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荻島真一さん(俳優)が胆管がんのため死去

荻島真一さん

 数多くドラマや舞台に出演し、「スター千一夜」司会でも知られた俳優荻島真一さん(おぎしま・しんいち、本名・荻嶋真一)が04年11月11日午前1時50分、胆管がんのため都内の自宅で死去していたことが15日、分かった。58歳。昨年9月にがんと診断されて手術を受け、闘病のかたわら、日本テレビ「おもいッきりテレビ」に出演していた。葬儀は親族だけで済ませた。「しのぶ会」を来年に開く予定だ。

 TBS「ありがとう」など数多くのドラマで、さわやかな青年役を演じた荻島さんが58歳の若さで逝った。関係者によると、妻裕子さんと2人の娘にみとられ、自宅で眠るように亡くなった。

 荻島さんが最初に体調の異変を感じたのは、五木ひろし特別公演「噂の小平太」に出演していた昨年7月。食欲不振や腰痛などを訴えたが、病院で検査した結果、異常は見つからなかった。

 昨年9月、テレビ東京の旅番組に夫婦で出演する予定だったが、ロケに出発する朝、長女が「パパ、目が黄色い」と訴えた。ロケ終了後、そのまま病院へ。精密検査の結果、胆管がんと分かった。すぐに入院し、手術を受けた。2か月後に退院したが、その後も入退院を繰り返していた。体調のいい時は準レギュラーを務める日本テレビ「おもいッきりテレビ」にコメンテーターとして出演。最後の出演は今年2月25日だった。

 荻島さんは68年、多摩芸術学園大演劇科を卒業後、劇団四季に入団した。同期に大和田伸也、矢崎滋らがいる。71年に「信長記」の森蘭丸役でデビューしたが75年に退団。以後は俳優としてドラマ、舞台を中心に活躍した。フジテレビ「スター千一夜」の司会も務めた。

 私生活では84年に、友人の紹介で知り合った裕子夫人と結婚。前年の83年に趣味のオートバイに乗っていて事故を起こし、右手首骨折などの重傷を負った。その時に頻繁に見舞いに訪れる裕子さんがマスコミに目撃され、荻島さんが病院で結婚を発表した。独身時代には女優范文雀さんとの同せいが話題を呼んだ。

 葬儀は14日に家族と親類のみで済ませた。「しのぶ会」を来年の1月下旬〜2月上旬ごろに行う予定。喪主は妻裕子(ゆうこ)さん。


◆荻島真一(おぎしま・しんいち)
 本名・荻嶋真一。1946年(昭和21年)10月7日、東京都生まれ。主なドラマにNHK「おていちゃん」「あした天気になあれ」、TBS「ありがとう」「隠密剣士」など。「こちらブルームーン探偵社」では主演のブルース・ウィリスの吹き替えを担当した。家族は裕子夫人と2女。


関係者悲しみの声

 優しく品があった ドラマで共演した水前寺清子(59)は、とても優しい方で、品のある俳優さんでした。TBSの「明日がござる」では、恋人役を演じさせていただきました。物静かな方で、本当の二枚目だったことを記憶しています。お昼の番組(おもいッっきりテレビ)に出演しているのを見ていて、お元気そうだったのに。残念です。

 「照れ屋な二枚目」 TBS石井ふく子プロデューサー(78)は「まだまだ、一緒に仕事をしたかった」と荻島さんの訃報(ふほう)に肩を落とした。石井さんは「ありがとう」「ぼくの妹に」など数多くのドラマで荻島さんと仕事をした。「若い時からせりふをしっかり覚えるきっちりした人。照れ屋で、シャイな二枚目。私はしんちゃんと呼んでました」。最近は、ほとんど会う機会がなく、どうしているかと心配していた矢先のことだったという。「自宅で知らせを聞き、思わす『えーッ』と叫びました。入退院を繰り返していたことも知りませんでした」と言葉を詰まらせた。

 同期の大和田が涙 劇団四季で同期だった大和田伸也(57)が、この日都内で会見し「ものすごいショックでした」と語った。闘病生活を送っていることは知らなかったという。荻島さんは大和田がナレーションを務めるテレビ東京「いい旅・夢気分」のロケに昨年9月に参加。元気な姿をおさめた映像を自分の目で見た。「家族で出演してくれて、いいお父さんになったなと思っていたのに…」と言葉を詰まらせた。「同期の中で青春の元気のシンボルのような存在でした。今も心の整理がつかない」と目を潤ませた。

 3年間事務所提供の森絶句 森光子も荻島さんの死去の報に言葉を失った。「え、本当ですか。初めて知りました」と表情を曇らせた。77年に芸術座「つゆのひぬま」で初共演した。そのとき、荻島が自分の事務所を持っていないことを知った森が、自らの事務所の一角を提供。荻島が3年ほど「間借り」したという。「信頼できる方でした。最近はお会いしていませんが、若い方が亡くなるのは、悔しいですね」としのんだ。

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