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2005/01/17付紙面より
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寒さの痛みが連帯感
編集部 上野耕太郎記者
日本ハムが北海道移転の2年目を迎えた。選手は札幌の室内練習場や千葉・鎌ケ谷の球場などで自主トレを開始している。東北には楽天が誕生し、移転の「先輩」ダイエーはソフトバンクに名前を変えた。そんな中、冷静に振り返って見て、日本ハムの移転元年は大成功だったと思う。
チーム統轄本部長の島田利正氏に成功の要因を1つだけ挙げてほしいと尋ねた。島田氏は昨年末まで戦略室長で、数々の仕掛けを提供した人物だ。その島田氏は考え込み一言、「道民」と答えた。「そこそこ初年度はやれるだろうとは思っていたんですよ。ただ、3月1日と4月2日を見て正直、驚いたんです」。
昨年の3月1日とは日本ハムナインが沖縄から札幌に戻った日のことだ。気温マイナス6度。JR札幌駅の前で選手全員が登場したイベントには寒さをこらえた2500人が出迎えた。4月2日は札幌ドーム開幕戦。猛吹雪に見舞われた中で、ファンは朝5時から行列をつくった。「あの寒い中をファンが来てくれた。しかも自然に」と島田氏はうれしそうに言った。
成功の要因の1つに「寒さ」があったのだと私は思う。北海道のファンは日本ハムの移転を「北海道に来てくれて」と言う。自虐的に聞こえるかもしれないが、「こんな雪国に来てくれてありがとう」という気持ちが含まれている。新庄が移籍した時もそうだ。「スター選手がわざわざ、北海道を選んでくれて」と、何とも言えないうれしさがあった。
そんなファンの姿に心を打たれる選手も多い。札幌の室内練習場の前には雪の中、数十人のファンがサイン色紙を持って選手が出てくるのを待つ。汗をかいた選手は寒さをこらえながらサインを書き、真向かいにある寮の風呂場に直行する。今、売り出し中の木元内野手は言う。「寒いのは一緒。別に格好をつけるわけではないですけど、ファンが増えれば、札幌ドームの声援が大きくなる。僕はその声で、いいプレーをすることができるんです」。寒さという痛みを共有するからこそ、待つファンの喜びが分かる。
人の心をつかむ天才といわれた故田中角栄元首相の話を思い浮かべた。選挙運動の時、新潟の深い雪をかき分けて山村に出向き、地盤を広げていったという。伝記などを読むと薄っぺらいエピソードに見える。ただ、そこに本当の手触りとしての「寒さ」が加わることによって人の心をわしづかみにしていった。それこそ3月1日、選手会長の小笠原内野手が白い息を吐きながら言った。「北海道を日本で一番、熱い大地にしたい」。あの日は、選手も観衆もいたたまれないほど寒かった。だからこそ、小笠原の言葉が強い響きを持った。道民もその言葉に酔うことができた。
今年の冬も厳しくなるようだ。近所に住む選手が雪かきをする。ユニホーム姿は格好のいい選手が凍った路面に足を取られそうになる。そういったシーンをより身近に感じられるようになれば…。雪国での生活を共有するからこそ、そこに「連帯感」が生まれてくる。
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上野耕太郎(うえの・こうたろう)
94年北海道本社に入社。編集部から95年11月に東京本社整理部へ。情報企画室、システム本部、文化社会部などを経て03年に北海道本社編集部に。現在、日本ハム担当。北海道江別市出身。34歳。
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