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2004/02/25
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アスリートのピーク
写真部 鈴木豊記者
レースプログラムの名前を見て、懐かしい気分になった。21日、東京辰巳国際水泳場で行われた東京都の記録会に、鹿島瞳(24)さんが出場していた。96年の日本選手権の女子200メートルバタフライで、当時高2の鹿島さんは2分8秒69(シーズン世界最高記録)で優勝。アトランタ五輪出場を決めた。そのときの日刊スポーツ1面には「瞳」の文字が大きく躍った。シンデレラガールだった。
アトランタ五輪では100メートルバタフライで4位入賞したが期待の200メートルでは14位。コーチの胸で泣き崩れた。思わずもらい泣きした記憶がある。その後は好不調の波を繰り返し、00年のシドニー五輪は落選。01年の宮城国体を最後に、一線からは退いていた。
「水泳選手にとって、やはり年齢のピークというのはあるものなのか?」彼女に聞いてみたいと思った。鹿島さんは「うーん。そういう実感はないんですけど、泳ぐたびに、高校のときは何であんなにも速く泳げたのだろう? って思うことはよくありますね。あのころを振り返れば、本当に毎日、毎日一生懸命に練習してましたから。もう、義務でしたよ(笑い)。練習していないときでも毎日『頑張らなきゃ、頑張らなきゃ』と思って生きていました。今思うと、あの時は何か別人だったような、そんな感じすらします」と振り返った。
ピークの有無について、鹿島さんは直接答えなかった。アスリートたちは記録やメダル、それらを追い求めるため厳しい練習を行う。それは決して楽しんでだけやる性質のものではない。プレッシャーも相当のものだろう。けがもあるだろう。ピークの有無があるとしたら、それに耐えられる時期こそが、アスリートとしてのピークなのだろう。
鹿島さんは一線を退いた直後「1年間は何もしなかった」と言う。しばらくは水泳から離れる生活を送った。しかし昨年からは各種の水泳競技大会に出場するようになり、現在はさいたま市のフィットネスクラブで水泳のインストラクターとして働いている。水泳だけじゃなく、スキューバダイビングもする。「やはり水の中は楽しいですね。教えていて『上手になろう』という生徒の気持ちが伝わってくると、こっちもうれしくなりますよ」。
この日の女子100メートルバタフライで鹿島さんは2位に入った。「競技の練習をしていなかったから不安だったけど、また辰巳のプールに立てるなんてね、それだけでもすごいうれしいんですよ」。ピークを過ぎ、一線を退いても「水泳が好き」という気持ちに変わりはないことを知った今、鹿島さんは「義務」ではない充実した日々を送っている、そんな感じを受けた。
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鈴木豊(すずき・ゆたか)
写真部。広告整理部、編集局整理部、写真部、静岡支局(磐田担当)を経て01年秋から写真部。現在の担当は全般。90年入社。36歳(独身)。
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