鈴木善幸(すずき・ぜんこう)元首相が04年7月19日午後9時15分、肺炎のため死去した。93歳。岩手県出身。自宅は東京都世田谷区経堂3の10の6。密葬は22日に港区西麻布2の21の34、長谷寺で。喪主は長男俊一(しゅんいち)氏。
鈴木氏は、80年の衆参同日選中に大平正芳首相が急死したのを受け、「闇将軍」田中角栄元首相の後押しで首相の座に上り詰めた。通算10期も総務会長を務め「永遠の総務会長」と評された調整型の政治家で、「和の政治」を掲げ、当時「40日抗争」で深刻な分裂状態だった党内融和に全力を尽くした。常に「総理・総裁の器」を意識し、激しい党内抗争を勝ち抜いて登場したそれまでの自民党政権と比べると特異な政権で、海外からは「ゼンコー・フー(善幸って誰)」と受け止められ、「暗愚(あんぐ)の宰相」と揶揄(やゆ)もされた。
首相在任中は行政改革の端緒を開く一方、参院選の全国区制を比例代表制に改革。81年レーガン大統領との日米首脳会談で、日米関係を初めて「同盟関係」と規定した。しかし日米関係の悪化、財政再建の行き詰まりに加え、再燃した党内派閥対立に反発、82年10月、突如退陣を表明した。発足当初から過渡的政権とみられていたが、首相在任期間は864日で戦後第9位。90年、政界を引退した。三女は麻生太郎総務相の妻千賀子さん。
旧農林省水産講習所を卒業後、47年衆院選で旧社会党から旧岩手1区に出馬し初当選。その後連続16回当選。郵政相、官房長官、厚相、農相も歴任した。