漫才界の長老で元参院議員のコロムビア・トップさん(本名下村泰=しもむら・ゆたか)が04年6月7日午後8時31分、呼吸不全のため都内の病院で死去した。82歳だった。60、70年代に漫才コンビ「コロムビア・トップ ライト」で人気を集め、74年に参院選で初当選。通算3期務めた。自宅は東京都目黒区碑文谷4の4の20。葬儀・告別式は12日、中野区中央2の33の3、宝仙寺で。喪主は長男下村泰一(やすかず)さん。
トップさんは97年に胃がんが見つかり、胃の3分の2を除去する手術を受けた。その後、食道がん、のどのがんが見つかり、昨年7月にも手術を受けた。また、出演していたラジオ番組でがん闘病を毎週報告し、話題となった。今年5月20日すぎに体調が悪化し入院。しかし巨人の清原和博選手の2000本安打達成や、脳こうそくでリハビリ中の長嶋茂雄氏がアテネ五輪に意欲という新聞記事を弟子が読むと、Vサインのしぐさをみせるなど回復の兆しをみせた。きょう8日に退院する予定だった。7日は、長男泰一さんを残して家族が帰宅後に容体が急変。泰一さんがみとった。
戦争中は加藤隼戦闘隊員としてアジア各地を転戦。終戦後、戦友だった初代ライトの池田喜作さんと「青空トップ・ライト」の名前でデビューした。50年に池田さんの死去に伴い、声帯模写をしていた鳥屋二郎さんが2代目ライトとなってコンビ再結成。コロムビアレコードの専属になって「コロムビア・トップ ライト」と改名。辛口の政治・社会風刺で人気を集めた。
幼い時に両親を亡くし、兄に育てられたことから、障害者施設の慰問など福祉に力を入れ、それをきっかけに74年、参院全国区に立候補。初当選して二院クラブに入った。80、83年の参院選に落選したが、作家野坂昭如氏が衆院選出馬で辞職したため、83年に繰り上げ当選。続く89年に再選、参院議員を3期務めた。平和への思いは強く、90年の国際平和協力法案には強硬に反対した。心身障害者の援助を目的とした募金運動「あゆみの箱」の代表理事を長く務めた。
写真=01年2月24日、巨人宮崎キャンプで長嶋監督(右)と練習を見学したコロムビア・トップさん
落語家の立川談志 大往生だよ。寄席の芸に関する本をトップさんと一緒に書いたことがあった。「良かったよ」ってホメられたなぁ。寄席の空気の読める漫才師だったね。参院議員ではオレの方が先輩だったから国会では「しもむらぁ〜」ってデカい声で呼んだら、冗談で怒ってたよ。オレと組んで漫才やったら面白かったと思うよ…ケンカ芸になっちまうから。尊敬していた漫才師だったよ。
元参院議員の野末陳平氏 今年のいつだったかテレビで姿を見たんだよ。やせちゃって、芸能仲間とも、まるで別人だな、なんて話していたからね。トップさんは、仕事に対する意欲が体からほとばしっていて、エネルギッシュな人。参院議員も長く、言いたいこと言って、二院クラブではいろいろあったんだろうけど、満足できた人生だったんじゃないでしょうか。
二院クラブで同僚だった元参院議員の青島幸男氏 (訃報を聞いて)がくぜんとしました。半年くらい前にホテルのロビーで偶然お会いして「元気かい、青っちゃん」と声をかけられた。それが最後。ざっくばらんな方だった。二院クラブでは参院をどうしていけばいいのか2人で議論を交わした。親しくさせていただいたことを誇りに思っております。
自宅を弔問に訪れた青空球児 東京の宝でした。四十数年間(トップの)弟子だったんだもん、泣きたいよ。顔はやすらかで、額は温かかったよ。