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2006.01.15付紙面より
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写真=雪組のトップスター朝海ひかる |
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(撮影・田崎高広) |
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あふれる宝塚愛
ベルばらイヤーが幕を開けた。宝塚歌劇団の代表作「ベルサイユのばら」。5年ぶりの再演で、タカラジェンヌなら誰もがあこがれる男装の麗人オスカルを雪組トップスター朝海(あさみ)ひかるが演じる。宝塚音楽学校受験まで宝塚を見たことがなかったが、ダンステクニックとキュートな容姿で人気となり、トップスターに上り詰めた。今では「宝塚の男役に誇りを持ちます」と宝塚愛にあふれている。
思わぬ合格
遅咲きのスターだ。91年に初舞台を踏んだが、初めて単独で主演したのは00年。それも「凱旋門」役替わり公演で、たった1日の主演だった。トップスター(注1)候補生は新人公演(注2)で主演するのが慣例だが、朝海はその経験がないままに、02年に雪組トップスターになった。
「焦りとかは全くありませんでした。下級生のころは、ただ踊れたら、歌えたら、芝居ができたら、それでいいという感じで、舞台が楽しかった。少人数の場面で踊ったり、少しのせりふを与えられただけでうれしかったから」。
実は受験するまでは1度も宝塚歌劇団(注3)の舞台を見たことがなかった。生まれは仙台市で、宝塚に触れる機会はなかった。しかし、小さいころからモダンダンスやクラシックバレエを習い、踊ることが大好きな少女だった。そんな朝海に、高校の音楽教師が「バレエを生かした職業がある」と薦めたのが、宝塚音楽学校(注4)受験だった。
「将来は語学を学んで客室乗務員になりたいと思っていたんです。だから、受かるつもりもなかったので、後々の話にもなればと思って受験しました」。
しかし、結果は合格。2次試験で兵庫県宝塚市にある宝塚歌劇団に行った時に見たのが宝塚初体験だった。
「なんて華やかな舞台なんだと驚きました。それまではもっと規模の小さいところかと思っていたので」。
思わぬ合格に、仙台に帰って、3人兄妹の末っ子の進路をめぐって家族会議が開かれた。
「父の中では、宝塚では規則正しい生活を送ることができて、花嫁修業にいいみたいな思いがあったようです。反対もなく、せっかく合格したのだからと、家族全員が後押ししてくれました」。
2年間の音楽学校生活は分刻みでレッスンづけの毎日。約50人いる同期には春野寿美礼(現花組トップスター)、安蘭けい(現星組2番手)、花総まり(現宙組娘役トップ)ら実力派がそろい、入学するまでにダンスやバレエの経験しかなかった朝海の成績は、低空飛行だったという。
「中の下あたりですね。春野や安蘭ははるか上位にいました。だから、彼女たちは雲の上の存在でした」。
死ぬほど練習
しかし、ダンスでは早くから注目される存在だった。94年ロンドン公演には最下級生で選抜された。弁当手配の雑用など初めての経験で楽しかったという。地道な努力で実力をつけるうち、転機になる舞台が訪れた。98年にミュージカル「エリザベート」で、皇太子ルドルフに抜てきされた。
「本公演であんなに大きな役をいただくのも、1曲を歌うのも初めてのことで、毎日死ぬほど練習しました。それまでは私の辞書に歌という言葉はなかったんですが、それからは火がついて、歌も必死でやり始めました。役を掘り下げること、1つの作品の中で責任ある役を演じきることを学んだ気がします。自分の中で1つの階段を上ったという感じでした」。
02年には轟悠主演「風と共に去りぬ」でスカーレット・オハラを演じた。初舞台から男役だったが、細身でキュートな容姿から、ショーでは女役で踊ることも多かった。轟バトラーの相手役として、力強いヒロインの大役をこなし、真価を周囲に印象付けた。
「ビビアン・リーの映画を100回ぐらい見ました。自分を洗脳させたんですね。私はのめり込む性質なので、いったんのめり込むとほかのことに目がいかなくなってしまうんです」。
02年に雪組トップに就任したが、その時、歌劇団上層部に「私がなってもいいんでしょうか」と何度も聞き返したという。
「私の前は絵麻緒ゆうさんでした。でも、1作で退団されたので、次のトップはほかの組から来るのかなと思っていたら、私にと言われて…。トップになるという考えがなかったので、ついその言葉が出てきてしまったんです。でも決まってからは、前に突き進むしかないと覚悟を決めました」。
毎回、何十倍もの高い競争率で「東の東大、西の宝塚」とも言われる難関だが、晴れて入っても、トップスターになれるのは、同期約50人中で1人か2人という厳しさ。就任から4年。定評あるダンスはもちろん、全編歌い上げた「スサノオ」公演の成功など、歌唱力も安定した人気トップに成長した。
「組子(注5)、スタッフ、お客さまに支えられて、ここまでやってこられた。人の優しさ、愛を感じます。トップスター1人の力では舞台は成り立たないですから。私に夢を見させてくれた宝塚、いろいろな出会いをくれた宝塚のために、少しでも役に立てればと思います」。
「無趣味です」
宝塚大劇場で上演中の星組「ベルサイユのばら〜フェルゼンとマリー・アントワネット」(注6、東京宝塚劇場2月10日初日)では、元日から3日間だけオスカル(注7)を演じた。
「プロローグで銀橋(注8)に出た時のお客さんの顔が普通の公演とは違っていました。『ベルサイユ−』を待っていたんだなとすごく感じました」。
現在、雪組「ベルサイユのばら〜オスカル編」(宝塚大劇場2月17日初日、東京宝塚劇場4月7日初日)のけいこ中。オスカルはタカラジェンヌ(注9)なら誰もがあこがれる役だが、実は以前、朝海を女役に転向させる話が浮上した時に、「ベルばら」の脚本・演出を手がける植田紳爾氏が待ったをかけた。「コム(朝海の愛称)にオスカルをやらせる夢がある。それまで転向させない」と。待望のオスカルの誕生となる。
「初舞台は『ベルサイユ−』だったので、オスカルをやらせていただくのはこの上ない幸せで、光栄です。オスカルは熱血漢でナルシシスト。その人間性をアピールしていきたい」。
以前、けいこ後に同期の仲間と3人一緒になったものの、けいこ疲れのため、会話を交わす元気もなく、携帯メールでやりとりをしたというエピソードも残る。タカラジェンヌというと華やかイメージがあるが、その生活は舞台に集中するためストイックですらある。たまの休みも出かけることなく、家にいることが多く、飼っているチワワ2匹に癒やされる毎日という。
「無趣味ですね。家でボーッとしているのが好きなんです。『私は休んでいるんだ』と体に言い聞かせながら、体力の回復に努めます。食事も3食きっちり食べて、朝は必ずエネルギーの出るご飯にしています。簡単で栄養が取れるから、みんなが集まるときは、しゃぶしゃぶや寄せ鍋など鍋料理が多いですね」。
最近のトップスターの平均的な在任期間は4〜5年。トップになった人は、その瞬間から辞める時期を考えるという。
「私はまだ考えたこともありません。でも、先輩におうかがいすると、ある時、頭の中で鐘が鳴るんだそうです。カラン、カランって。まだ、鐘の音は聞いていないので…」。
朝海がスカートを買う日はまだまだ遠そうだ。
▼注1 トップスター 主演する男役のことで主演男役ともいう
▼注2 新人公演 主に研7(入団7年目)以下の生徒が大劇場公演の演目を演じる
▼注3 宝塚歌劇団 阪急電鉄の創始者小林一三氏が13年に結成した宝塚唱歌隊が前身。14年に少女歌劇団となり、40年宝塚歌劇団に改称。花、月、雪、星、宙(そら)の5組と専科がある
▼注4 宝塚音楽学校 歌劇団の生徒を養成する学校。予科1年、本科1年の2年
▼注5 組子 各組を構成する生徒のこと
▼注6 ベルサイユのばら フランス革命を題材にした池田理代子さんの劇画を74年に初めて舞台化。宝塚の代表作で、これまでの上演回数は1500回を超え、観客動員は約360万人
▼注7 オスカル 伯爵家の六女だが男として育られる。マリー・アントワネットの護衛だったが、フランス革命で民衆側につき戦死
▼注8 銀橋 オーケストラボックスと客席の間にある通路状の舞台
▼注9 タカラジェンヌ 宝塚とパリジェンヌを掛け合わせ宝塚の生徒につけられた呼称
「ベルサイユのばら」の脚本・演出家で前宝塚歌劇団理事長の植田紳爾氏(73) 宝塚の男役スターには男っぽい男役と、少年っぽく初々しい男役の2つの系譜があるが、コムは後者ですね。都会育ちの子は売り込むというか、目立つことが上手だけれど、地方生まれのコムはけいこ場でも目立たず、地味だった。人を押しのけてでも出ていくことがない子だったので、実力がありながら、主演に恵まれなかった。でも磨いたら絶対輝くとは思っていました。与えられた役では必ず結果を出したけれど、その裏には大変な努力があったと思う。ハンディを乗り越えて、今、花が咲いたんだね。
◆朝海(あさみ)ひかる 1月24日、仙台市生まれ。宮城第三女子高卒業後、宝塚音楽学校に入学。91年に宝塚歌劇団に入団。92年花組に配属され、98年宙組に異動。99年雪組に組替えとなり、02年に雪組トップスターに。娘役トップ舞風りらとコンビを組む。代表作「春麗の淡き光に」「スサノオ」「青い鳥を捜して」など。地元仙台の銘菓「萩の月」のCMにも出演。168センチ。愛称はコム(本名に由来)。
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