「砂の器」「事件」「鬼畜」などの社会派作品で知られる映画監督の野村芳太郎さん(のむら・よしたろう、本名同じ)が05年4月8日午前0時15分、肺炎のため都内の病院で死去した。85歳。90年に脳出血で倒れてから療養を続けていたが、自宅で企画を練るなど最後まで現場復帰に意欲を見せていた。松本清張作品の映画化で手腕を発揮する一方、渥美清さんらを起用した喜劇でも傑作を残した。

75年、映画「昭和枯れすすき」で演出する。左は高橋英樹、中央は秋吉久美子
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社会派の巨匠が88本の作品を残して天国に旅立った。二男芳樹さん(56=松竹エンタテインメント取締役)によると、野村さんは3月22日、体調不良を訴え緊急入院。こん睡状態に陥った。芳樹さん夫妻、長女かをりさんら家族がみとった。
85年「危険な女たち」で監督を務めた後、体調を崩した。90年と92年に脳出血で倒れたが、いずれも後遺症が残らない軽度なもので、以降は自宅療養を続けていた。「キネマの天地」(86年)と「復活の朝」(92年)でプロデュースに名を連ねたが、現場に足を運ぶことはほとんどなかった。

「拝啓天皇陛下様」の撮影で渥美清さん(右)らに演技指導する
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41年、松竹に入社。黒沢明監督の助監督を務めた後、52年「鳩」で監督デビュー。松本清張作品の映画化に手腕をふるい、58年「張込み」で評価を高めた。犯罪事件の中にも骨太な人間ドラマを描く「砂の器」など、松本氏原作映画を8本撮った。コンビを組んだカメラマンの川又昂さんは「しんが強くて頑固で『映画を作るのが最高の遊び』という人だった。清張さんが一番信用していた監督だと思います」と肩を落とした。渥美清さんの名演技を引き出した「拝啓天皇陛下様」(63年)など、社会批判を込めた喜劇も得意とした。
映画監督で松竹撮影所長も務めた野村芳亭さんの長男として生まれ、撮影所を遊び場として育った。酒は1滴も飲めず、大の甘党だった。芳樹さんは「仕事が趣味のような人でした。脳出血で倒れた後も『打ち合わせに行かなきゃ』などと、うわごとのように話していたこともありました」という。療養中も自宅では毎月30〜40冊の本を読んでいたという。法廷サスペンスの企画を練るなど、映画への情熱は衰えなかった。
覚悟してたが…山田洋次監督
松竹で野村さんの後輩だった山田洋次監督(73)はこの日午後、都内の自宅を弔問に訪れた。「覚悟はしていましたが、急だったので驚いています。最後はずいぶん苦しんだそうで、つらかったでしょうね、と(遺体に)声をかけました」。松竹時代、助監督だった山田氏を監督に推挙したのが野村さんだったという。「現場では厳しかったですが、仕事を離れるととても優しい方でした」と振り返った。告別式で弔辞を述べる予定だ。
「鬼畜」などに出演した女優岩下志麻(64) 女優人生の恩人です。初めてご一緒した「五瓣の椿」では手取り足取り演技を教えてもらい、それまで欲のなかった私も女優としてやっていこうと思いました。穏やかでいつもニコニコして優しく指導してくれました。

74年、映画「砂の器」大阪・新世界での通天閣ロケより(左から)脚本家の橋本忍氏、野村芳太郎監督、丹波哲郎、殿山泰司氏
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「砂の器」に主演した丹波哲郎(82) 昭和の偉大な監督が亡くなり寂しいね。「砂の器」ではクライマックスの長ぜりふの場面で感動してせりふに詰まり、10回ぐらいNGを出した。でも、監督も分かってくれて、辛抱強く待って、ようやくOKが出た時のホッとした顔が印象的だった。