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W杯アジア1次予選・弾丸ツアー体験記〜オマーン編〜

 nikkansports.comサッカーメールマガジンをご覧の皆さま初めまして。チャコの同期のミニーと申します。このたびチャコの依頼を受けて、先日参加した「日本対オマーン戦観戦弾丸ツアー」の体験記を書かせていただくことになりました。メルマガの各企画を愛読している読者の一人として、こういった形で原稿を掲載できる幸運に恵まれ、非常に喜んでおります。それではしばらくの間、感動と興奮に彩られたオマーンの旅を皆さんと一緒に振り返っていきたいと思います。


オマーン戦応援スケジュール
10/12
(火)
全体地図オマーン周辺地図
23:20 大阪/関空発
10/13
(水)
05:15 ドバイT着
08:15 ドバイT発
09:15 マスカット着
16:00 スタジアムへ
18:00 オマーン戦観戦
20:00 観戦終了、空港へ
10/14
(木)
00:45 マスカット発
01:35 ドバイ着
02:30 ドバイ発
17:00 大阪/関空着
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

関空に着いたのは午後9時過ぎ。関空発終電(?)でドバイに向かいます。
関空に着いたのは午後9時過ぎ。関空発終電(?)でドバイに向かいます。

飛行機
ドバイまで10時間半かけて、我々を運んでくれるエミレーツの飛行機です

空港内
出発まであと30分。羽田組が合流し、にぎやかになってきました

出発
いざ、出発です

1.いざドバイへ−真夜中の関空出発

 10月12日(火曜日)午後9時。極東の島国から中東に旅立つべく、私は関西国際空港に向かっていた。徹夜明けの頭は1分でも多くの仮眠を訴えていたが、隠しようのない興奮に襲われていた私は空港までの特急の中で一睡もできなかった。出発4日前になって、やっと開催が決定した「弾丸ツアー」。おそらく、現地の人と結婚でもしない限り、人生の中で訪れることはないだろうと思っていたオマーンの地をあと10数時間後には踏むことができるのだ。世界中で行われているサッカーというスポーツの魅力にとりつかれて5年、おそらく今回の旅は特別のものになるはず。そんな予感に震えた。

 関空にたどりつき、旅行会社のカウンターで往復の航空チケットを受け取る。今回の旅に添乗員などという甘っちょろいものは付かない。往復および現地での「足」、そして観戦チケットだけは旅行会社のお世話になるが、あとは独力で乗り切っていくしかない。だからこそ13万円強という値段でオマーンまで往復できるのだ。

 出発30分前、羽田経由で東京方面からの乗客が合流した。サッカー観戦と思われる若者が大部分。その夜のドバイまでのフライトは満席だった。おそらく乗客の多くは同じ目的−ドイツへの最初の関門に挑む青き戦士たちの姿を見たい−−そんな思いで10時間半の長旅に参加するのだろう。次はマスカットで会おう、そんな思いをこめてお互いに目礼を交わす。午後11時10分、ドバイ行きEK317便は日本を離れた。

 今回の旅のもう一つの楽しみは、全行程を通してエミレーツ航空でのフライトを体感できることだった。最新鋭の機体と一流のサービスで世界各国の航空会社の中でも、極めて高い評価を得ている。「各座席に専用の電話がついている」「時差ボケを解消するために、客室の天井にプラネタリュームのような星を映し出すシステムがある」…多くの人から聞いた嘘か本当か分からない話を確かめる機会がやってきた。

 結論から言うと、エミレーツの客席自体は想像していたほどの目新しさはなかった(日本路線には最新鋭の機体が使われていないのかもしれないが)。プラネタリュームらしきものも見当たらなかった。しかし、やや広めの座席(エコノミーでも2・3・2の配置だった)と座席ごとの電話(クレジットカードを通して使う)が高評価の片鱗を示していた。

 そして、なによりも食事! 離陸後まもなくメニューが配られたのにも驚きだったが、バリエーションの豊富さは見事の一言だった。たとえば、関空〜ドバイ間で食した2食のメニューはこんな感じだった。

◎夕食
うな丼
まさか、うな丼が味わえるとは…
前菜 スモークサーモン
主菜 うなぎの蒲焼(花人参、椎茸とグリンピース添え)
または薄切りビーフのソテー(グリーンペッパーソース、マッシュポテト、か ぼちゃ、さやえんどうとマッシュルーム添え)
◎朝食
オムレツ
今度は洋食を選んでみました。ちなみにアスパラガスのオムレツです
ジュース オレンジジュース
前菜 季節の果物
主菜 鮭塩焼き(ご飯、グリーンピース、玉子焼き、焼きたらこ、花人参、わかめと大根添え)
またはアスパラガスのオムレツ(オーロラソース掛けハッシュブラウンポテト、子牛のグリルソーセージ添え)
ブレット クロワッサン

 地上での日常生活で店屋物漬けの生活を送っている私にとっては「別世界」の食事だった。ガイドブックを読むために眠らないようにしよう、と思っていたのだが満腹になる同時にあえなく「沈没」。結局、着陸間際の1時間ぐらいしか「予習」ができなかった。でも大満足。機内で時計を5時間戻す。現地時間午前4時50分、ドバイ着。ついに中東にやってきた。


朝のドバイ
約10時間半のフライトを終えてドバイ到着。世界有数の免税店街がお出迎えです

車プレゼント
日本人観光客にも人気の高級車プレゼント

金売ってます
石油算出以前からUEAの特産品だった金もしっかりと売っています

水タバコ
中東ではおなじみの水タバコ。インテリアとして買ってもいいかも

2.ドバイからマスカットへ−眠らない港

 アラブ首長国連邦(UAE)の首都・ドバイ。昨年、エミレーツ航空のドバイ〜ニューヨーク路線が就航したことで、文字通り世界中の人々を迎え入れる都市となった。その繁栄ぶりは空港の中を歩くだけでも実感できる。この空港は「眠らない港」である。24時間体制で飛行機が発着することもあり、空港1階にある免税店街には常に多くの人たちが行きかっている。

 ここで話題を集めているのが「くじ」である。といっても景品がハンパではない。1000人に1人の割合で高級車やオートバイが当たり、5000人に1人の割合で100万ドルが当たる。現実問題として、日本人が車を当てたとしても輸送などで問題があると思うが、思わず商品に見入っている自分に気づく。グラム単位で売買されている金のアクセサリー、凝った装飾の水タバコ、そして品定めをする様々な国の人々−−ここで一番の売り物は「非日常的な何か」なのかもしれない。

 免税店街を何周もしているうちに乗り継ぎ便の搭乗時刻が迫ってきた。午前8時15分発EK862便、マスカット行き。何かお土産を買っていこうかと思ったが荷物になることを考えて断念。「これはいい」と思った品物を覚えておくことにする。

 搭乗手続きを終えて、再び機上の人へ。もっとも今回のフライトは1時間足らず。離陸して、眼下に広がる一面の砂漠を見ているうちに終わった。そんなフライトでも食事が出る。着陸15分前、まもなく高度を下げようかというときにフライトアテンダントがサンドイッチを配り始める。もう、食事はいいよ。そう思いつつも、しっかり2個頂く。取れるときに、しっかり食事を取る。これこそ強行日程を乗り切る秘訣。

 飛行機が右に急旋回した。地上の風景が回転し、次の瞬間、濃紺の海が目の前に広がった。日本を発って15時間後、決戦の舞台・オマーンの大地が見えた。現地時間午前9時30分、オマーン・シープ国際空港到着。


シープ国際空港
外見は地味、内部はもっと地味なオマーンの玄関口・シープ国際空港

ルイ地区の街並み
ルイ地区の街並み。中央にそびえ立つのはシェラトン・ホテルです。この国で高い建物といえば、まずホテルと考えて間違いありません

マトラ・スーク
中東でも指折りの市場、マトラ・スーク。30分前に行きたかった…

マトラ・フォート(砦)
市場と並ぶもう一つのマトラ名物、マトラ・フォート(砦)。一番古い部分は17世紀のものだそうです

クロックタワー
ルイ地区のシンボル、クロックタワー

カブース湾
市場を抜けるといきなりカブース湾が目の前に。絵になる風景です

Tシャツ
たぶん、ニセ物だとおもうけど…海外サッカー人気の高さが感じられます

3.マスカット−近代と伝統、2つの顔

 長いようで短い飛行機の旅。日本から1日弱で地球を約3分の1周してきた。そして今、私はオマーンにいる。関空で見かけたいくつもの顔と再会を果たす。異国情緒は薄くなるけど、同じ目的で集まった同国人と旅先で出会うことほどホッとすることはない。日本人同士で一団となってビルへ。入国するために、ほとんどの人がここでビザを取る。そんなに難しいことではない。空港そなえつけの申請用紙(宗教上の理由だろうか、母親の名前や信仰する宗教を書く欄があった)と帰りの航空券、手数料(6オマーンリアル=約1800円)を提出するだけ。ただし、係員のところにたどり着くまでが長蛇の列。外では現地のコーディネーターが待っている。約束の時間は9時15分。飛行機が遅れたこともあり、すでに遅刻だったが、さらに合流が遅れる。並ぶこと1時間、やっとビザ取得。大急ぎで到着ロビーに向かう。白い民族衣装を身にまとった20代後半と思える男性が声をかけてきた。

 「○○トラベル?」「イエス。アイム ソーリー…」「オーケー、オーケー」どうも様子がおかしい。同じツアーに参加する他の人が到着していないのだ。10分、20分と待っても私1人だけ…。コーディネーター氏が同じ衣装の男性(おそらく空港の職員)と何か話を始めた。と、その男性が空港の中に入っていく。5分後、彼に連れられて10名ほどの日本人がロビーに入ってきた。どうやら手続きを早めてもらったようだ。これで、やっと出発と思いきや、コーディネーター氏が首をひねる。「まだ1人足りない」。

 何と乗客名簿にも載っていないという。ドバイで乗り遅れたのだろうか。「もうしばらく待つ」。その「もうしばらく」が、まさか1時間半にもなるとは…。その次の便でも来なかった。どうやら出発当日になってドタキャンしたのが、コーディネーター氏に伝わっていなかったらしい。結局、空港を離れたのは正午過ぎ。マスカット第1歩で早くもつまづいた。

 何といっても痛いのが、これで観光の時間が大きく削られるということ。マスカット市内でひとまず解散し、午後4時に集合。というのが事前に聞いていたスケジュールだった。午後4時というリミットが決まっているだけに、解散時間が遅れれば、それだけ自由行動の時間から引かれることになる。しかも、オマーンは大半の店が午後1時で店を閉めてしまう(午後4、5時から夜の営業をするのが一般的)。土産物を探すことは、あきらめざるを得ないようだった。仕方ない、ドバイで買うことにしよう。

 マスカットは大きく3つに分かれる(囲み記事参照)。一番西側にあるルイ地区で解散した我々は、ホテルで休養する人を除いて、各自が自由行動を始めた。時間がないことは全員が知っている。それこそ、全速力で各方面に散っていった。私はマトラに向かうタクシーを捜した。オマーンのタクシーにメーターはない。料金は事前交渉が基本。車で約20分ほどのところだから1オマーンリアルほどだろうと考えて、近くで世間話をしていた運転手に声をかける。「ワン リアル」。1人目で交渉成立。

 中東屈指の市場であるマトラ・スークは見逃せない−−機内で読んだガイドブックには、そう書かれていた。目の前に確かにマトラ・スークはあった。だが、人影はまばら。時計を見る。午後1時30分。“本物”のマトラ・スークは30分前に閉まっていた。これだけは見逃したくなかったのに…。仕方なく路地を歩き、手当たり次第に写真を撮る。「ヘイ、ジャパン」「オマーン2−0ウイン」すれ違う人たちが口々に声をかけて、路地へと消えていく。道を歩いてもシャッターを下ろした薄暗い空間が続くだけ。なんとなく悔しかった。

 5分ほど歩くと出口が見えた。出てみるとそこは港。街とは別世界の光景がそこにはあった。飛行機から見ても、オマーンの海が透明なことは分かっていた。でも、地上で見たそれは日本にはない輝きを放っていた。赤茶色の山とモスクと透明な海。「中東にやってきたんだな」。ドバイやマスカットの街中では今ひとつ感じることのできなかった、中東の風景がそこにはあった。近代的な道路が海沿いに伸びていた。道なりに歩いてみる。

 「現在のオマーン国王は教育と伝統文化の継承に力を入れている」と以前聞いたことがある。大部分の人が公用語のアラビア語だけでなく、英語も習得していることからも教育水準の高さはうかがえたが、伝統文化の継承に関しては正直、実感できなかった。道路沿いに立つフォート(砦)を見るまでは…。

 フォートは大航海時代にこの地方で貿易を行ったポルトガル人が築いたものである。西洋の城郭を思わせる石造りの建物が、小高い山にへばり付くようにして建っている。主なフォートにはマトラ、ミラニ、ジャラリといった名前が付いている。これらのフォートは観光客への開放を行わず、国の保護政策によって、保存や再建工事が続けられている。紺碧の空に映える茶色の外壁の美しさが、そうした政策の正しさを証明しているような気がした。

【マスカットの3大地区】

 いわゆる「マスカット」は正式には「グレーター・マスカット」(Greater Muscat)と呼ばれ、大きく7つの地区に分かれる。その中でも中心部といえるのが、東側に位置する3つの地区「ルイ」「マトラ」「オールド・マスカット」である。

マスカットの中心部・ルイ

「ルイ」(Ruwi) 3地区の中で最も西に位置する、内陸部の商業地帯。シェラトンなどの国際的なホテルなどが多く存在し、オマーン観光の拠点として最適である。国立博物館、オマーン国軍博物館、クロック・タワーなど観光名所の多くがこの地区に建つ。



マトラ・フォート(砦)

「マトラ」(Mutrah) ルイからタクシーで約15分。カブース湾に面した港湾地区。中東有数の市場として名高いマトラ・スークが大きな観光の目玉。他にも17世紀に再建された砦、マトラ・フォートが地区のシンボルとなっている。


「オールド・マスカット」(Old Muscat) ルイからタクシーで約20〜30分。オマーン国政の中心、アラム・パレスを始めとした官公庁が多く立ち並ぶ。ミラニ、ジャラニという2つの砦や、フランスとの友好を記念して建てられたオマニ・フレンチ博物館など見どころも多い。

その他の地区 3地区と空港の間には、各国大使館やショッピングセンターがあるアル・コローム地区、アル・フウェール地区がある。


スルタン・カブース・スポーツ・コンプレックス
近代的な設備が印象的だったスルタン・カブース・スポーツ・コンプレックス

地元日刊紙
地元日刊紙のひとつオブザーバーも1面を使って紹介

トラブル発生!ど〜なってんの?
トラブル発生!ど〜なってんの?

チケット
やっとの思いで入手したチケット。「チケット○あ」などで発券されるチケットとは…やっぱり違いますね

イス
スタジアム内部のイス

決戦の地
日本出発から約1日。ついに決戦の地にやってきました

ピッチ
試合開始1時間半前にも関わらず、既にこの観衆。アウエーの重圧がヒシヒシ

掲示板
「ワールドカップ2006アジア1次予選」とでも書いてあるのでしょうか。読めません

真っ暗
あたりはいつの間にか真っ暗。白い民族衣装が浮かびあがります

アップを始めた日本代表。周りは大ブーイング。正直、怖いです

一方のオマーン側もアップ開始

ジーコ発見!でもオマーンサポーターは気づいていない様子

ブラスバンドを先頭に選手入場。いよいよ決戦です

4.決戦−アウエーの洗礼…あったかな?

 またか、これで何台目だろう? マスカット散策を終えて、午後4時過ぎに再合流した弾丸ツアー一行。バスに乗り込みスタジアムに向かった。異変を感じたのは高速道路に入って間もなくのことだった。オマーン国旗を車体に貼り付けた1台の車が我々のバスの横を併走し始めた。こちらに向かって叫んでいる。英語ではない言葉でしきりに怒鳴っている。友好的な言葉でないことは明らかだ。そのうち乗っていた4、5人の男たちが一斉に中指を立てた拳を我々の方に突き出した。意味は言うまでもない。「こういうジャスチャーは万国共通なんだなぁ」。我々もそんなことを言える余裕があった。

 数分後、相手の車は3台に増えた。左右の車の窓が“中指立て”で埋まった。そばを通りかかったルートタクシー(オマーンの代表的な交通機関。日本でいう乗合タクシー)の乗客まで真似をし始めた。年齢が上になればなるほど、挑発的な態度もエスカレートしている。子供はそれを面白そうに眺めているだけ。「子供が真似するから止めろや」。そう相手に向かって怒鳴った瞬間、子供まで短い中指を突き出した。やれやれ、言わんこっちゃない。

 スタジアムに近づくに従って「完全アウエー」の雰囲気が増していった。出発前に我々は全員レプリカユニホームに着替えていたが、コーディネーター氏の警告で席に座るまでは上着で隠すことになった。カーテンを閉めたバスの中で着替える。その横を無数のオマーンサポーターが黙々と通り過ぎていく。

 駐車場でもオマーンサポーターに囲まれ、我々のバスはスタジアムから遠く離れた場所への駐車を余儀なくされた。人々の多くは我々を笑顔で見ていたが、その目は笑っていなかった。

 「○○トラベルさん? そんな団体は申請されていませんけど…」。当惑気味に答える日本大使館の職員。足元の地面が崩れるようなショックに我々一行の顔から血の気が引いた。

 前述したように今回のツアーは往復の飛行機チケットと観戦チケットを購入し、あとは単独で(今回の場合は団体になるが)行動するというスタイルを取っている。申し込みの段階でチケット代込みの旅行代金を支払っている以上、チケットは現地手渡しかスタジアムで受け取るものだと思っていた。しかし、スタジアムで待っていたのは、我々の分のチケットが確保されていないという知らせだった。

 ショックが過ぎると我々は逆上した。何のために10数時間もかけて日本からやってきたのか。目的地は目の前、5メートルのところにある。数万キロを移動してきた我々が、たった数メートル先の場所まで行くことができないのか。フランスW杯で日本人サポーターが巻き込まれたチケット騒動が頭をかすめた。まさか、自分たちの身にこんなことが起こるとは…。

 しばらく職員との押し問答は続いた。しかし、それで状況が改善するはずもない。聞けばチケットは若干ながら余っているという事。犯人探しは後でもできる、何としてでも試合を見なければ。しかしチケットはオマーンリアルでしか販売できないという。我々一行は16人、チケットは1枚10リアル。つまり160リアル必要ということだ。困ったことに我々の大部分はまとまった額のリアルを持っていなかった(オマーン国内で買い物をするという発想がなかったため)。既に銀行も閉まっており、両替もできない。そこに救いの神が現れた。「オレ、100リアル持っているけど」。あまりの無口さゆえに存在感の薄かったA氏である。この100リアルがモノを言って、我々は無事に全員分のチケットを入手できた。これ以降、A氏は全員から「大明神」という敬称で呼ばれることになった。

追記
 チケット騒動に関して、帰国後旅行会社からメールが届いた。チケット代金は返金するが、原因に関しては調査中とのこと。詳細は依然不明である。コーディネーター氏などの話を総合する限り、間に入った現地業者がチケットを持ち逃げしたのではないかという疑いを参加者一同は持っている。

 入口でスッタモンダをやっている内に、あたりはすっかり夕暮れ時になっていた。試合開始まであと1時間。急いでスタジアムに走る。「何、この数…」。対面のスタンドは白一色で埋まっていた。「スタンドを埋めるために、オマーン国民にタダ券を配った」。日本を発つ前にそんな話を聞いていた。試合会場であるスルタン・カブース・コンプレックスの収容人数は約3万4000人。日本人のために確保された席は約600席(日本大使館発表による)だという。ということは3万3千席以上は、白の民族衣装(赤のオマーン代表ユニホームを着ているサポーターも多かったが)を着たオマーン人に埋め尽くされるという。「ここまで完全アウエーな試合も珍しいな」。これまで数多くの日本代表戦を観戦してきたM氏がつぶやいた。

 白一色のスタンド以外にも日本のスタジアムでは考えられないことは多かった。たとえばアウエー席。セリエAやプレミアリーグなどの放送をご覧になった方ならご存知だと思うが、普通、アウエーのサポーターはどちらか一方のゴール裏の一角に押し込められる。今回、日本人サポーター席は何とメインスタンド(しかもチケットにはVIP席と書いてあった)。日本を初めとする諸外国では考えられない“厚遇”である。

 さらに、スタンド内に物を売る施設がない。トイレが1箇所あるだけで、売店などの類は一切ない。スタジアムの入り口から20〜30歩ほど(階段の上り下りを含める)の距離に客席がある、そんな構造だと想像していただきたい。

 そうこうしている内にブラスバンドを先頭に両チーム選手が入場してきた。一斉に大きなブーイングがスタジアムを包む。ついにこの時がやってきた。日本よりはるか西方の地で、日本サッカーの明日を決める決戦が始まろうとしている。時は現地時間10月13日午後6時20分。

 周りの静けさに気付いたのは前半の半ばを過ぎたあたりだったろうか。「オマーンサポーターの応援が聞こえない」。ひょっとしたら日本人サポーターの声だけが耳に入っていたせいなのかもしれない。ただ、それにしてもスタンドの大部分を埋めたオマーン人は静かだった。反応がなかった訳ではない。オマーンに不利な判定にはブーイングが飛んでいた。しかし、全員が声を挙げてのチャント(応援歌)などの合唱はついに試合終了まで聞くことが出来なかった。彼らは、ただ座っていた。白い壁は静かなままだった。

 「タダ券で入ったオマーン人が熱心に応援するだろうか」。出発前、私はこんな疑問を感じた。考えていたとおり、彼らから熱狂を感じ取ることはできなかった。ピッチ上で赤き戦士たちは頑張っていた。2月の埼玉で感じたスピード不足は完全に解消されていた。切れ味の鋭いカウンターが日本に襲い掛かり、唯一のプロ選手である守護神はやはり鉄壁だった。しかし、別世界で行われている出来事を見ているかのように、スタンドは静かだった。

 しかし、行進はオマーン側のピッチでも行われた。それも日本側で行った倍以上の時間をかけて。それに対してスタンドのサポーターは拍手を送った。本当にサッカーを知っている人たちなら、その行進がどれだけゲーム悪影響を及ぼすか知っているはずである。彼らにとってこの試合は「国の命運を賭けた一戦」ではなく「騒ぐことのできるお祭の一つに過ぎないのではないか」。彼らの反応を見て私は考えざるを得なかった。

 祭りである以上、終わりは必ずやってくる。鈴木のゴールが決まり、後半20分を過ぎたあたりで客席の白い壁が崩れ始めた。出口へと向かう人の流れは、徐々に太く長くなっていく。後半40分過ぎにはバックスタンドの一角で発炎筒が燃え出した。周りの観客が逃げ惑う様子は「4年に1度の祭」の終わりを物語るにふさわしいものだった。

 1−0でタイムアップ。目的地・ドイツが少しだけ大きく見えてきた。しかし、引き上げる選手たちに笑顔も浮かれた様子もない。彼らもこれから先の道程の険しさを知っているのだろう。そこには「本当のアウエー」を味わわせてくれる観客が待っているはずだ。

タクシー
白地にオレンジラインが目印のタクシー。「ジャパン! タクシー!」と運転手が叫んでいました

タクシー
車窓から見るマスカットの街は非常に鮮やかでした

きれいな水
都市にある海とは思えないほど、とてもきれいな水でした

デーツ
デーツ2箱セット

個人モニター
関空初の飛行機で撮れなかった個人モニター。エコノミーでも1人1台付いてます

5.帰国−弾丸ツアーを終えて

 あれだけの「白の大軍」が嘘のように消えた試合終了後、日本人サポーターはスタジアムに残された。「今、外に出て行くのは危険なのでご協力願いたい」。現地警察からのメッセージが聞こえてきた。試合中はあまり実感として感じることがなかった、アウエーでの一戦だったということを思い出させてくれる、そんな“声”が何度も近くのスピーカーから流れていた。オマーンサポーターの退場が思ったよりも早かったため“缶詰め”も15分ほどで解除。記念写真を撮ったり、ベンチに戻ってきた(忘れ物か?)ジーコ監督に声援を送っていた我々は、名残りを惜しみながら決戦の舞台を去った。

 我々はオマーンサポーターは淡白だと思っていた。甘かった。空港へ向かう我々のバスは往路と同じようにオマーン国旗を貼り付けた車に包囲されていた。もっとも、彼らの表情に敵意はない。「ナカ〜タ、ナカ〜タ」。恐らく彼らが知っている唯一の日本人プレーヤーであろう中田の名前を連呼する。彼らの前でプレーできなかった、いやオマーンの地を踏むことすらできなかった中田の名を。それが日本人に対する彼らなりの祝福の言葉なのだろう。空港までの30分間、時ならぬ「ナカタコール」は続いた。

 この路線には定時というのが存在しないのだろうか。マスカット発ドバイ行きEK865便は30分遅れで離陸した。すでに14日(木)に突入し、時計の針は午前1時20分を指している。ドバイ発関空行きの搭乗開始時刻は2時00分。このままでは間に合わない。エミレーツの乗り継ぎだけに、時間通りに(日本人を乗せずに)出発するということはないと思う。しかし、綱渡り的な乗り継ぎになることは間違いない。何としても、日本に帰らなくては。

 ドバイ到着2時10分。関空行きには間に合いそうだ。しかし、お土産を買っていない。何とかダッシュしてでも免税店街に行かなくては。焦りながらセキュリティチェックを通る。運は我々に味方した。何と、チェックの出口が免税店街のすく横だったのだ。いずれにせよ、じっくり選んでいる暇はない。花瓶も水タバコもあきらめた。デーツ(なつめやし)の詰め合わせを2箱買って、搭乗口へと走った。搭乗口をくぐった私の後ろから数人が駆け込む。そして、搭乗ゲートは閉じられた。よかった、無事に帰れる。

 こうして0泊3日の「弾丸ツアー」は幕を閉じた。時間が足りず、思っていたことの半分もできなかった。そういう意味では満足のいく旅行だったは言えない。しかし、強行日程を乗り切り、無事日本に帰ることができたことへの達成感をそれ以上に感じることのできた旅だった。たとえ1日弱の滞在だったとはいえ、確かに中東の地を踏んだのだ。 帰国後、私は会社に直行した。休みを取ったのは水曜日1日だけ。ほとんどの人が2日間休みを取って、今回のツアーに参加した。つまり、2日休みを取れば(満喫できるかどうかはともかく)中東の街を歩き、ショッピングをして、サッカー観戦を楽しむ―そんな非日常の時間を味わうことができる。長期滞在とは違った海外旅行の新たな形がそこにはある。

 来年2月からW杯アジア最終予選が始まる。次に「弾丸ツアー」で訪れるのはイラン?カザフスタン?北朝鮮?? そこで待ち受けている出来事を想像していると組み合わせ抽選の日が待ち遠しくなってくる。サッカーファンなら是非、一度は体験してほしい「究極 の楽しみ」。その魅力を知ったことが今回の旅で最も大きな収穫だった。

【オマーン基本データ】
正式国名オマーン首長国(Sultanate of Oman)
面積 約31万km2(日本の約4分の3)
人口 約260万人(01年末現在)
首都 マスカット(人口62万人)
元首 スルタン・カブース・ビン・サイード国王(1970年即位)
政治形態 絶対君主制
人種 アラブ人、首都周辺には南アジアからの出稼ぎ労働者も多い
言語 公用語はアラビア語。ただし、首都周辺などでは英語が広く通じる。首位のホテルにはドイツ語、フランス語などが話せるスタッフも多く存在する。
宗教 イスラム教(イバード派が主流)
気候 四季は存在するが、春秋は極めて短い。マスカットを始めとした沿岸地域は湿気も高く、夏場には平均気温が32〜48℃に達する。
通貨 通貨単位はオマーン・リアル(RO)とバイザ(Bzs)。
RO1=1,000Bzs=365円
時差 日本より5時間遅れている。オマーンが正午のとき日本は午後5時
交通 オマーンに鉄道は存在しない。市内の移動はタクシーやルートタクシー、長距離移動は飛行機(オマーン航空)、バスが一般的。
ビザ 必要。シープ国際空港時に観光ビザ(RO6)と商用ビザ(RO10)取得可能。
関連サイト ・オマーン国基本データ(外務省ホームページ内)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/oman/
・在オマーン日本大使館
http://www.oman.emb-japan.go.jp/japanese%20hp/japan%20page1.htm

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