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2004年J1第2ステージ優勝・浦和レッズ特集 2004年J1第2ステージ優勝・浦和レッズ特集
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第2ステージを振り返る

第13節 - 紙面から

三菱人事部佐藤のリポート2枚から始まった

<名古屋2−1浦和>◇11月20日◇駒場


 夢があった。誰も見たことのない夢を追い求めてきた。日本で初めて「サポーター」という言葉を使い、日本で最も地域と共存し、サポーターとともに歩んできたチーム。浦和レッドダイヤモンズ。原点は「サッカーで観客を魅了」し「社会に貢献する」というこだわりだった。佐藤仁司・広報チーフマネジャー(46)が14年前に抱いた夢が今、花開いた。

 サポーターの存在と地域密着という、現在の浦和を語るに欠かせないふたつの要素。「源流」ともいえる2枚のリポートがある。

 90年6月。プロ化を視野に、三菱重工サッカー部は三菱自動車へと移管した。当時同社人事部にいた佐藤は、マネジャーとしてチームに携わることになった。最初の仕事は、チケット配り。真夏の炎天下、日本リーグのチケットを詰めた紙袋を両手に下げて、三菱関連企業の総務部を回った。

 「見にきてください」。頭を下げてチケットを手渡すと、必ず言われた。「行けたら行くよ」。何万というチケットを配って歩いたが、日本リーグの客席はガラガラ。プロ化へ向かう会社に対し、佐藤は1枚のリポートに疑問をぶつけた。

 「行けたら行くのウソ八百」。

 広辞苑で、サポーターという言葉に「特にサッカーで特定チームの応援者」と加筆される8年も前。学生時代に欧州旅行の経験があった佐藤は「サポーターズクラブ」「シーズンチケット」「海外クラブとの親善試合」と観客増のためのアイデアを書き連ねた。誰も見たことのない夢を追い、理想に挑み、当時は日本に存在すらしなかった「サポーター」獲得を目指した。

 J発足直後。各クラブの関係者の会議で、広告代理店の担当者にかみついた。沸き起こるJリーグブームに、担当者は「今、会場にきている8割は新しいファン。この人たちをどうつかむかが成功のカギ」と言った。周囲がうなずく中で、佐藤は反発した。「残りの2割こそプロ化を願っていた人々。本場のサッカーを日本に、と願っていた人たちを満足させられなければJリーグは失敗する」。

 嫌々行くという印象のある「動員」という言葉はやめた。招待券を廃止し、チケットの価値を高めることに腐心した。ハーフタイムショーなどで安易に集客する手法に甘えず、試合でファンの心をつかんだ。1万2000席前後のシーズンチケットは00年、J2降格時でさえ手放した人はわずか497人。「行けたら行くよ」。思い出すたびこみ上げる悔しさとこだわりの積み重ねが、スタンドを真っ赤に染めていった。

 もう1枚のリポートには「社会性」とある。

 90年秋。プロ参入を正式決定する本社の役員会議を控えて、またも疑問が浮かんだ。徹夜で書き上げたリポートは「役員説明時、口頭でお話しいただきたい事項」で始まる。「イングランドでは10年前、目の見えない方を招待し、付き人が手のひらにボールの動きをなぞって雰囲気を感じ取ってもらった」と社会貢献の必要性をうたい、最後はこう締めくくった「『サッカーうまいだけの馬鹿』ではこの世界、通用しないことを十分踏まえた上で運営して参りたく存じます」。

 黙ってリポートに目を通した森(現GM)は佐藤にサインをさせ、自らもその下に署名した。企業スポーツだった日本リーグの常識では、社会性を打ち出すには勇気が必要だった。まして急速なプロ化への流れの中では予算の問題や選手確保が最優先で、サッカーチームの社会貢献など発想もない時代だった。2人の署名は、街と共存し、サポーターとともに歩むクラブを育てるのだ、という強い決意表明だった。

 2枚のリポートから14年。チームは街が、市民が誇るクラブに成長した。

 20歳のMF長谷部は、厳しかった父とこの秋からメールを始めた。夏、アテネ五輪の代表から漏れたMF鈴木は、どんな時で「次、頑張りなよ」と言っていた気丈な母の落胆ぶりに驚き「落ち込まないで。オレ、やるからさ」と、初めて母を励ました。サポーターとともに選手も成長した。クラブ作りが人を作った。家族の中で、社会の中で、人とともに生きることの大切さを知った。優勝したこのチームに、サッカーがうまいだけの馬鹿はいない。

 優勝後の場内一周、カップが選手からスタンドのサポーターに手渡された。サポーターの手と手でつながれたカップは、真っ赤なスタンドのど真ん中で誇らしげに輝いていた。異端にも思えた14年前の壮大な夢は今、現実になった。「社会性」があるクラブだからこそ、サポーターは「行きたい」と思う。「勝ちたい」と願う。街に、浦和レッズがある幸福。その夢に接したならば、きっと愛さずにはいられない。【永井孝昌】

[2004年11月21日付紙面から]

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