やはり原監督は「国立が似合う男」だった。東京の監督に就任後、リーグ戦とナビスコ杯を合わせて国立で13戦して負けなし。
浦和時代を含めても16勝2分3敗と圧倒的な強さを誇っている。国立以外では61勝30分53敗の勝率5割3分5厘だから相性は抜群だ。
2大会を合わせて最高勝率8割5分5厘(59勝5分10敗)を誇る磐田鈴木政一監督の国立成績は、4勝1分2敗の勝率6割6分6厘。原監督はこの
「最高勝率監督」をも大きく上回っている。
もともと、原監督の「代名詞」と言える競技場だった。日本リーグ時代の三菱重工がホームにし、日本代表でも20試合で9得点している。
85年のメキシコW杯予選北朝鮮戦、ゴール前の水たまりに止まったボールを決勝点にしたように、この日も「国立の神様」を味方にして勝利した。
現在の国立競技場が完成したのは58年3月25日。同年10月19日生まれの原監督にとっては「同級生」でもある。【佐藤隆志】
◆原博実(はら・ひろみ)1958年(昭和33年)10月19日、栃木県生まれ。矢板東高−早大−三菱重工(現浦和)でFWとして活躍。
183 センチ の長身で空中戦に強く、日本代表では「アジアの核弾頭」と呼ばれた。国際Aマッチ75試合出場。37得点は釜本、
カズに次いで歴代3位。92年の引退後は指導者に転向し、98〜99年第1Sまで浦和監督。サッカー解説者として活躍した後、
02年に東京監督に就任した。スペインの攻撃サッカーをこよなく愛し、スペイン語も堪能。かおり夫人(46)と1女2男。
[2004/11/4/ 紙面から]
写真=ナビスコ杯で初優勝を飾り胴上げされる原監督(撮影・ たえ 見朱実)
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