


2002年
(第1ステージ11位、第2ステージ8位)

<磐田対浦和> 前半43分、浦和DF坪井慶介(左)は身体をキッチリ入れて磐田FW中山雅史の動きを封じた=2002年9月14日 |
01年12月、94年から浦和を離れていた森孝慈氏が8年ぶりにクラブに戻ってきた。ゼネラルマネジャー(GM)としてチームづくりの一切を任された森氏は、着任当日にハンス・オフト氏に電話を入れ、監督就任を要請した。オフト氏はその場で受諾した。
オフト監督は初来日した82年、短期間ながらヤマハ(現磐田)の指導をして以来、日本のサッカーと深くかかわり、大きな足跡を残してきた。92〜93年にかけては日本代表監督を務め、W杯まであと一歩というところまで導いた。日本代表に近代的な戦術を植え付け、アジアの強豪に成長させたのは、オランダ人のこの男だった。94年からは磐田の基盤を作る仕事に従事し、98年には京都も指揮した。オフト監督の下、浦和がどう変わるのか。サッカーファン全体が注目していた。
広島監督も務めたヤンセン氏をヘッドコーチに迎えたオフト監督は「3年計画」を掲げ、チームの基盤作りを始めた。しかし、結果を思うように出せなかった。
第1Sは、井原を中心に据えた守備隊形で、ストッパー初体験の内舘秀樹、新人の坪井慶介の3バックで臨んだ。開幕3連敗を喫すると、すかさず攻撃陣にメス。福田を攻撃的MFに下げ、エメルソン、トゥットの2トップの布陣に変更したが、決定力不足は深刻だった。

<浦和対横浜> 今シーズンのリーグ最終戦を終えた浦和福田正博はサポーターから花束を贈られ笑顔を見せる=2002年11月30日 |
だが、第2Sから流れが変わってきた。開幕から勢いに乗り、開幕9試合を8勝1分けの無敗とし、首位に立った。中でも第7節神戸戦(駒場)8節京都戦(西京極)ではエメルソン、トゥット、永井の3トップが爆発。2試合7得点をこの3人で挙げた。
並行して行われたナビスコ杯でもエメルソンが大活躍。準々決勝で決勝点、準決勝ではハットトリックで、初の決勝進出に導いたのだ。
しかし、ナビスコ杯決勝直前に急ブレーキがかかってしまう。Jリーグ「首位」とナビスコ杯「決勝進出」の重圧に耐えきれず、選手が金縛り状態になってしまったのだ。
何と、10月23日の第10節鹿島戦(カシマ)戦から、公式戦8連敗でシーズン終了。しかも、そのうち6試合が0−1の敗戦。ナビスコ杯決勝も鹿島に0−1で敗れた。結局、第2Sは8位。年間順位も16チーム中11位にとどまった。
さらなる飛躍を目指すオフト監督は、シーズン終了を待たずに浦和の象徴だった「ミスター・レッズ」福田と、2年間チームを支えた元日本代表主将の井原を構想から外した。日本サッカーの一時代を築いた両ベテランは、惜しまれながらフィールドを去った。
| <トピックス> |
| 月日 |
出来事 |
| 1月11日 |
新監督にオフト氏、ヘッドコーチにヤンセン氏の就任を発表。 |
| 3月3日 |
横浜戦(横浜):開幕戦0−1で敗戦。坪井慶介がデビュー。 |
| 4月14日 |
仙台戦(宮城):福田正博のVゴールで2−1で勝利。仙台の開幕5連勝を止める。 |
| 5月9日 |
鹿島戦(ナビスコ杯・笠松):3−2で勝利し、予選1位突破。 |
| 7月13日 |
磐田戦(埼玉):日韓W杯後最初の試合に5万8000人集まる。2−3のVゴール負け。 |
| 9月28日 |
清水戦(埼玉):トゥットのVゴールで2−1で勝利。98年10月以来の首位。 |
| 10月2日 |
G大阪戦(ナビスコ杯準決勝・万博):エメルソンのVゴールで3−2で勝利。チーム史上初の決勝進出。 |
| 10月12日 |
京都戦(西京極):前節神戸戦に続きエメルソン、トゥット、永井雄一郎の3トップが爆発。4−1で勝利。 |
| 10月19日 |
名古屋戦(埼玉):エメルソンのVゴールで2−1で勝利。開幕9戦を8勝1分け。同点ゴールの福田正博が試合後インタビューで「負けないよ」発言。 |
| 10月23日 |
鹿島戦(カシマ):1−2で敗れ初黒星。 |
| 11月3日 |
鹿島戦(ナビスコ杯決勝・国立):0−1で惜敗し初タイトルならず。ニューヒーロー賞に坪井慶介。 |
| 11月18日 |
福田正博、井原正巳に戦力外通告。 |
| 11月30日 |
横浜戦(駒場):第11節東京V戦から5戦連続の0−1敗戦。井原正巳が現役最終戦。 |
| 12月15日 |
福岡戦(天皇杯・駒場):1−2で敗れ3回戦敗退。福田正博の現役最終戦飾れず。試合後、800人のサポーターが選手バス囲む。 |
| 12月29日 |
札幌から山瀬功治を獲得。 |
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| <主なメンバー> |
| 位置 |
氏 名 |
| GK |
山岸範宏 |
| DF |
井原正巳、坪井慶介、平川忠亮、室井市衛 |
| MF |
山田暢久、鈴木啓太、内舘秀樹、アリソン |
| FW |
エメルソン、トゥット、永井雄一郎、田中達也 |
| 監督 |
ハンス・オフト |
| コーチ |
ビム・ヤンセン |
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2003年
(第1ステージ6位、第2ステージ6位)

<仙台対浦和> 後半22分、ゴールを決めた田中達也はこの試合2得点をあげる大活躍=2003年9月27日 |
就任当時から「優勝争いをするまでに2年はかかる」と語っていたオフト監督は、トップ下の補強として、元ブラジル代表のエジムンドを迎え、新しいチームづくりに着手した。
ところが、エジムンドは「基礎を重視する監督の方針に合わない」と、Jリーグ開幕前のナビスコ杯予選リーグに2試合出場しただけで帰国してしまい、またも計画が狂った。シーズン序盤は、前年の続きのような守備偏重のサッカーを繰り返して下位に低迷した。
だが、6月の中断期が明けると、執ようにパスをつないで全員で攻め崩そうというサッカーに変わっていた。オフトが1年半かけて準備してきた「攻めるレッズ」へ、見事に変ぼうしたのだ。
これまでの8人で守って2人で攻める消極的なサッカーでは、いくらスピードのあるエメルソンでも相手のえじきになってしまう。だが、DFラインから組み立てる浦和の新しいサッカーは、FWのスピードを生かせる総合力へと結びついた。

<浦和対鹿島> 最終節を終え、サポーターにあいさつする浦和オフト監督(中央)=2003年11月29日 |
永井の故障で、第2S開幕戦からエメルソン、田中の2トップとなったが、これもうまくハマった。ナビスコ杯も2年連続の決勝進出。相手は鹿島と、くしくも前年と同じカードとなったが、今度は4−0の圧勝でリベンジを果たし、初の栄冠に輝いた。「お荷物」と言われてきた浦和が初タイトルを獲得、歓喜の瞬間がようやく訪れた。
だが試合後に突然、オフト監督が「今季限りでの退任」と発表。しかも、クラブ首脳に対するあからさまな不信感を公言したため、喜びに水をさされる形となった。
直後の第12節東京V戦に5−1で大勝し、J1でも首位に浮上。2冠も期待されたが、エメルソンの出場停止もあってその後のアウエー2試合を落とし、J1制覇の夢は持ち越しとなった。
| <トピックス> |
| 月日 |
出来事 |
| 1月7日 |
福田正博が涙の引退会見。 |
| 1月8日 |
東京Vを退団したエジムンドを獲得。 |
| 3月28日 |
エジムンドが、オフト監督の方針に合わず退団。 |
| 4月9日 |
神戸戦(ナビスコ杯・神戸ユ):2−1で勝利し、13試合ぶりに公式戦勝利。 |
| 4月26日 |
C大阪戦(長居):3−0から4−6の大逆転負けを喫する。 |
| 6月4日 |
さいたまシティ杯で小野伸二所属のフェイエノールトと対戦。2−2の引き分け。 |
| 6月15日 |
福田正博引退試合。 |
| 7月16日 |
神戸戦(ナビスコ杯・駒場):1−0で勝利、逆転で予選突破。 |
| 8月27日 |
東京戦(ナビスコ杯準々決勝・味の素):2−0で東京戦初勝利。準決勝進出。 |
| 10月8日 |
清水戦(ナビスコ杯準決勝・駒場):6−1で大勝し、2年連続決勝進出。 |
| 11月3日 |
鹿島戦(ナビスコ杯決勝・国立):4−0で圧勝し、悲願の初タイトル。大会MVP&新人王に田中達也。日刊スポーツが号外配布。試合後、オフト監督が辞任を示唆。 |
| 11月8日 |
東京V戦(駒場):5−1で大勝、暫定首位に。 |
| 11月22日 |
名古屋戦(瑞穂):1−4で敗れ優勝の可能性消滅。 |
| 12月15日 |
エメルソンがチーム史上初のシーズンMVP獲得。 |
| 12月16日 |
新監督にブッフバルト氏、ヘッドコーチにエンゲルス氏の就任を発表。 |
| 12月24日 |
水戸から闘莉王を獲得。 |
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| <主なメンバー> |
| 位置 |
氏 名 |
| GK |
都築龍太、山岸範宏 |
| DF |
坪井慶介、ゼリッチ、ニキフォロフ、室井市衛 |
| MF |
山田暢久、内舘秀樹、山瀬功治、長谷部誠、鈴木啓太、平川忠亮 |
| FW |
エメルソン、田中達也、永井雄一郎 |
| 監督 |
ハンス・オフト |
| コーチ |
ビム・ヤンセン |
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2004年
(第1ステージ3位、第2ステージ優勝)
かつての主力選手だったギド・ブッフバルト氏が監督に就任。日本代表の三都主、五輪代表の闘莉王をはじめ、大幅な補強に成功した。
第1Sの序盤は代表組の離脱などで苦しい戦いを強いられ、得点もするが失点も多いという大味なゲームが増え、サポーターの不満が高まっていた。だが、闘莉王が故障から復帰し、チームに柱ができたことで、勝ち星を拾えるようになり、優勝争いにも加わった。
だが、シーズン終盤に失速するという悪い癖がこのときも顔をのぞかせ、結局3位に終わった。
届きそうで届かなかった優勝。悲願の初優勝に向けて、第2Sは序盤からエンジンを全開した。開幕戦の神戸戦から第5節の新潟戦まで、J史上初となる開幕5試合連続3点以上の勝利を記録。第2節東京V戦では永井、山瀬がいずれも自身初のハットトリックで「Wハットトリック」を達成。エメルソンと田中のトップ2人は、2年連続2ケタ得点をマークと、圧倒的な攻撃力で次々と記録を塗り替えた。
サポーターも応援に熱が入り、試合会場は連日満員。一番の鬼門といわれたカシマスタジアムでの鹿島には、5000人のサポーターが貸切バスで敵地へ乗り込み、ホーム同様の応援を繰り広げた。サポーターの強烈な後押しを受け、その期待にこたえるように浦和は強さを増していった。
だが、連覇を狙ったナビスコ杯決勝で勝つ難しさを味わった。3年連続で出場した決勝の舞台。退場者1人を出し、10人となった東京のゴールを一方的に攻めながら決定弾が出ず、結局0−0でPK戦に突入。3人目の田中、4人目の山田が外し、2−4で敗れた。8割方赤く染まった国立のスタンドは失望のあまり、声を失った。だが、すぐに気持ちを切り替えた。初のJ1ステージ優勝へ。そして今、12年間待ちに待った至福のときが訪れた。
| <トピックス> |
| 月日 |
出来事 |
| 1月16日 |
神戸から岡野雅行が復帰。 |
| 1月19日 |
清水から三都主を獲得。 |
| 2月7日 |
2年連続でキャンプ合流遅れのエメルソンに罰金処分。 |
| 3月18日 |
日本五輪代表がアテネ五輪出場決める。 |
| 5月2日 |
広島戦(広島):闘莉王が負傷から復帰、移籍後初出場。試合は0−0も今季初完封。 |
| 5月15日 |
市原戦でエメルソンが右太もも肉離れ。 |
| 6月2日 |
Kリーグ仁川からアルパイを獲得。 |
| 6月12日 |
名古屋戦(豊田):0−3で完敗。坪井慶介が生涯初のレッドカードで退場。 |
| 6月16日 |
柏戦(駒場):1−1の引き分けで優勝の可能性消滅。 |
| 6月26日 |
東京戦(埼玉):2−1で勝利、第1Sは3位。 |
| 7月9日 |
日本代表スロバキア戦(広島)で坪井慶介が左太もも負傷で今季絶望に。 |
| 7月16日 |
アテネ五輪代表選手発表。田中達也、闘莉王がメンバー入り、鈴木啓太、山瀬功治が漏れる。 |
| 7月24日 |
日本代表スロバキア戦(広島)で坪井慶介が左太もも負傷で今季絶望に。 |
| 8月3日 |
英マンチェスターで行われたボーダフォン杯に出場。ボカ・ジュニアーズに2−5で敗れる。マンチェスターU戦は雷雨中止。 |
8月12日
15日
18日 |
田中達也、闘莉王がアテネ五輪出場。 |
| 8月31日 |
ブラジル・ビトリアからネネを獲得。 |
| 9月18日 |
新潟戦(埼玉):4−1で快勝も後半、山瀬が右ひざ負傷で今季絶望に。 |
| 11月3日 |
東京戦(ナビスコ杯・決勝):0−0からのPK戦で破れ、連覇ならず。 |
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| <主なメンバー> |
| 位置 |
氏 名 |
| GK |
都築龍太、山岸範宏 |
| DF |
闘莉王、アルパイ、ネネ、坪井慶介、内舘秀樹 |
| MF |
山田暢久、長谷部誠、鈴木啓太、三都主、山瀬功治、酒井友之、平川忠亮 |
| FW |
エメルソン、永井雄一郎、田中達也、岡野雅之 |
| 監督 |
ギド・ブッフバルト |
| コーチ |
ゲルト・エンゲルス |
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