|
2005.05.08付紙面より
|
 |
|
写真=ソウルの街並みを背にたたずむハン・ソッキュ。一見、どこにでもいるナイスミドルだが、静ひつなまなざしと声は、接した人をとらえてやまない。名優のオーラとはこういうことをいうのだと思い知らされた。 |
|
|
 |
韓流の祖は不惑のオレ流
映画をあまり見ない人でも韓国の「シュリ」ぐらいは知っているだろう。その主演俳優がハン・ソッキュ(40)だ。95年の映画デビュー以来、出演作はことごとく国際的にヒット。現在、かの国の映画産業は隆盛を迎えているが、その礎をつくった男と言っても過言ではない。「すべてのシナリオが彼を通過する」といわれた絶頂期に突然、休養し、3年のブランクを経て、今またスクリーンに戻ってきた。
運転も自分で
いきなり驚かされた。待ち合わせしたソウルのホテルのロビー。セカンドバックを小脇に抱え、片隅にたたずんでいた中年男性が、ハン・ソッキュだとは全く気付かなかった。マネジャーも取り巻きも誰もいない。ホテルには、自分で運転してきたという。韓国でもほとんど取材を受けない超大物の第一印象は、拍子抜けするほど「普通のおじさん」だった。
−−いつも1人で行動するのですか
「1人の方が気楽だからです。運転もそんなに難しいことじゃないし。まだ若いし。あれ、もう若くないかな? まあ、ほかの人がしてくれると、窮屈に感じることもあります。以前と違い、韓国でも俳優にマネジャーがついていないのは珍しくなりましたけど」。
−−マネジメントなども全部自分でするのですか
「仕事は全部自分で決めて、スケジュール管理します。マネジャーの最も大切な仕事は、俳優として歩いていく道をつくってくれること、俳優の演技感を大事にしてどうしたら生き残れるか考えることです。その部分を自分でやっているわけで、悪くいえば独断的かもしれませんね。でも俳優生活を始めた時からずっとこの形だから、すっかり慣れてしまった。どこかに所属していると不便さもあります。映画の仕事だけに専念しているから、それほど忙しくないし、不便には感じませんよ」。
1男2の父女
このスタイルで仕事を続け、韓国映画を一気に世界標準に押し上げた。出演作は国内の数々の記録を塗り替え、特に98年「八月のクリスマス」99年の「シュリ」と「カル」は、日本をはじめ国際的にも高い評価と成功を獲得した。90年代後半は文字通り独壇場で「韓国のすべてのシナリオはハン・ソッキュを通る」とまでいわれた。まぎれもなく1つの産業を1人で動かしていた。ところが「カル」の後、3年間もの休養に入った。業界は衝撃に包まれた。
−−なぜですか
「多くの作品に出て、疲れた時期だったんでしょうね。なぜ映画をやるのか、また映画以外にも何を望んでいるか、ということを、自分に問い掛けてみたかったんです。最初から3年休もうと思っていたわけではないんです。あれこれ考えているうちに長くなってしまいました」。
−−何をしてましたか
「以前は趣味といえば釣りと散歩ぐらいだったけど、スキーとゴルフを習いました。この時期に結婚もしたし、個人史の中では最も大切な子供がたて続けにできて(1男2女)、多くの時間を家族とすごすことができました」。
−−3年間で得たものは
「人生をやり直すのなら何になりたい? と聞かれれば、プロゴルファーになりたいです。常に自分を磨いて、管理して、訓練・努力していく。そして精神的な力がないと自分を支えきれないスポーツだと思います。この点が魅力です。別の世界に触れられたこと、趣味の範囲が広がったことは、人生の大きな収穫だったと思います」。
−−不安はありませんでしたか
「てんびんにかけると、得たものの方が多いといえます。俳優は登場しないと観客に忘れ去られてしまいますが、私の場合は俳優を辞めたわけではないので、気にしませんでした。俳優の仕事以外にやることが増えたことは、すごくよかったと思います。自分勝手な考え方ですが、自分の人生で一番大切なのは、自分自身なんです。次に家族、将来家族になる人たち。結婚前は自己完成のために生きてきたけど、今後は3人の子供の道案内をしていきたい。でも今の環境をつくってくれたのは、観客のみなさんです。この映画はいいねと思ってもらう欲もあります。何とかお返ししていきたいと思っています」。
妻とラブラブ
1人の人間としてかけがえのない時間をすごした後、スーパースターは02年製作の「二重スパイ」からスクリーンに復帰。昨年韓国で公開された「スカーレットレター」で完全復活した。1人の男と3人の女の愛憎劇だ。
−−出演作をどう選んでいるのですか
「シナリオが最も重要です。次に監督、製作会社の代表の順ですが、その人がどんな映画観を持つのか、製作環境はどうなのかを考えます。すべてがうまくいった上で撮影に臨みますが、現場で一番大切になるのが共演者。どんなスタッフなのかも重視します」。
−−「シュリ」のカン・ジェギュ監督もそうでしたが、新人監督の作品に積極的に出ています
「新人監督と組むのは『グリーンフィッシュ』(97年)以来、意図してきたことです。新しい精神を持った人の映画に私が出る、といった流れが出てきた。『コリアン・ニュー・シネマ』を目指したいと思っています。ヌーベルバーグなどと同じことです。ずっとそれを考えてきたし、私の出た映画が『コリアン−』といえるのではないかと考えています」。
−−「スカーレットレター」出演を決めた理由は
「中年の愛を描いた作品に出たい、と思っていた時に話をいただいたからです。不倫をモチーフに、完ぺきな生活を守れると自信を持っていた男が、一瞬にしてすべてを失うというところが気に入りました。ちょっとしたことで現実でも起こりうるのではないかと。男女を問わず、自分を振り返ることができるよう演じました」。
−−自己中心的な男を演じ、イメージが壊れることに抵抗はありませんでしたか
「次にどんな演技を見せてくれるのだろう、と観客が気になるのがいい俳優。だからいつも違う姿や作品を見せていきたいな、と思うんです。演じた男が、私と違う姿を持っていたことも魅力でした。もちろん妻との愛は完ぺきだと思っているので、ほかの人と恋愛したいという気持ちは全くないんですけど」。
穏やかな笑みが消えたのは、2月に自殺したイ・ウンジュさん(享年24)について触れた時だった。愛人を演じた「スカーレット−」が遺作となった。じっと考え込んでから、重い口を開いた。
「完成度の高い演技をしていました。いつかウンジュの時代がくると思っていました。90年代、私もそう言われていた。本当に残念で無念で…。人生の中で、仕事は大したものでないと思うことがある。人生で何を求めて生きているのか、分からなくなることもある。私だってすべて消えてほしい、と思うことがある。う〜ん…。俳優は永遠にフィルムに残る、祝福された職業です。たとえいなくなっても、映画は未来の観客のもとで永遠に残っていく。だから慎重に仕事をしていけば、やりがいも感じられると思う。とにかく、今の観客の記憶からは少しずつ消えていくでしょうけど、私の記憶には彼女はずっと刻まれています」。
宮崎アニメ
定評ある演技力は、声によるところも大きい。スクリーンではどんなに過激な役柄でも、低く静かに通る声で見る者に不思議な安心感を与えてきた。肉声を聞いて、その思いを強くした。韓国語を理解できなくても心地よく、思わず聞きほれてしまう。最初は声優として芸能界に入った。
−−すてきな声ですね
「声は持って生まれた資質です。ぜひ声優として宮崎駿監督のアニメに出てみたい。数カ月前、子供と『となりのトトロ』と『風の谷のナウシカ』を見ました。老若男女が楽しめる宮崎監督のアニメが好きです。宮崎アニメに韓国人役が必要なら、ぜひ参加させてください」。
−−現在の韓流ブームをどう思っていますか
「最近、日本のファンから『見ていると亡くなった父を思い出す』という手紙をもらいました。全然予想していなかったところで、この仕事はやりがいがある、と感じさせてくれるのが、まさに日本などアジアで自分のことを紹介していただくことなんです。良好な日韓関係を築く上で、俳優や映画、ドラマが非常に大きな役割を果たしているのではないかと思います。韓流ブームという舞台の中で活動できることがとてもうれしいし、肩の荷も重くなりました。応援してくれる人たちの期待を裏切らないよう、いい映画を通して、頑張っている姿をお見せしていきたいです」。
口調は日本語ならば間違いなく「です、ます」調。その言葉には、スーパースターという位置にあぐらをかかず、自分にも仕事にもとことん誠実に生きているという自負がにじんでいた。
丁寧で温和
「シュリ」「スカーレットレター」などの配給を手掛けたシネカノン代表の李鳳宇(リ・ボンウ)氏 初めて会ったのは、99年の東京国際映画祭で「シュリ」を上映した時でした。人格者というか、丁寧で温和な性格を感じました。とにかく優しい人。私の知人が韓国に遊びに行った時も、わざわざ車で迎えに来て案内してくれたそうです。韓国では単に演技がうまいとか、ハンサムということだけではスターになれません。優秀な演技者であると同時に、人間的にも魅力がなければ観客に受け入れられない。そうした意味でもハン・ソッキュさんはまさに韓国を代表する俳優です。
◆ハン・ソッキュ(韓石圭) 1964年11月3日、ソウル市生まれ。東国大演劇映画科卒。90年KBS声優採用22期生。91年MBCタレント採用20期生。同年「われらの天国」で俳優デビュー。95年「ママと星とイソギンチャク」で映画デビュー。2作目「ドクター・ポン」(95年)で初主演。代表作は「グリーンフィッシュ」(97年)「八月のクリスマス」(98年)など。177センチ。血液型AB。
|