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「サッカーは楽しむためにある」〜セルビア・モンテネグロ編〜
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7月4日、首都ベオグラードでは欧州選手権を制した隣国ギリシャを祝う歓声が響き渡っていた。セルビア・モンテネグロは03年2月にユーゴスラビアから改称した。「欧州の火薬庫」と揶揄された分裂の歴史の末、新たな歴史を歩み始めた。02年W杯、欧州選手権に出場した隣国で元々同じ国だったクロアチアとの力差は広がった。ギリシャ、クロアチアともに欧州選手権に出場したが、国民の多くが「元同僚」よりギリシャに熱烈な応援をしていた―。だが「元同僚」などセルビア・モンテネグロ人は考えていないことを取材で思い知った。同国には理屈ではない、複雑で悲しい歴史が横たわっていた。「サッカーは政治とは別物だ」それは奇麗すぎないか。悲しくもあるセルビア・モンテネグロのサッカーとサッカー観をレポートする。
◆98年Jにピクシーら10選手在籍
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| 名古屋で活躍したストイコビッチ氏は現在、セルビア・モンテネグロのサッ
カー協会会長
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セルビア・モンテネグロは世界でも指折りの日本サッカーと馴染みの深い国の1つ
だ。1998年。実に10名の同国選手がJのピッチに立っていた。マスロバル(市
原)ペトコビッチ(横浜)ペトロビッチ(浦和)ストイコビッチ(名古屋)ドロブ
ニャク、クルプニ(以上G大阪)マニッチ(C大阪)ブヤチッチ(神戸)デュカノ
ビッチ、ボージョビッチ(以上福岡)
母国でもJリーグは連日大きく報道され、国民も日本に注目していたという。98年、ユーゴスラビア(当時)は黄金世代の晩年期だった。2年後、00年欧州選手権では、決勝トーナメントに進出。しかしこの時すでに同国代表の高齢化が問題視される「ピクシー世代」の端境期だった。その後も思うように代表の若返りは進まず、02年日韓W杯、04年欧州選手権と予選敗退の屈辱が続いた。
我々の考える「屈辱」は同国では思うほど「屈辱」でないらしい。04年欧州選手権予選ではアゼルバイジャンにまで敗れる始末だったが、国民の大勢は悲観しなかった。なぜか?「楽しむことがサッカーの基本だ。結果はその次だ」と大使は笑った。
◆「東欧のブラジル」
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| 笑顔が素敵なセルビア・モンテネグロのプレドラグ・フィリポヴ大使
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| 元サッカー選手だった大使館アタッシュのミオドラグ・イエレェミッチ氏
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セルビア・モンテネグロはスポーツ大国としても名高い。国民のスポーツへの興味は幅広く、サッカーが「全てではない」。例えば、NBAに多くの選手を送り込んでいるバスケを筆頭に、バレー、ハンド、ウォーター・ポロなど枚挙に暇がない。サッカーが絶対的な人気を持つわけではなく、つまらない試合を繰り返せば国民は「他スポーツに感心は移る」。つまり、同国ではサッカーは単に勝てばいいという訳ではなく、華麗なプレーで観客を魅了することも求められた。この伝統が、かつてユーゴスラビアを「東欧のブラジル」と呼ばせた要因となった。
セルビア・モンテネグロのプレースタイルへ脈々と引き継がれた個人技重視の“魅せる”サッカーこそ同国の真髄となっている。スタンコビッチ(伊インテル)、ケジュマン(英チェルシー)といった選手が伝統を受け継ぎ、個人技で世界に羽ばたいている。「サッカーだけではない、われわれセルビア・モンテネグロ人は人生を楽しむことを大切にしている。楽しんでこそのサッカーだ」。大使は何度もうなずいた。
前向きなセルビア・モンテネグロは最近明るい話題が多い。03〜04年シーズン、パルチザンが欧州CL本戦出場を果たした。U21欧州選手権では、予選リーグでクロアチアを破り、決勝リーグでもイタリアに次ぐ2位となった。アテネ五輪出場を決めるなど課題だった若返りが実を結ぼうとしている。
◆「クールさ」の裏側に複雑な歴史
結局、サッカーは「楽しむためのもの」。勝っても負けてもクールに楽しむ姿勢は、他の欧州諸国とは一線を画すようだ。なぜか?「セルビア・モンテネグロだから」。大使は意味深に笑った。クールさは同国の複雑な歴史に由来するようだ。
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| ストイコビッチ氏は99年3月27日、Jリーグ神戸対名古屋で「NATO
STOP STRIKES」と書いたシャツをユニホームの下に着て試合に出場した
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昔、ユーゴスラビアの特徴を授業で習った。「1つの国家、2つの文字、3の宗教、4つの言語、5つの民族、6つの共和国、7つの国境」。現在は5つの独立国がある。スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、そしてセルビア・モンテネグロ。コソボ自治州も難しい位置にある。遠い国の話と、ユーゴを数え歌で片付けた自分は無邪気すぎた。
パルチザンの英雄・チトー大統領の死後、スロベニアの独立宣言を機に、泥沼の紛争へと足を踏み入れた。91年6月、スロベニア独立戦争が勃発。同月、クロアチアも独立宣言、8月、クロアチア戦争が始まった。92年、ボスニア・ヘルツェゴビナをめぐる分割戦争が始まる。ボスニア内戦まで泥沼化し、NATO軍の空爆に至った。95年、和平に辿り着いたが、200万人以上が難民となり、死者も20万人と言われる。コソボ紛争は99年、NATO軍の空爆、軍事介入を経て難民はコソボへ帰還。平和維持軍の駐留で平静を保っているかのようだが、現実は難しいままだ。
思えばその複雑さはオスマン・トルコが南部を、オーストリア帝国ハプスブルグ家が北部を支配したずっと昔から続いてきた。今日のセルビア・モンテネグロは悲しくも激動の歴史を土台に築かれた。
クールなことは善でも悪でもない。ただ、同国に根付くサッカーへの冷静さの裏に、「明日またどうなるか分からない」という不安が横たわっているなら悲しすぎる。隣国への憎しみは消えることはないとしても、勝ち負けに一喜一憂できるくらい無邪気なセルビア・モンテネグロに会いたい。そう祈った。
| ◆過去の戦績 セルビア・モンテネグロ代表と日本代表が対戦するのは、5度目。これまで4試合の対戦成績は2勝2敗。また同国がキリン杯に参加するのは96年、01年に続いて3度目となる。
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| 1961/11/28 | 日本 | 0−1 | ユーゴスラビア
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| 1996/05/26 | 日本 | 1−0 | ユーゴスラビア
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| 1998/06/03 | ユーゴスラビア | 1−0 | 日本
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| 2001/07/04 | 日本 | 1−0 | ユーゴスラビア
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◆取材を終えて〜無邪気に観戦できる日を
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| ドーニャという果実から作ったSUZAというアルコール40度のセルビア・
モンテネグロ産酒
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大使は取材中もタバコを吸い、酒も勧めて笑顔を絶やさなかった。ドーニャ(日本名=マルメロ)という果実から作った「SUZA」という名のアルコール40度の酒。「気楽に」と昼間から杯を傾ける。客人をもてなす気持ち、リラックスした雰囲気を率先して作る気持ちは、同国の伝統の一端を示していると言える。ただ隣国「クロアチア」の話を軽はずみに振ると気まずい空気に変わった。そのことが辛すぎた。
同国の伝統的な一戦といえばベオグラード・ダービーと呼ばれるレッドスターvsパルチザン。「難しい話はなく国民は2つに分かれ、心から熱くなれる」と大使。欧州サッカーのダービー戦につき物の、暴動のイメージは同国には当てはまらないという。国際試合でも近い将来、サッカー独特の「熱狂」が当たり前のように同国を包むことを希望する。
サッカー観戦は最高ランクの席でも1500円程度で買えるということ。「スポーツを楽しむなら、セルビア・モンテネグロにおいで下さい」とアピールしていた。なお、夏は蚊取り線香を持参すること、冬はスキーがお奨めとのことだった。
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