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本紙記者コラム「見た・聞いた・思った」
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2005/03/17付紙面より 過去のコラム一覧へ

冬木さん1面だよ…

スポーツ部 永井孝昌記者

 この場を借りて、謝りたい。

 01年9月5日、札幌。すすきののスナックにボクはいた。隣に座っていたのは理不尽大王、冬木弘道。当時FMW退団を真剣に考えていた冬木さんは、こんな相談を持ちかけてきた。

 「何とかして話題を作りたいんだよ。1面になる方法、何かない?」。

 あまりに突拍子もない話に、ボクはこう毒づいた。

 「1面? 無理でしょ。逮捕されるとか、死んじゃうとかしない限りは…」。

 「じゃあ、死んじゃおうか」と笑っていた冬木さんの顔が、今は懐かしい。札幌の夜の半年後に、直腸がんが発覚した。その1年後に、彼は逝った。エックス線写真をボクに見せながら「ほら、がんが小さくなってるだろ」と言われたこともある。それでも回復しない体は多分、自分が一番分かっていたと思う。亡くなる1カ月前に「怖いんだよ」と消え入るような声で言われた時は、返す言葉が見つからなかった。家族にも友人にも言われたことのない生への叫びは、当時のボクには重すぎた。

 息を引き取ったのは、ボクが病院に見舞いに行ったその日だった。無機質な機械の音が響く病室で、体のあちらこちらから管を伸ばして横たわっていた彼はほとんど意識はなかったものの、状態は安定している、と聞いた。何となく帰りにくくてしばらく病院に残っていたら、病状が急変した。亡くなったのは、それからわずか30分後の出来事だった。

 信じられないまま会社に連絡した。仕事を忘れ、子供がダダをこねるように「本当に死んだと確認できるまで原稿は書きたくない」と繰り返していたボクに、デスクは「1面でやる。すぐに書け」と指示した。病院近くのファミレスに入って、パソコンを開いた。「冬木さん、1面だよ…」。そう思ったらもう、涙が止まらなくなっていた。ファミレスの隅で泣きながら、「オレがあんなこと言ったから…」と悔やみ切れない思いを濡(ぬ)れたキーボードにたたきつけていた男は、ほかの客の目にはこっけいに映っただろう。札幌の失言を謝れないまま彼は逝った。冬木さん。今は天国で、笑って許してもらえたら、うれしい。

 理不尽大王を失ったプロレス界は、この2年で随分と様変わりした。「ハッスル」という舞台も生まれたが、ボクにはムチを持って試合するインリンが、AV女優相手に大暴れする冬木弘道の姿を想起させて、見るのがつらい。「今のプロレス界はつまらない」と聞くたびに、「オレは憎まれるだけ金になる」と言っていた冬木弘道を思い出す。試合をぶち壊し、人気選手を流血させて、冬木弘道は客に憎まれる天才だった。誠実で、プロレスが大好きで、家族思いだったあなたの素顔を、ファンはきっと知らない。でも「最期までレスラーとしてリングで死にたい」とにじむ脂汗の中でうわごとのように言っていたあなたにとっては、本望だったのかもしれない。

 あさって19日は、早いもので三回忌の命日です。今年も、ちょっと遅れるかもしれないけど、お参りに行くつもりです。今年は「カミさんには言うなよ。心配かけるから」と笑いながら巡業中だけこっそりと楽しんでいたかみタバコ、持っていきますから。

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   column@nikkansports.co.jp
永井孝昌(ながい・たかまさ)
 新潟県加茂市出身。93年入社。北関東支局勤務を経て、97年からスポーツ部でサッカー担当。5年間のプロレス担当の後、03年11月からサッカー担当に復帰。34歳。
永井記者の写真

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