nikkansports.comホームへ

すべてのナビゲーションを飛ばす。コンテンツへ すべてのナビゲーションを飛ばす。コンテンツへ
共通ナビゲーションここから 共通ナビゲーションを飛ばす。サイト内検索へ 共通ナビゲーションを飛ばす。サイト内検索へ
記事一覧   スコア速報   スポーツカレンダー  最新ニュースをRSSで公開しています
サイト内検索ここから サイト内検索を飛ばす。ジャンルナビゲーションへ サイト内検索を飛ばす。ジャンルナビゲーションへ
サイト内検索 
Powered by Google 
click here!
ジャンルナビゲーションここから ジャンルナビゲーションを飛ばす。ページメニューへ ジャンルナビゲーションを飛ばす。ページメニューへ
nikkansports.com・ホームへ ジャンルナビゲーション
野球ページへ サッカーページへ スポーツページへ バトルページへ 競馬ページへ 芸能ページへ 社会ページへ ライフページへ
ページメニューここから ページメニューを飛ばす。コンテンツへ ページメニューを飛ばす。コンテンツへ
新聞購読の申し込みはこちら

click here!
芸能TOP
音楽ダウンロード
シネマ
占い−0学占星術
インタビュー
イベント/チケット
黛まどか
TV全国番組表
おすすめコンテンツ
  ブログ&コラム
  TV全国番組表
  コンピ指数
  ショッピング
  サッカーメルマガ
  プレゼント
  占い−0学占星術
  映像配信


地域情報
  北海道
  東北6県
  静岡
  なにわWEB
  九州

コンテンツここから このページの先頭へ戻るこのページの先頭へ戻る
芸能タイトル

  インタビュー<日曜日のヒーロー>
 過去のインタビューは、日刊スポーツ紙面(東京本社発行分)でもご覧になれます。
 ご希望の方は→紙面バックナンバー申し込み
 なお、WEB上では、紙面より1週間遅れでの公開となります。
第447回    平山相太  
2005.01.16付紙面より

平山相太
写真=大学選手権の試合後の撮影だった。試合後にもかかわらず、疲れたそぶりも見せず、記者の質問を熟考して、自分の言葉で答える姿が印象的だった。でも、まだ19歳。「前途洋々ってこういうことを言うんだなあ」と思いつつ、シャッターを切った
(撮影・蔦林史峰)

もっとデカく

 英会話、ピアノ演奏、子育てもしてみたい。もちろん日本代表入り、海外移籍も夢見ている。昨年、日本サッカー史上最年少で五輪に出場した平山相太(19=筑波大)。これまでほとんどインタビューに応じる機会がなかったが、胸には熱い思いを秘めている。現在、過去、未来…。国民の期待を背負う逸材が、等身大の自分について語り始めた。


仕事決めかね

 平山は今、部屋にテレビを置いていない。自分の弱さを知っているからだ。「あると、夜中にずっと見てしまいそうなんです」。アスリートとしての一線を保ちながら、学生生活を送っている。

 長崎・国見高から昨年4月に入学して以来、蹴球部の同期2人と共同生活。みそ汁をだしからとってつくることもあれば、外食に出掛けることもある。キャンパスには、柔道や陸上などサッカー以外の種目で世界のトップとして活躍する同級生がいる。そんな選手を見たり、知り合ったりすることが刺激になるという。

 −大学進学の理由は

 「プロでやる自信がなかったからです」。

 −でも、高校選手権で2年連続得点王を取ったほどの実力がある

 「練習や試合で、サッカーがたまに適当になってしまうんです。それでプロにいっても、毎日を120%の力で練習できないんじゃないかと思いました」。

 −メンタルが弱い

 「試合にかける気持ちが強いと声も自然に出て、プレーの1つ1つが集中できて、普段より力が出せる。でも、気持ちがないときは『こなす』って感じになるんですね」。

 −分かっていて直せない

 「なんでですかね。そういうのが分かっているので、サッカーを仕事にするっていうのは、ちょっと決めかねたんですね。プロに行ったら変われるのかもしれないですけど」。

 −メンタルを強くするためにはどうすればいいと

 「いい選手の悪いプレーを見ることですね。ああ、この人たちでもミスをするんだって思って(笑)」。

 −プロの方が、サッカーをやる環境はいい

 「そうかもしれません。でも大学では、サッカーだけじゃなく、別のこともできたらと思っています」。


フフフ理事長

 −進学してよかった

 「まだ分かんないですけど、良かったって言えるようにしたいです」。

 微妙に気持ちは揺れているが、軸足は大学に置いている。

 −授業は

 「結構面白い授業はありますよ。教育心理学とか、スポーツ哲学とか」。

 −ついていけてる

 「フフフ、要領よく」。

 −大学にいる間にやっておきたいことは

 「コーチングの勉強とか」。

 −いずれは指導者に?

 「はい。協会に入りたいです。理事長とか。フフフ」。

 04年。この年代では日本で最も忙しい男だった。1月の高校選手権で、母校を日本一に導いた。3年間で史上最多の通算17得点。入学時は動きが遅く、小嶺忠敏総監督から「キリンのようだ」と言われた男は、メディアから「怪物」と呼ばれるようになった。ジーコ監督率いる日本代表に入れるべきとの声も挙がった。

 2月には年齢的に1つ上のカテゴリー、U−23(23歳以下)日本代表に選ばれ、五輪予選を戦った。最年少の19歳2カ月で出場した8月のアテネ五輪を終えると、9月にはU−19代表に。大学リーグにも出場した。日の丸を背負って遠征した国は8カ国、公式戦と練習試合を合わせると50試合以上もピッチに立った。丸1年間、週に1度以上は試合をしていた計算になる。

 周囲はいろんなことを言う。「大学じゃ伸びない」「プロで鍛えるべきだ」。本人の耳にも入っている。

 −どう受け止めている

 「んー、そう言う人たちはみんな大学を出ているじゃないですか。オレのことを思ってくれているのかもしれないけど、自分にはそういう焦りはないっす」。


決めたら頑固

 日ごろから、大きなことは絶対に言わない。記者泣かせでもある。「本当はしゃべるんですよ。でも母ちゃんや兄ちゃんがずっとしゃべっているんで、オレが話す必要がなかった」といい、家でも口数は少なかった。その反動のように、ピッチに立つと、雄弁なプレーを見せてきた。

 サッカーを始めた小学生のころから、同世代で実力は飛び抜けていた。3年の時、6年のチームでプレーしたこともある。5年の時、コーナーキックはキッカーと合わせることで9割は得点できた。点を取りすぎて、上級生から嫌われた。

 「練習どこでやるんですかって聞いたら、もう来なくていいよって。びっくりしましたね」。

 FWをやるなとも言われ、家に泣いて帰った。「サッカーをやめる」と言いだし、2時間も涙が止まらなかった。そんな時、理解ある主将に助けてもらい、チームに戻った。そのころから今まで、常に年上の選手に混じる「飛び級」が当たり前。自然といじられキャラになってしまうのは、こんな歩みが影響しているのかもしれない。

 県外の国見高への進学は自分で決めた。中3の1月、15歳で北九州市の家を出て、転校。小嶺総監督宅で下宿生活を始めた。

 「スイッチが完全に切り替わった。サッカー漬けになりたかったんです」。

 −でも大学はサッカー漬けじゃない。心境の変化?

 「じゃないですかね。こうと決めたら頑固なんですよ」。

 もちろん、大学進学も決めたのは自分。決断した時、親にはこう話している。

 「大学サッカーは、高校のように華やかじゃない。でも、3年の終わりくらいに目立って、4年たったらプロになる。3年間は沈むよ。でも、しっかり蓄えて別人になるから」。


アドリアーノ

 最近は、同年代のチームに戻ると、リーダーとして先頭に立つ姿勢を見せ始めた。同時に野望も芽生えてきた。

 −海外移籍の夢は

 「今でも行けたら行きたいですけどね。でも、そのためにしっかり練習をしたい。大学は出たいです」。

 −日本代表は

 「やっぱ日本人なんで…。想像したりしますよ(テレビを見ながら)自分を入れてみて。ちゃんとやれるかなって。中田英のパスについていけるかなあって。どんなパスで、どんだけ速いのか分かんないですからね」。

 頭の中をここまで明かしたのは、初めてだ。「中田さん」や「ヒデさん」でなく、まだ「ナカタヒデ」。プロでやる自信がないと言いつつも、実はしっかり上を目指してもいる。これまで、好きな選手にはロナウドやジダンを挙げていたが、今のあこがれは、ブラジル代表のストライカー、アドリアーノ(22)。イタリア・セリエAで得点ランクトップに立つ大ブレーク中の選手だ。

 「アドリアーノはもう、やばいです。目標になりました。人間じゃないところが、格好いいです。すごいっすね、半端ないです」。

 この話題になると、声のトーンが突然変わった。携帯メールのアドレスは、打倒アドリアーノを意味する文字が並ぶ。大学に所属しながらも、アドリアーノ超えを目指すのだという。

 −今年6月で20歳。これからやりたいことは

 「ピアノとか英会話とか子育てとか。ピアノは今、マイブームです。いずれグランドピアノを弾きたい。英会話は常識として。遠征でもあまりしゃべれなかったから。子育ては、今すぐ結婚するわけでなく、単に小さい子が好きなんですよ。いろいろ教えたいし」。

 今も、平山の出場試合には、Jリーグの複数のスカウトが集まり、熱い視線を送っている。今年中には、特別指定選手として大学に籍を置きながらJリーグに出場する可能性もある。しかし周囲のかしましい声と対照的に、その言葉は落ち着いていた。「自分の人生? ここからだと思います」。


世界を知ってどう生かすかは本人の意識次第

 アテネ五輪日本代表を指揮した山本昌邦監督(46) 彼にとって04年は激動の1年だったと思います。すごく成長した1年であり、世界を知った1年でもあった。五輪で世界の怖さを知りました。それを今年どう生かすか。伸びる要素はまだ十分にある。本人の意識の問題でしょうね。大学のチームの中でみんなと一緒の気持ちを持っているようではダメ。高いところに意識を置いて、やってもらいたい。いや、やってもらわないと。意識が低ければ、このままダメになることだってあるんです。自分が責任と自覚を持って、どこまでできるか。難しいかもしれないが、彼ならできると思っています。


 ◆平山相太(ひらやま・そうた) 1985年(昭和60年)6月6日、北九州市生まれ。田原小2年からサッカーを始める。田原中から長崎・国見中へ転校し、国見高入学。2、3年時に選手権連続得点王。03年ワールドユース、04年アテネ五輪出場。現在、筑波大1年。家族は両親と兄。190センチ、81キロ。


(取材・佐々木一郎)

前のページへ戻る このページの先頭へ
日刊スポーツから | 広告ガイド | 会社案内 | 採用情報 | このサイトについて | お問い合わせ
  nikkansports.comに掲載の記事・写真・カット等の転載を禁じます。
  すべての著作権は日刊スポーツ新聞社に帰属します。