<W杯アジア1次予選3組:日本1−0オマーン>◇13日◇オマーン・マスカット、スルタン・カブース競技場
【マスカット(オマーン)13日=田 誠、西尾雅治、盧載鎭】FW鈴木隆行(28=鹿島)とMF中村俊輔(26=レジーナ)が、W杯最終予選への道を切り開いた。日本サッカー界の命運がかかったオマーン戦の後半7分、中村がドリブルで相手DF2人をかわして左サイドからセンタリング。これを鈴木が頭でたたき込んで予選3戦連続ゴールを決めた。1−0で勝った日本は5連勝で勝ち点を15とし、11月17日のシンガポール戦(埼玉)を残して1次予選突破を決めた。最終予選は来年2月スタート。06年W杯ドイツ大会へ第1関門を突破した。
日本サッカー界の未来を左右する1発だった。左サイドからのセンタリングに、鈴木が額をぶつけていく。DFより高い打点から放ったヘッドは、GKの逆をついて決勝点に変わった。前半の日本のシュートは、わずか1本。後半7分の2本目が、気温30度を超える空気を切り裂いて、ジーコジャパンの未来を明るく照らした。
2点差以上で負ければ、W杯は絶望的。引き分け以上で最終予選に進めるという大一番は、先制点で楽になった。「非常に大事な試合と理解していたのでよかったです」。ジーコ監督から「FWの軸」と指名されていた鈴木は、口元をわずかに緩めた。7月からアジア杯を挟んで11戦連続先発。6月9日、9月8日のインド戦に続いてアジア1次予選3戦連続のゴールで、期待に応えてみせた。
ジーコ監督との付き合いは、日本代表21人の中で誰よりも長い。95年に鹿島入りしたが、出場機会に恵まれなかった。ジーコが創設したブラジルのCFZに留学したのは97年3月。約半年間で同クラブを3部から2部に上げる原動力になった。その後は日本に戻るも、99年にジーコから声が掛かって再び海を渡った。時を隔てて、今は日本代表を指揮する立場と最前線でゴールを狙うストライカー。積み重ねた信頼関係は、日本の運命を好転させた。「ほかの試合でほとんど活躍してないんで…。大事な試合で実力以上の働きをするのがボクのスタイルですから」と冗談めかして言った。
アシストは、中村だった。左サイドでボールを受けてドリブルを開始。ペナルティーエリア内に進入し、左足1本で緩急自在にボールを操った。DF2人をもてあそび、体勢を崩しながらセンタリングを上げた。「鈴木さんが遠くに見えたので、フワッと浮くボールを送った」。世界に通じる技術が1次予選突破を決めるゴールにつながった。
研究を尽くした成果だった。イタリア南部にいながら、関係者を経由してこれまでの日本−オマーン戦のDVDを入手。独自に2度、検証した。オマーンに先乗りした知人からは逐一電話で、気象状況など情報を仕入れた。細かく分析した成果が1本のパスに乗り移り、最終予選への扉を開いた。
鈴木が「とりあえず突破できてよかった。最終予選? もちろん、W杯に出場できるよう全力で頑張ります」と言えば、中村は「これが日本の集大成ではない。あくまで通過点。最終予選へ、僕も力をつけたい」と前を向いた。勝つか負けるかで、すべてが変わる。しびれるような90分を終えると、来年2月から始まる最終予選の向こう側が視界に入ってきた。
[2004/10/14/09:23 紙面から]
写真=後半7分、鈴木(左)はアルラカディをかわし先制ゴールを決める(撮影・鹿野芳博)
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