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2004/04/19
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アウエーで戦うということ
横浜FC強化担当 神野卓哉
経験した者でないと、分からないことなのかもしれません。シンガポール
戦で苦戦した日本代表への批判を聞いていると、そんなことを感じることが
あります。つまり、アウエーで実力を出し切ることがいかに難しいかという
ことです。
横浜マリノスの選手だったとき、アジアの大会のために数多くの海外遠征
を経験しました。あるときには、16人のうち10人が体調を崩したことも
あります。気候、時差、移動による肉体的な疲労、文化や食事などの違いか
ら来る精神的な疲労。そういうものを乗り越えて戦うのは生半可なことでは
ありません。
93年4月18日、イランのテヘランでアジアカップウィナーズ杯決勝を
戦いました。相手は地元のピルズィ。スタンドは11万人の観衆で埋まって
いました。ホームの第1戦で1−1と引き分けていたため、アウエーでも勝
利が必要でした。幸い、このときは、試合前の準備が本当にうまくいって、
体調を崩す選手が出ませんでした。試合では、僕が決勝ゴールを決めて1−
0で勝利、優勝を勝ち取ることができました。
でも、問題は試合後でした。敗戦に怒ったファンは暴動寸前で、スタンド
からありとあらゆる物が投げ込まれました。ロッカーへと戻ることはでき
ず、ピッチの中央へと「避難」しました。決勝ゴールのせいで完全に悪役に
なってしまった私は、背番号を隠すようにいわれ、あわててコートを着まし
た。30分後に一段落した瞬間、ダッシュでロッカーへと駆け込み、さらに
1時間待機してやっとバスへと乗り込むことができたのですが、それでも、
待ち構えていた地元サポーターからおびただしい数の投石を浴びました。ド
ドドドドッ。マシンガンのように石がバスの窓を叩いていました。試合が始
まる前も、試合が終わってからもナーバスになる。それがアウエーというも
のです。
昨年現役を引退し、今年から横浜FCの強化担当になりました。今季はタ
イでキャンプを行いましたが、当時は鳥インフルエンザがクローズアップさ
れ始めたときで、管理する立場として心配で仕方がありませんでした。公式
戦をしに行ったわけでもないのにこうなのだから、W杯予選のために相手国
に遠征するというのはどれほどのことなのでしょう。代表がそういう厳しい
中で戦っていたことも、考えてあげなければならないのではないでしょう
か。
フロントになってまだ1年目。勉強することばかりですが、頑張っていま
す。みなさんもぜひ、横浜FCを応援しにスタジアムにいらっしゃって下さ
い。
神野卓哉(じんの・たくや)
1970年6月1日、東京都生まれ。修徳高から89年日産入り。92年にはU−23代表としてバルセロナ五輪最終予選、A代表としてアジア杯のメンバーに名を連ねた。横浜M−神戸−大分−東京−大分−横浜FCと移籍し、昨年限りで現役を引退。今季から横浜FC強化担当に就任した。「マッハGO!GO!」の替え歌「神野ゴーゴー」はサッカーファンの中で語り継がれる名応援歌とされている。
◇昭和45年会 選手やマスコミなどの垣根を取り払って集まって結成されている懇親会。会長は名古屋DF秋田豊。昭和45年生まれが原則だが、多少の前後は認めている。特に女性会員については、年齢未公表の人が多いため(怖くて)確認できない。
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