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鹿島3発!20世紀最強チームだ

 <チャンピオンシップ:第2戦>◇00年◇12月9日◇国立
鹿島アントラーズ 3−0
0−0
横浜マリノス

年間優勝を飾り喜ぶ鹿島イレブン

J史上最多!鹿島が3度目V

 これが鹿島だ。20世紀最強のチームだ。MVPに輝いたMF小笠原満男(21)を中心に試合を制した鹿島が、横浜を3−0で圧倒。 単独トップとなる2年ぶり3回目のJ1年間総合優勝を飾った。序盤こそ攻め込まれたが、前半24分にMF中田浩二(21)が横浜の司令塔・ 中村俊輔(22)のパスミスを誘ってFW鈴木隆行(24)の先制ゴールにつなげると、後は一方的な展開となった。ナビスコ杯に続くタイトルを 獲得した鹿島は、天皇杯で史上初の3冠を狙う。

 2000年、そして20世紀のJリーグをしめくくるホイッスルが鳴った。こぶしを突き上げ、天を見上げ、抱き合った。静かな喜びの中にあった 笑顔は、みるみる涙へと変わった。試合を完ぺきにコントロールした最強の男たちも、この感情だけは抑えることができなかった。「われら〜、 Jリーグチャンプ〜」。鹿島サポーターの歌う王者のテーマが、国立に響いた。

 強かった。チャンピオンシップ史上最大の得点差。完膚(かんぷ)なきまでに横浜をたたきつぶした。序盤こそ攻め込むことを許したが、 これは「守備から入る」(セレーゾ監督)予定通りの行動だった。相手の攻撃をがっちり受け止めると、そこから一気の攻勢で試合を決めた。 完ぺきな「横綱相撲」だった。

 中田の「俊輔つぶし」から先制点が生まれた。右サイドでボールを持った中村に立ちはだかり、パスコースを限定した。「タテに突破されるの が一番イヤだった。サイドに追い込んでパスをさせれば、ほかの選手が何とかしてくれると思った」。

 中田の狙い通り、中村のパスを小笠原がさらった。インターセプトすると同時に、小笠原はイレブンの思いを乗せたドリブルを始めた。 相手DFにつっかけられながらも執念でボールをつなぐと、最後は鈴木がこん身のミドルシュートをたたき込んだ。「MVPはみんなに取らせて もらったようなものです。みんなにごちそうします」。MVP男はそう感謝した。

 120分の激闘を繰り広げた第2ステージ最終節決戦の柏戦、そしてチャンピオンシップ第1戦を0−0で乗り切った。手に汗握るスコアレス ドローの連続だった。だが、それを面白く思わない人たちもいた。

 「あなたたちは攻めることができないの?」。ホームページ経由で送られてくる電子メールの中には、こうした戦いを中傷するものもあった。 その批判を払しょくするように鹿島は攻めた。名良橋の技ありゴールで2点目、中田のセンタリングが直接入るという幸運なゴールで3点目を 奪った。

 横浜の必死の反撃は、鉄壁の守備陣がはね返した。今季台頭した若手とベテランが絶妙のハーモニーを奏でた。90分にわたって、強さだけ を誇示し続けた。まったくスキは見当たらない。だが、秋田は「まだまだ未完成だよ」という。成長を続ける20世紀の「最強軍団」が、21世紀の Jリーグも席けんする。【小西弘樹】

(写真=年間優勝を飾り喜ぶ鹿島イレブン)



 <チャンピオンシップ:第1戦>◇00年◇12月2日◇横浜国
鹿島アントラーズ 0−0
0−0
横浜マリノス

スコアレスドロー…決戦は第2戦へ

 鹿島が狙って引き分ける強さを見せた。攻撃のタレントがそろう横浜相手に、もくろみ通りのスコアレスドロー。ボランチ中田浩二(21)を 軸としたMF陣が、横浜の司令塔・中村俊輔(22)を封じ込み、0−0で90分を終えた。横浜攻撃陣のプライドをズタズタにした鹿島が9日の 第2戦で決着をつける。

 鹿島のパーフェクトゲームだった。0−0で試合を終えた瞬間、ビスマルクは「勝利のポーズ」をとった。秋田と本田は肩をとり合った。 中田は「ふうっ」とひと息入れてから、チームの輪に笑顔で加わった。声の出ない横浜サポーターに対し、鹿島サポーターは勝ちゲーム同然の 声援と拍手で選手たちを迎えた。このドローについての意味を、スタジアムにいる全員が理解していた。

 「勝因」は単純明快だった。中村を中盤で完ぺきにつぶし切った。鹿島の守備が最終ラインだけでないことを、4人のMFが証明した。教科 書通りのボックスディフェンスで、中田、熊谷、ビスマルク、小笠原が次々に襲いかかった。その底の部分から、中田がプレッシングの指揮を 執った。中村はポジションをズルズルと下げた。最後まで、4人が形成する台形のカゴの中から出さなかった。「特定のマークをつけず、(中村の) 近くにいる人間があたることになっていた。その方が抑えやすかったですから」(熊谷)。鹿島の包囲網に見事にはまり、横パスとバックパスを繰り 返す中村の姿に、戦いながら自信を深めていった。

 「シュン(中村)さえ抑えれば点を取られないのはある程度分かってました。(三浦の)サイド攻撃もシュンからパスが出なければ怖くないで すからね。下がれば下がるほど、こっちはノッていけましたからね」。中田は満足した表情で、アジアを制した日本代表の司令塔に何もさせな かったことを喜んだ。

 「無失点に抑え切ること」。これが唯一の戦術だった。後半39分にはマークのスペシャリスト本田を投入し、ロスタイムにはDF羽田を入れて 5バックにしてしのいだ。第2ステージでは、15試合のうちの4試合で引き分けた。J初の最終節決戦となった柏戦でもスコアレスドローに持ち 込んだ。延長を含めて120分あるJリーグでは無理と思われた「引き分けで勝ち点を拾う」という戦術を遂行し、優勝にたどりついた。そういう 戦いをずっと続けてきたイレブンにとっては、90分をしのぎ切ることは、苦痛でも何でもなかった。

 これで、攻撃サッカーを標ぼうする横浜の自信を粉々にした。ホームの第2戦(国立)には、この日の3000人をはるかに上回る数のサポーター が駆けつけ、スタジアム全体を味方につけて戦える。常勝軍団のプランに狂いも曇りもない。J1最多の3度目の年間王者まで、あと90分だ。 【小西弘樹】

日刊スポーツ紙面で振り返るチャンピオンシップ




  • 1993年 ヴェルディ川崎−鹿島アントラーズ
  • 1994年 ヴェルディ川崎−サンフレッチェ広島
  • 1995年 横浜マリノス−ヴェルディ川崎
  • 1996年 鹿島アントラーズ(1シーズン制のため開催なし)
  • 1997年 ジュビロ磐田−鹿島アントラーズ
  • 1998年 鹿島アントラーズ−ジュビロ磐田
  • 1999年 ジュビロ磐田−清水エスパルス
  • 2000年 鹿島アントラーズ−横浜F・マリノス
  • 2001年 鹿島アントラーズ−ジュビロ磐田
  • 2002年 ジュビロ磐田が第1、第2ステージ完全制覇のため開催なし
  • 2003年 横浜F・マリノスが第1、第2ステージ完全制覇のため開催なし

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