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2004年J1第2ステージ優勝・浦和レッズ特集 2004年J1第2ステージ優勝・浦和レッズ特集
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第2ステージを振り返る

第13節 - 紙面から

「敗戦に慣れた選手に勝者の精神伝えた」

<名古屋2−1浦和>◇11月20日◇駒場


<闘将ブッフバルトの手記>

 私が選手として来た時、浦和はJリーグの最下位チームでした。今、私は監督としてJリーグのトップに立つことができました。監督初年度に優勝できたことを、誇りに思います。優勝以上にうれしかったのは、すべての選手のパフォーマンスが向上したこと。選手が積極的、攻撃的にプレーするという私のサッカー哲学を、野心と喜びをもって実行してくれたことです。

 2年前、浦和から監督就任を要請されました。当時は仕事とプライベートな問題で実現しませんでした。そして昨年、再び話がありました。可能性があるチームだけに、魅力的でした。私は仕事(テニス場経営、オフィス機器販売会社の共同経営など)を片づけ、了解の意志を伝えました。

 監督に就任して、まず選手に伝えたのは、私は6位や10位になるために来たのではないということです。タイトルを獲らなければならないとも言いました。まず私は、敗戦に慣れた選手たちに勝者のメンタリティーを伝えました。そして、全員が楽しみながらプレーすることを求めました。

 私は山田をキャプテンにしました。責任を与えることによって、素晴らしい能力をコンスタントに発揮できるようにしたかったのです。彼が自分の役割を果たしていないと判断した時、彼をメンバーから外しもました。私は控え選手もチームの一員だと強調してきました。選手は全員が私が何を求めているかを知っています。いいプレーをすればトップチームへの門戸が開かれることも。控え選手のモチベーション維持は、チームの力になります。

 私が浦和の監督になったのは、ここが第2の故郷だからです。私は育った街、シュツットガルトが好きです。浦和には、同じような心地よさを感じます。そして、妻と子供たちも浦和を私のように愛しています。浦和のために、チームのために、家族のために、そしてJリーグ最高のサポーターのために、優勝できたことをうれしく思います。    ギド・ブッフバルト

 ◆ギド・ブッフバルト 1961年1月24日、ドイツ・ロイトリンゲン生まれ。ユース時代はFWだったが、17歳で守備的MFに転向。80年にU−21ドイツ代表入りする。83年にシュツットガルトに入団。84年5月に西ドイツ(当時)代表入りしDFとして活躍。90年のW杯イタリア大会では決勝でアルゼンチンのマラドーナを抑え優勝に貢献、94年米国W杯でも3試合に出場した。同年7月に浦和入りし、97年10月までプレー。Jリーグ通算成績は127試合出場11得点。02年7月に浦和とアドバイザリー契約を結び、今年1月、監督に就任。家族はシルビア夫人と2男。

[2004年11月21日付紙面から]

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