で、何がなんだか分からないですよ。古賀先生が手掛けたということでたくさんの大人が集まって。そこで初めて古賀先生はすごい人だと気付いたくらいですから。

 スポットライトを浴びた時間は長くは続かなかった。ある時から仕事がなくなってしまった。雲の上の存在だったひばりさんの母親喜美枝さんが、レコード会社に「第1の美空ひばりはいらないのね」と横やりを入れたといわれる。

 小林 デビューして半年間はすっごい忙しかったんですけどね。ある時、スケジュール表を見たら、その後は何もついてなく、それで何があったんだろうと考えました。周りの大人たちの態度も変わりましたよ。子供だから余計に感じるじゃないですか。そこから長かったですね(笑い)

 さらに不幸は続いた。デビュー間もない64年に新潟地震が起こり、実家周辺が壊滅状態となった。実家の精肉店は無事だったが、その後、経営は苦しくなり、小林が15歳のとき、店を閉じた。両親と2人の姉は、東京の小林のもとに引っ越してきた。仕事をほされている少女歌手の肩に、一家5人の生計がのし掛かった。

 小林 生きることは死ぬことより大変ですよ。歌の歌詞じゃないけど、歌うことは私にとって生きることだったんですよ。末っ子だったのがいつの間にか長女になり、大黒柱となり。15歳よ。反抗したけどしょうがないのよ。そういう星なんです。

 家族のために必死に働いた。年齢をごまかしてキャバレーのステージで歌った。ボーイに踊り子と間違えられることもしばしば。「小林幸子」から「岡真由美」と改名し、再起を図ったこともあった。出口の見えないトンネルをひたすら走り続けるしかなかった。

 小林 その時に「子供」ということを封印したんです。そうすると強くなるよ〜(笑い)。働く勤労少女だったから。悲しい、寂しい、苦しいとは思わない。大変なのは当たり前。すごい人生でしょ。アハハハ。

 10代後半から20代にかけての苦しい時期を支えたのは、天性の明るさと精神力だった。再び脚光を浴びるまでに15年を要した。79年、伊東の温泉ホテルで長期公演に出ているとき、B面で出した「おもいで酒」にヒットの兆しが見えた。

 小林 会社から電話で「『おもいで酒』が大阪の有線で1位のところがある」っていうんです。自分で電話で確認しましたよ。「だれが歌っているんですか」って聞いたら「小林幸子」と言われて。町を歩いていると全員が振り向くようになって。こういうことがあるんだなとつくづく感じました。一生忘れませんよ。

 「おもいで酒」は最終的に200万枚の大ヒット。人生を変える曲となった。


恋も聞いてよ

 どん底を経験した人ほど怖い物はない。不遇の時代を経験しているからこそ、ファンの笑顔にこたえたい。そんな中で昔から疑問に思っていたことがある。怒った顔をほとんど見たことがないのだ。

 小林 デビューしていろんなことがあったから。処世術として、子供なんだけど大人。大人なんだけど年は子供。大人の顔色を見ながら子供らしさを演出していた、嫌な子供でした。アハハハ。嫌なことには「あれー」ってとぼけたりね。

 「第2の美空ひばり」事件があったから、歌手を続けてこられたという。ひばりさんを尊敬こそすれ、恨むことはない。

 小林 あのまま挫折しなかったら、歌手はやってなかったね。これからはもっと「小林幸子」というブランドを磨きたい。歌だけでなく芝居も。すべてが「小林幸子」。歌手とか役者とかの枠を外して何でも挑戦したい。

 仕事の虫は今でも変わらない。たまに休みがあっても、あっちの劇場、こっちのホールと観劇を欠かさない。がむしゃらに働き、気付いたら2人の姉は結婚し、婚期は通り過ぎていた。

 小林 あっという間に通り過ぎましたね。うわさが出ても、すぐになくなりまして。でも恋はしてますよ、私だって。……(少しの沈黙を挟み)、誰も突っ込んでくれない。アハハハ。

 最後まで笑いが絶えなかった。紅白25回連続出場。数字が物語るように紅白にいなくてはならない大物だが、気さくさは昔のまま。

 小林 終わり? ありがとうございました。じゃあ、ご飯、食べにいこ。早く早く。え、まだ聞きたいことがあるの。やっぱり、その質問。しょうがないわね。

 と言いながら、教えてくれました。今年の衣装のテーマは「孔雀(くじゃく)」だそうです。


何があっても信用できる笑顔

 01年放送のNHK朝の連続テレビ小説「ほんまもん」で共演した風吹ジュン(51)  撮影で見せる幸子さんの笑顔は現場をさらに明るくしてくれました。撮影が入ってすぐに幸子さんのお母さんが亡くなり、2カ月後に根津甚八さんのお母さん、その2カ月後に私の母が亡くなりましたが、だからなおさら温かな人間関係が生まれたのかもしれません。何があってもあの信用できる笑顔。幸子さんの生きざまにみんな元気をもらって励まされ、キラキラ輝くステージに立つ姿にときめきを感じるのだと思います。その姿勢を守り続けるのは大変なこと。たまには自分にもご褒美をあげたらどうですか?


 ◆美空ひばり◆ 戦後の歌謡界を支えた国民的歌手。9歳の時に初舞台。代表曲は「川の流れのように」「リンゴ追分」「悲しき口笛」など多数。紅白歌合戦には57年から16年連続で出場。89年(平成元年)6月24日に心不全のため死去。享年52。同年、国民栄誉賞を受ける。


 ◆小林幸子(こばやし・さちこ) 本名同じ。1953年(昭和28年)12月5日、新潟市生まれ。63年、TBS「歌まね読本」でチャンピオンとなり、翌年デビュー。79年「おもいで酒」がヒット。レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞し紅白歌合戦初出場。83年5月に米ロサンゼルス、ブラジルで初の海外公演。87年、「幸子プロモーション」設立。ヒット曲「もしかして」「雪椿」「越後情話」など多数。映画は「男はつらいよ・拝啓車寅次郎様」(94年)などに出演。来年、新宿コマ劇場で座長公演「命抱きしめて」(3月2日初日)。趣味は観劇、スキューバダイビング。血液型A。


(取材・米村洋志)

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