磐田DF田中、ジーコ日本W杯俺が引っ張る
<新春スペシャル2005年挑戦!!(8):磐田DF田中誠>
ジーコジャパンの守備はオレに任せろ! 磐田DF田中誠(29)は、昨年4月のハンガリー戦で代表初出場を果たし、その後14試合に出場。すっかりジーコジャパンの守備ラインに定着した。磐田でもリーグ戦、ACL、天皇杯とフル稼働し、年間出場試合数(04年元日〜05年元日)は54試合で、磐田MF福西崇史(28)浦和MF三都主アレサンドロ(27)とともに年間最多公式戦出場だった。「新春スペシャル 2005年 挑戦!」の最終回は、日本代表と磐田を引っ張る男に胸の内を語ってもらった。
昨年の田中は大忙しだった。アトランタ五輪代表での活躍から8年後のA代表初キャップ。日本代表と磐田で実り多い1年だった。
田中「4月ハンガリー戦が代表初出場でしたけど、ものすごく緊張した。アウエーだったから、まだ良かったんでしょうけど、あれがホームだったらヤバかった。五輪とは全然違いましたね。当時(96年)は今の盛り上がりとは違ったから。五輪代表(の試合)で満員に近い観客が来るということもなかったし」。
代表デビューして約半年で大仕事を果たした。W杯アジア1次予選1位通過の原動力になった。
田中「プレッシャーはありました。(10月の)オマーン戦は負けたら終わりみたいな戦いで、眠れないこともあった。でも、これからもっと大変な戦いになるんだろうと思う」。
そのオマーン戦の後半12分、GK川口が飛び出してゴールが無人に。そこに入りそうになった球を田中が体ではね返した。あそこで1失点していたら、日本のW杯行きの道が断たれていたかもしれない。
田中「あれはチームプレーから生まれたもの。誰かが動いたら、誰かがここと流れの中で決まっていること。必死でやって生まれた紙一重のプレーです。サッカーは何が起こるかわからないから。あの試合で勝って1試合残して決められたのは大きい」。
田中と川口は清水商時代からの付き合いだ。
田中「能活が出たからカバーしないと、というのはありました。タイミングがずれた感じがしたから、もしかしたらと思ってゴール前に行った」。
もう1つの大仕事は、厳しい環境で苦しい試合が続いたアジア杯での優勝。
田中「アジア杯から戻った後にすぐリーグ戦に出たけど、体が疲れていて、判断が一瞬遅くなるのが自分でも分かった。ブーイングは周りが思っているほど、選手は気にしていなかった。でも『見返してやる』とチームの団結力が深まったのは事実です」。
体調管理も難しかった。
田中「夏は飯より寝たいという気持ちが強く、2食になったりして、体重が2キロ以上落ちた。(アジア杯の)重慶では食べても体重が落ちた。無理をしてでも野菜、肉、ご飯をバランスよく3食必ず食べないとパフォーマンスが落ちる。食事の大切さをあらためて感じた。教訓を生かして、今年は夏場の体調管理をしっかりしないと」。
今年はW杯最終予選だ。8月には30歳になる田中にとってW杯は…。
田中「子供のころからマラドーナとかが出るすごい大会だと思っていた。サッカー選手のステータスであり、夢。僕は02年も体験していないし、今度こそはという思いはある」。
厳しさは覚悟の上。
田中「代表でDFは多いし、生き残るのが目標。自分が入ったメンバーで予選を勝ち抜けたことは大きいけど、05年も勝負。ライバルもいっぱいいるし、自分も努力してレギュラーに定着していかないと」。
追い風もある。代表のことをよく知る山本監督と、GK川口の磐田入りだ。
田中「山本さんは代表について理解してくれる。過密日程の中、休暇もうまくコントロールしてくれると思う。能活ともジュビロでコミュニケーションを取れるというのは、確かに大きい。クラブでやっていると代表でもすんなりいくと思うから。またいい関係ができるのは楽しみ」。
体を張ってゴールを守り抜く。決して若い代表デビューではなかったが、田中には磐田での百戦錬磨の経験がある。必ず日本代表をドイツまで連れていってくれる。【斉藤香織】
◆田中誠(たなか・まこと) 1975年(昭和50年)8月8日、清水市生まれ。小1年でサッカーを始め、4年で清水FC入り。FW、トップ下など攻撃の要として、6年では全日本少年大会で優勝。中学時代にDFに転向し、清水商では3年時に国体、全日本ユース、選手権で全国制覇。94年磐田入団。同年6月平塚戦でJデビュー。98、02年にJベストイレブン。J通算249試合6得点。代表歴は、93、94年にユース代表、96年アトランタ五輪代表。歴史的なブラジル戦勝利にも貢献。家族は珠江夫人(30)長女菖(あやめ)ちゃん(4)長男樹(たつき)君(3)。178センチ、74キロ。
[2005/1/13/09:43 紙面から]
写真=昨年10月、W杯予選オマーン戦で相手選手を厳しくマークする田中
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