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2005/03/06付紙面より
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故障の無念思い知る
野球部 栗原弘明記者
ケガをすることの無念を、つくづく思い知った。ロッテのオープン戦初戦を翌日に控えた1日のことだった。神戸で横断歩道を通行中、歩道と車道を分ける低い段差に足を取られた。アッと思う間もなく、体が一回転した。左ひざが地面を直撃して「グシャッ」という音を聞いた。目の前の左ひざは、へこんだように変形していた。
今まで、選手の故障に関する原稿を数多く書いてきた。○○選手、○○腱(けん)断裂で全治○カ月、開幕絶望。そういった原稿を、何げなく書いてきたように思う。何だよ、あの選手、またやっちゃったのかよ、と心の底で感じたこともある。スポーツにケガはつき物、故障は当然とも思っていた。
自分が病院に運ばれるまで、担架から見上げる空、救急車の天井は色を失っていた。今まで、試合中のケガで担架に乗せられた選手は、どういう思いで天井を見つめて来たのだろうか。医者から下された診断は、左膝蓋(しつがい)骨骨折だった。目の前が真っ暗になった。これとスポーツ選手の故障を同列で語ったら怒られるかも知れないが、やはり落ち込んだ。記者にとって取材の場は、選手にとってのグラウンドと同じだろうと思うし、そこに立てないというのは無念だ。
鹿児島キャンプで取材したロッテのジョニーを思い出した。
昨年、右肩痛を乗り越えて、1軍復帰登板。1061日ぶりの白星を飾った。だがその喜びもつかの間、秋には今度は右ひじ痛で手術した。一からやり直しだ。昨年12月、ネットに向かってボールを投げることから始めた。1月初め、それが15メートルのキャッチボールになった。それが1月終わりには、30メートルに延びた。
徐々に回復していく黒木知宏投手(31)を、応援したくなるのが人情だ。2軍の鹿児島・薩摩川内キャンプではブルペン投球を開始した。だが、なかなか思うようにボールが行かない。投げた後は、疲労もなかなか取れない。カメラマンのシャッター音に、いらつきを隠せない時もあった。ブルペンを離れれば、走り込みを黙々と行った。50メートル、100メートルを延々と…。驚くべき距離を、人影の少ない陸上競技場で、走り込んでいた。
インタビュー取材で、何で自分だけがこれだけ不運に泣くのか感じたことはないのか、と聞いた。「何か、そのうち、いいことがあるでしょ」と静かに語った。そう自分に言い聞かせなければ、過酷な練習を続けることは出来ないのだろう。胸にしみる一言だった。
私は今、26日に千葉マリン球場で行われるロッテ−楽天戦という歴史的な開幕カードを取材したいと願っている。それがかなうかどうかは分からないが、希望がケガを乗り越えると信じたい。今回のケガは、何をやっているんだ、と一笑に付されれば、それだけのことである。しかし、今後、選手が故障から復活するようなことがあれば、違った目で見ることができるような気がする。
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栗原弘明(くりはら・ひろあき)
整理部、福島支局を経て野球部。日本ハム、アマ野球、アテネ五輪長嶋ジャパン、連盟から現在、ロッテ担当。90年入社、横浜市出身。37歳。
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