巨人、南海、広島で投手として活躍した福士敬章氏(ふくし・ひろあき、本名明夫=あきお)が05年4月13日夕、勤務していた和歌山県みなべ町のマージャン店内で死亡しているのを訪ねてきた知人が見つけ、田辺署に届けた。病死とみられる。54歳。鳥取県出身。葬儀・告別式は15日正午から近親者だけで行う。喪主は長男裕健(ひろたけ)氏。
鳥取西高から1969年(昭和44年)にドラフト外で巨人に入団。勝ち星がないまま73年に南海へ移籍し、主力投手に。77年には広島に移り、2度15勝をマークするなど6年間で58勝を挙げ、79、80年の日本一に貢献した。83年に渡韓し、いきなり30勝をマークして最多勝を獲得した。日本での通算成績は339試合、91勝84敗9セーブ、防御率3・68。韓国の通算成績は54勝79敗。78年まで松原明夫、79年は福士明夫の名前でプレーした。
広島山本浩二監督 「広島で6年間一緒にプレーしたが、カーブやチェンジアップなどいい球を持っていて、頭脳的なピッチングが印象に残っている。ご冥福をお祈りします」。
ソフトバンク王監督 「重い球を投げるいいピッチャーでした。一緒にプレーをした仲間だけに、早すぎるご逝去は残念です」。