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2004/04/26
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再考・W杯予選
フリーライター 小齋秀樹
「ドラマや映画見ても泣かないんだけど、あのときは涙が出たね」
名波浩がW杯初出場決定の瞬間を語った言葉だ。彼はこうも言っていた。「サッカーでさ、これから先、あの瞬間を超える喜びって絶対ないと思う。あるとすれば、W杯優勝だろうけど、俺らが生きてる間はそれはないよね」
名波は1972年生まれ。この会のメンバーよりもふたつ下なだけだ。つまり、W杯というものに対する認識は僕らの世代とほぼ同じだ。
<W杯は見るもの。日本がW杯に出るなんて、夢想したこともなかった>
そういう世代である。僕らより年配の方もそうだろう。
そんな認識が少しだけ変わったのが、1985年。中学2年のときのメキシコW杯予選。「木村和司の伝説のFK」と言えば、ピンと来る人は多いだろう。非常に残念だったが、不思議と「悔しい」という気持ちはなかったことを覚えている。それほど、「出ない状態が当たり前」だったのだ。
W杯出場を本気で狙いにいったアメリカ大会は、周知のごとく、ドーハの悲劇として終焉する。悔しさはあったが、「やっぱりW杯は遠いな…」と思ったことも事実だ。
現在−。W杯出場は悲願でもなんでもなく、果たすべき義務と認識されている。それでいいのだろうか、と疑問に思うことがたまにある。「W杯って、そんなカンタンなモンだっけ?」、と。
自責の念を込めて書くが我々メディアは、そしてサポーターももう少し冷静になってもいいのではないか。代表監督が適任か否かをヒステリックに論じる前に、W杯とその予選というものを見つめなおすことが必要な気がする。というのも、先のアテネ五輪予選後、4、5人のU23代表選手から同じ内容の反省を聞いているからだ。「出て当然という風潮にいつの間にか感化され、受け身になってしまい、戦う気持ちを失っていた」という主旨のものだ。
W杯予選突破の困難さを今一度問いなおせば、おのずと代表監督が適任かどうかの答えも導き出されるはずである。
小齋 秀樹(こさい・ひでき)
1970年12月18日、仙台市生まれ。早大法学部卒業後、編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。「Sports Graphic Number」「SPORTS Yeah!」等を中心にサッカーの記事を執筆中。著書に、浦和レッズのJ2シーズンを追った「Goalへ−浦和レッズと小野伸二」(文藝春秋)がある。
◇昭和45年会 選手やマスコミなどの垣根を取り払って集まって結成されている懇親会。会長は名古屋DF秋田豊。昭和45年生まれが原則だが、多少の前後は認めている。特に女性会員については、年齢未公表の人が多いため(怖くて)確認できない。
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