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2005.02.06付紙面より
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写真=朗らかで、少年のような語りぶりはテレビのままでした。実際に接してみて「品の良さ」もうかがえ「これが母性本能をくすぐるしゃべりなのかあ」と実感した次第です。寄席に女性客を呼ぶ、キーマンだと思います。寄席に若い女性が集まったら‥‥幸い、浅草演芸ホールは近所なので、そりゃ毎日でも行こうかと思ってます |
| (撮影・鈴木豊) |
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落語の頂へ、父・三平とは別ルート…それが親孝行
名前が人まで変えてしまうのか。3月に8代目林家正蔵を襲名する落語家林家こぶ平(42)。父は昭和の爆笑王・林家三平という大きな存在だったため、息子として自分の進むべき道に迷った時期もあった。しかし、落語界の大名跡「正蔵」襲名を決めてからの成長は著しく、古典の大ネタにも果敢に挑戦している。大名跡との格闘を楽しみながら、親しみある「こぶちゃん」流の正蔵を目指す。
精かんさ増す
こぶ平の顔つきが変わってきた。ぐっと引き締まり、精かんさを増してきた。9代目林家正蔵の襲名を発表したのは03年3月。正蔵という名跡は、7代目がこぶ平の祖父で、本来は父三平が継ぐところだったが、後の林家彦六が一代限りで50年から名乗り、81年に海老名家に返していた。
「2年もあるからと、最初はのんびり構えていました。でも、3月からの襲名に向けて、お練りのこと、披露興行で演じるネタのこと、襲名披露の後ろ幕、手ぬぐいなどを決めていくうちに、気持ち的にもバタバタとしてきましたね。体重ですか。75キロまで落としたんですが、披露興行までに5キロは減らしたい。身も心も引き締めて臨みたいですからね」。
落語界の人気者。期待もひしひし感じている。
「以前は、こぶ平が襲名するということで興味本位に聞いてくる人が多かった。でも今は『期待しているよ』『(披露興行で)どんな噺をするの』と言われるようになった。その期待に応えなくてはいけないと思っています」。
生まれも育ちも東京の下町、台東区根岸。3月13日には浅草公会堂でお年寄りを中心に無料招待の落語会を開く。
「感謝の気持ちです。僕が生まれた時に祖父の7代目正蔵は亡くなっていたんですが、祖母にはかわいがられ、おばあちゃんっ子でした。祖母の友達だった下町のお年寄りにはお菓子をもらったり、遊んでもらったり、育ててもらったようなものですから」。
伝統かつ新作
以前は一生懸命さが空回りしていた。しかし、正蔵襲名を決めたあたりから、腕を上げた。先日、聞いた「子別れ」はうまかった。名前が人を確実に変えた。
「正蔵の形とかを決めようかなと思ったんですが、やめました。一流百貨店の包装紙で包んでしまう気がして。伝統を守りつつ、攻めの姿勢を貫きたい。江戸時代までたどれる名前なので、代々やってきた『人情噺』『怪談噺』をやりつつ、山田洋次監督をはじめ他分野の巨匠と呼ばれる方とコラボレーションした新作にも挑戦したい」。
絶句から精進
6歳で高座に上がった。最初はちびっこ大喜利などで「小三平」だったが、入門した時に「こぶ平」を名乗った。以来28年、名前には愛着も深い。
「父から由来は聞いていないんです。げんこつもらっての『こぶ』なのか、小太りの『こぶ』なのか。父からは自分の名を大きくしなさい、と言われました。おかげさまで『こぶちゃん』と言われるようになった。目標の1つは達成できたと思います」。
実は、襲名の話はかなり以前に席亭(寄席のオーナー)から母親の香葉子さんに持ち込まれた。しかし香葉子さんは「正蔵は大きな名跡。まだそういう芸ではない」と断わった。
「5年前から根岸の三平堂で自分の会を行っているんですが、当初は客も少なく、15人ほどの前で演じている時に、恥ずかしい話ですが、絶句してしまったんです。それを後ろで聞いていた母は『申し訳ありません』と客の1人1人に頭を下げ、入場料の1000円をおやじの『どうもすいません』キーホルダーを付けて返している姿を見て『なんて親不孝をしているんだ』と猛省しました」。
その後の精進が母、師匠の林家こん平に認められ、2年前に襲名が決定した。父が一代で大きくした「三平」を継ぐという選択肢もあったが、あえて避けた。
「父のようにやっても、親孝行にはならないですから。自分なりのものは何だろうと考えた。古今亭志ん朝さんから『こぶは三平にはなれない。おれも(父の)志ん生にはなれないと思ったから(8代目)桂文楽を目指した』という話を聞いたんです。落語という山を目指すのに、父のようなルートではなく、古典の方からアプローチしていこうと」。
私はブリキ系
落語は孤独な仕事かもしれない。1枚の座布団に座れば、頼れるのは自分だけ。誰も助けてくれない。けいこも早朝の上野公園を2時間近く散歩しながら、ネタを繰り返す。
「今は襲名を前にストイックになっているのかもしれません。自分を追い込んで、落語と向き合っている。でも、僕はポキンと折れるタイプではないので。上の姉(海老名美どりさん)と私はブリキ系、次姉の泰葉(春風亭小朝夫人)と弟のいっ平はガラス系って言われます。ブリキ系は丈夫でたたいてもなかなか折れないし、たたきがいがあると。つくづく天才でなくて良かったと思います。僕は不器用で、ちょっとずつしか上がれない。でも、その上がるという行為がうれしいし、面白いんです」。
表札の白い跡
これまでタレントとしての活動が多かったが、正蔵になってからも、落語界だけに収まるつもりはない。
「人間が変わるわけじゃないですからね。いろいろな人にテレビでの、こぶ平のキャラクターをつくってもらった。たけしさん、所さん、ヒロミさんとかに。それぞれの方がみせるつかみ方、瞬発力、フリ、ボケ、かましなどが落語にも通じていて、勉強になります。正蔵になっても、こぶ平の血は騒ぐでしょうね。皆さんにかわいがっていただくのは変わらない。落語に興味のない方でも、テレビで正蔵を見て、寄席に行ってみようと思ってくれれば。今はお客さんの期待が一歩先に行っているけど、いつか逆転して、いいバランスになれば」。
小朝、笑福亭鶴瓶、立川志の輔、柳家花緑、春風亭昇太と「六人の会」を結成。大銀座落語祭など大きなイベントも行い、落語界を盛り上げようとしている。
「今は落語家がいっぱいいる。それをどうみせていくか。古典、新作の両方の落語家がそろって、いい状況になっている。テレビに負けないだけの人材がそろっています」。
正蔵襲名には別の感慨もある。
「稲荷町(林家彦六)に正蔵の名前を渡して『林家正蔵』の表札をとったら、門の表札のあったところが白くなっていた。祖母はそれを見てボロボロ泣いて『誰かまた正蔵の表札をかけてくれ』と話していた。孝行できたかな」。
小さいころ「大きくなって何になりたい?」と聞かれると「落語家」と答えていた。つらいことはいっぱいあったが、やめようと思ったことはなかった。2人の息子も「落語家になりたい」と言い、長男は「小ぶた」の名で高座に上がっている。
「けいこは小朝兄さんのところに通っています。私がキラキラしていないとね。おやじとしていい背中をみせていきたい。祖父や父がやってきて私の代で途絶えたら、お前がすてきじゃなかったから、息子が跡を継がなかったんじゃないかと、お小言をちょうだいしそうですから」。
こぶ平が「落語家になりなさい」と言ったことはない。しかし、祖父正蔵から父三平、こぶ平、そして息子へ。しっかりと落語家のDNAが引き継がれていく。
多少のリスクは当たり前…君は選ばれた人なのだから
義兄の落語家春風亭小朝(49)
なぜ、そんなに意地悪なことを言うの? 僕は一生懸命やってるのに。なぜ、イヤなうわさを流すの? それが真実じゃないことを知ってるくせに。どうして僕の顔を見てほほ笑むの? 裏の顔を隠しながら。
泰孝君、気持ちは分かる。君はこの3年間、ホントによくやった。けど、仕方ないのです。なぜなら、あなたは選ばれた人なのだから。多くの噺家たちが味わうことのできない至福の時を手にすることができる人なのだから。このくらいのリスクは当たり前です。
大丈夫、自分を信じて精進しましょう。君を求める人は、これからどんどん増えていきます。サンボマスターの歌のタイトルを借りるなら「そのぬくもりに用がある」。頑張れ、正蔵!
3月の襲名日程
◆パレードとお練り
3月13日に上野・鈴本演芸場前〜浅草・雷門〜浅草演芸ホール
◆襲名披露パーティー
3月16日に東京・帝国ホテル
◆襲名披露興行
上野・鈴本演芸場(3月21〜30日、夜席)新宿末広亭(4月1〜10日、夜席)浅草演芸ホール(同11〜21日、昼席)池袋演芸場(同21〜30日、昼席)。全国ツアーも予定されている。
◆林家こぶ平(はやしや・こぶへい)
本名海老名泰孝。1962年(昭和37年)12月1日、東京都生まれ。故林家三平の長男、祖父は7代目林家正蔵。77年、三平門下に入り、78年高校入学と同時に落語協会に所属。81年、二つ目に昇進。87年、真打ち昇進試験に合格し、88年に13人抜きで真打ち昇進。89年に浅草芸能大賞新人賞、91年に国立花形演芸大賞古典落語金賞を受賞。義兄に春風亭小朝、実弟に林家いっ平。実姉は峰竜太夫人で元タレント海老名美どりさん。
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