速報記事一覧へ スコア速報一覧へ スポーツカレンダーへ

nikkansports.com・ホームへ
共通ナビゲーションを飛ばす。ページメニューへ MLB | PDF号外 | プレゼント | 占い | 映像 | 新聞購読
0
googleの検索機能
nikkansports.com・ホームへ
  nikkansports.com > 社会TOP > 本紙記者コラム「見た・聞いた・思った」
ページメニューを飛ばす。コンテンツへ
TV全国番組表

click here!
社会TOP
健康連載
おくやみ
メーンメニュー
・ 野球 ・ サッカー
・ スポーツ ・ バトル
・ 競馬 ・ 芸能
・ 社会 ・ 釣り
本紙記者コラム「見た・聞いた・思った」
ページトップへ
2005/03/29付紙面より 過去のコラム一覧へ

17歳二岡、魂の直球

大阪本社編集局運動セクション 横田和幸記者

 高校野球、プロ野球と球春が到来している。記者も先日、8年ぶりに野球(全日本少年硬式野球決勝)を取材した。「一塁走者二盗の間に三塁走者生還」という状況を、スコアブックにどう記入すればいいか忘れてしまい、恥ずかしながら言葉で書き込んだ。昔は四国、広島の地方支局で高校野球の取材に明け暮れたが、人間(私)の記憶はいいかげんだ。

 その取材会場は岡山・倉敷マスカットスタジアムだったが、12年前に隣の岡山県営球場での記憶がよみがえってきた。広陵の高校2年生の球児が、センバツ出場をかけて戦っていた秋季中国大会。しかし、広陵は早々に敗退した。高校3年間で、甲子園に最も近づいたのが、その中国大会だった。

 スコアブックの記入方法は忘れたが、17歳だった広陵・二岡智宏内野手(28=現巨人)の当時のプレーは鮮明に覚えている。三塁手で中堅、遊撃、投手もこなし、打順は4番。右方向に独特のフォームで力強い打球を飛ばしていた。

 二岡の人間力に敬服したのは、93年10月3日の広島県秋季大会決勝。広陵は9回まで8−0と広島商に大差でリードし、最終回もエース福原忍(現阪神)が2死一、二塁を迎え、あと1人の状態だった。だが、中井哲之監督(当時)は三塁を守っていた二岡を突然、登板させた。福原の完封記録を消滅させる不可思議な采配に思えた。

 結果は、二岡がすべて直球を投げ込み、3球三振に仕留めた。うねりを上げる剛球だった。直後に彼はベンチで泣き崩れた。「マウンドから、お前の根性をオヤジさんに見せてあげなさい」と監督に送り出されたことを明かした。

 父清司さんは決勝前日2日、息子の準決勝を応援するため、広島・三次市の自宅から県営球場に車を走らせていた。だが、途中の県道で交通事故に遭い、意識不明の重体に。二岡は徹夜で病院に付き添い、迎えた朝が決勝当日。優勝を報告したいために、一睡もせずに病院を抜け出した。魂のこもった直球の理由がそこにあった。その後、お父さんは51歳の若さで他界したが、記者は最高の親孝行を現場で見届けられたと思っている。

 「もう(父の死は)ふっ切れました。将来はプロ野球に進んで、池山選手(当時ヤクルト)のような内野手になりたい。そのためには、大学でもっと力を付けてきます」。

 近大進学直前には、こう決意していた。巨人入団という出世には驚いたが、日本で最も重圧がかかる球団で、凛(りん)とした表情で活躍を続けるのは、当時の彼を知っていれば不思議なことではない。先日のマスカットスタジアムの記者席で、偶然にも「二岡が26日のオープン戦横浜戦で右人さし指を負傷」という記事を読んだ。久しく会っていないが、故障に負けるヤワな体ではない。野球担当ではないが、今年もセ・リーグ個人成績表のチェックは毎朝の日課だ。二岡君、応援してるで。

メールを送る ※このコラムへのご意見をお待ちしております。
   column@nikkansports.co.jp
横田和幸(よこた・かずゆき)
 91年大阪本社入社後、四国支社、広島総局で計4年間勤務。徳島商の川上憲伸(中日)広島電機大の山口和男(オリックス)ら速球派を取材した。37歳。
横田記者の写真

前のページへ戻る このページの先頭へ
広告ガイド会社案内このサイトについて問い合わせ
  nikkansports.comに掲載の記事・写真・カット等の転載を禁じます。
  すべての著作権は日刊スポーツ新聞社に帰属します。
  
野球ページへ サッカーページへ スポーツページへ バトルページへ 競馬ページへ 芸能ページへ 社会ページへ 釣りページへ