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  インタビュー<日曜日のヒロイン>
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第429回    ミラ・ジョボビッチ  
2004.09.05付紙面より

ミラ・ジョボビッチ
写真= インタビュー中に写真を撮っていると、ミラが突然私を見つめ「カワイイ!」と日本語で言うではないか。10歳近くも年下の女性に「カワイイ」なんて言われると複雑な心境になったが、まんまとハートを射抜かれてしまった。私の心を撃ち抜いた彼女に、ガンマンが獲物を撃ち終えた後にピストルの煙を吹くポーズをお願いした。ミラは力強い視線と指でつくった「銃口」をこちらに向けてきた。2発目も、まともに食らってしまった
(写真と文・水谷安孝)

女優でモデルでミュージシャンで映画会社の経営者

 近寄りがたいほどの美ぼうの持ち主だが、実は気さくで笑顔もかわいい。華麗なスーパーモデル出身だが、実は移民として苦労した。ミラ・ジョボビッチ(28)。生活手段として9歳から始めたモデル業が、出発点だった。リュック・ベッソン監督(45)と出会い、プロ意識に目覚めてからは、ハリウッド映画の出演依頼がコンスタントに舞い込むトップ女優の1人に上り詰めた。そんなアメリカン・ドリームの軌跡とこれからを語った。


五輪選手並み

 「ハーイ!」。

 東京・六本木のホテルの一室に、気さくな笑顔を浮かべて入ってきた。ドキッ。左足の太もも深くまで入ったスリットから、美脚がのぞく。そして心の中で雄たけびを上げた。くっきりと見えてしまった。じっと見てはいけないものが、はっきりと透けていた。シースルーのドレスの向こうに、真っ白な下着が…。

 ミラは、主演映画「バイオハザードU アポカリプス」(11日公開)のキャンペーンのために来日した。演じたのは、街中にあふれたゾンビを倒し続ける特殊工作員。泥や血にまみれ、顔はほぼノーメーク。逆に全身傷だらけのメーキャップをほどこし、髪を振り乱して駆け回る。目の前のあでやかな姿とスクリーンのギャップは大きい。と、下着を気にすることもなく、早口で話し始めた。

 「私はあんなに強い人間じゃないわ。それでも私はいつも、演じたキャラクターの中に見いだした良さを自分の中に取り入れようとするの。今回は、何かを始めたら、ちゃんと最後までやり遂げるという点かしら。それから、厳しいトレーニングをしたけど、これはとてもいい経験だった。日ごろどうしようと頭を抱えているような問題や困難だと思っていたことが、トレーニングの後は大した問題に思えなくなるの」。

 トレーニングは撮影開始3カ月前から1日平均6時間。ミラいわく「五輪選手並みだと思うわ」というハードさだった。ブラジルの武術カポエイラもマスター。本番の撮影では、ロープ1本だけで、高さ18メートルからビルの壁づたいに走り降りるシーンも体験した。

 「映画で死ぬのは嫌だと思いました(笑い)。高所恐怖症なので、本当に怖かった。悲鳴は上げなかったけど、心の中では、どうしよう、どうしようって震えていたわ」。


教育ママ感謝

 もともと、スーパーモデルだが、その原点は、母親の教育にある。ミラは旧ソビエト連邦ウクライナの首都キエフで生まれた。父はセルビア出身の小児科医、母はロシアの人気舞台女優。経済的に苦しかった一家はモスクワ、ロンドンと移り、80年、ロサンゼルスにたどり着いた。ミラが5歳の時だ。

 「生活は何もない状態から始まった。学校では、名前も顔立ちも変わっているせいで友だちもできなかった。母は私に『いい本を読みなさい』『いい絵を見なさい』『いい音楽を聴きなさい』としきりに言いました。私を女優にしたかったのです。バレエ、ピアノのけいこ、ジャズ、歌のレッスン…。1週間、スケジュールがびっしりでした」。

 一家には、ルールがあった。「家族全員、平日は一生懸命働き、週末はゆっくり休む」。ミラも例外ではなかった。9歳でモデルとしてデビュー。11歳でイタリアのファッション誌の表紙に起用され、一流モデルの軌道に乗った。

 「仕事に疑問を感じて、反抗的になったこともあった。でも、家族全員が同じように頑張っていた。それぐらい頑張らないと米国では成功できないという強い信念を持った家族でした。今では母に本当に感謝してます」。


ロスで偶然に

 13歳の時、映画に初出演。その後も出演したが、深く考えたことはなかった。18歳だった93年、共演した俳優と結婚したが、同年離婚した。モデルの仕事は順調だったが、満ち足りていなかった。転機はベッソン監督の「フィフス・エレメント」だった。 。

 「ベッソンのファンだったこともあって、ニューヨークのオーディションに飛んで行ったの。5000人も候補者がいて落ちたんだけど、ロサンゼルスで偶然、ベッソンに会って、運命が変わったの」。

 ミラの情熱を受け止めたベッソン監督は、ヒロインに起用。破滅の危機を迎えた地球の救世主、不思議な言語を話す少女の役だった。

 「女優としても人間としても大きな転機でした。あの作品に出会うまで、あまり深刻に女優業を考えたことはなかったの。でも与えられたキャラクター、作品に対する思い入れ、監督に対する信頼感、そうしたものが、ものすごいパワーを発揮した。役に命を吹き込み、その存在に自分がなりきる。そして感じる。自分は変わったと実感しました。100%の覚悟で臨み、ベストを尽くしてすべてを出し切る。そういう経験をしてしまうと、まあいいや、とやりすごすことができなくなるんです」。

 映画は、カンヌ国際映画祭オープニング作品に選ばれ、難役を演じたミラは、世界から注目された。本格的な映画女優への扉が開いた。


家族作りたい

 バンドを率いてツアーも行うミュージシャンでもある。欲しいものは手に入れたように見えるが…。

 「ビジネスでいえば、友人とファッションブランドを立ち上げました。1人でも多くの女性を美しくしてあげたい。映画製作会社も持っているので、プロデュースもしてみたい」。

 恩人のベッソン監督とは97年に結婚。2年後に離婚したが、今も友人という。

 「尊敬しています。これからはいつも幸せでいたいし、心の安心、平穏を保ち続けたい。3度目の結婚? もちろん将来的には、家族と呼べるものをつくってみたい。私の母親のような母親になってみたいわ」。

 だが、パワフルに生きるミラに太刀打ちできる男は、簡単には見つるとは思えない。

 「バーイ」。

 ミラは右手を上げて、去った。後ろ姿に見とれていたら、正面から差し込んだ日の光が、ドレスに包まれた肢体のシルエットを浮かび上がらせた。下着はTバックだった。


 ◆バイオハザード2 アポカリプス 世界的ヒットゲームを原作にした02年公開作の続編。地下施設から生還したアリス(ミラ)が、ウイルスに汚染された巨大都市で再び戦う。アレクサンダー・ウィット監督


 ◆ミラ・ジョボビッチ(Milla Jovovich)本名ミーラ・ナターシャ・ヨコビッチ。1975年12月17日、ウクライナ生まれ。9歳でモデルデビュー。86年にイタリア誌「レイ」で表紙に登場。10年間で150誌以上の表紙を飾る。88年に「トゥー・ムーン」で映画デビュー。93年、俳優ショーン・アンドリュースと結婚も、同年に離婚。97年「フィフス・エレメント」に出演。同年ベッソン監督と結婚も、99年に離婚。00年「ジャンヌ・ダルク」02年「バイオハザード」などに出演。身長173センチ。


(取材・松田秀彦)

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