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本紙記者コラム「見た・聞いた・思った」
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2005/01/16付紙面より 過去のコラム一覧へ

12月8日という偶然

スポーツ部 永井孝昌記者

Q. 力道山。

 ジョン・レノン。

 ダイムバッグ・ダレル。

 共通点、分かりますか?

 1963年12月8日、プロレス界の父は、刃に倒れた。赤坂のキャバレー「ニューラテンクオーター」で、暴漢に刺される。犯人は、当時25歳の男性。すぐに病院に運ばれたものの、1週間後の12月15日、息を引き取った。享年39。あれから42年、池上本門寺に眠る日本プロレス界の父の前で、今年の節分もきっと多くのプロレスラーが豆をまく。

 1980年12月8日、ジョン・レノンはニューヨークの自宅アパート「ダコタハウス」前の路上で、射殺される。犯人は、狂信的ファンの当時25歳の男性。「I’m shot…」の言葉を残し天に召されたレノン、享年40。ビートルズが生んだ数多の音楽は永遠でも、凶弾が放たれたあの日から、4人は永遠にそろうことはない。

 そして、2004年12月8日。へビーロック界の革命児ダイムバッグ・ダレル(本名ダレル・アボット)は、「DAMAGEPLAN」のギタリストとして米オハイオ州コロンバスのライブハウス「アルロサ・ビラ」のステージに立った。演奏開始直後。会場にいた男が突じょ、持ち込んでいた銃を乱射した。ダイムバッグは、銃弾をまともに浴びて即死。享年38歳。駆けつけた警官に射殺された犯人は……25歳の男だった。

 彼の死を知ったのは、出張中だったマレーシアからの帰りの飛行機の中だった。帰国して見た友人からの「ダイムバッグが死んだ…」というメールが、ウソであってほしいという願いを打ち砕いた。92年に初めて彼の音楽に接し、とりつかれてから、12年。悲報を聞いたその日からステレオに入れたままの代表作「COWBOYS FROM HELL」を聞くたびに、いまだ彼の死を受け入れることができない自分がいる。

 日本プロレス界の創始者を、ロック界に2度と現れることのないだろう天才を思い続けるファンと同様に、彼の存在を、90年代ヘビーロックに革命を起こした彼の音楽を風化させたくないと強く思う。知名度は、前述2人に比べるべくもない。それでも葬儀から1カ月たった今、もう1度多くの人に、奇遇で、不遇な最期を遂げた素晴らしいギタリストがいたことを記憶にとどめてほしいと、心から願う。

 12月8日という偶然。25歳という不可思議。その理由をオレは知らないし、必要以上に知りたいとも思わない。日本で初めて日刊の新聞が発行されたのも1870年のその日だったと、彼の死後に知った。彼と同じ8月20日に生まれながら一向にギターがうまくならなかったオレは、今はただ、何ともいえないやりきれなさを抱きながら今日も新聞社で働いている。

 R.I.P. ダイム。安らかに眠れ−。

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   column@nikkansports.co.jp
永井孝昌(ながい・たかまさ)
 新潟県加茂市出身。93年入社。北関東支局勤務を経て、97年からスポーツ部でサッカー担当。5年間のプロレス担当の後、03年11月からサッカー担当に復帰。34歳。
永井記者の写真

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