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幾多の困難を乗り越えて立つ夢舞台 阿部勇樹 阿部勇樹
 けがを乗り越えた不屈の男が、五輪の夢舞台へ立つ。日本五輪代表のMF阿部勇樹(22=市原)。ユースの時からこの世代は「阿部のチーム」と期待された。2年前の山本ジャパンでは初代主将にも指名された。しかし、たび重なる故障に悩まされ、アテネまでの道のりは決して平たんではなかった。昨年12月には右足第5中足骨(小指)を骨折。全治2〜3カ月と診断されながら、奇跡的な回復で五輪アジア最終予選日本ラウンドで、日本の救世主となった。幾多の困難を乗り越えてきた阿部が、男子サッカー36年ぶりのメダルどりへ向かう。
初代主将を襲ったアクシデント
五輪代表親善試合 日本対チュニジア ヘディングで競り合う阿部勇樹
五輪代表親善試合 日本対チュニジア ヘディングで競り合う阿部勇樹=2004年7月14日、豊田スタジアム(撮影・野上伸悟)
 今年1月。アテネ五輪の出場権が懸かる3月のアジア最終予選を前にU−23(23歳以下)日本代表の合宿が始まっていた。暖かい宮崎・青島、そして暑いオーストラリア・シドニー。精力的に動き、ボールを蹴るライバルたちとは別に、阿部は寒風が吹きすさぶ千葉・市原のグラウンドで黙々とリハビリメニューをこなしていた。「五輪予選に間に合う?今は聞かないでください」。不可能ともいわれる五輪最終予選での復活を目指し、孤独なチャレンジを続けていた。
 昨年12月13日、悲劇が阿部を襲った。同4〜10日の東アジア選手権にジーコジャパンの一員としてA代表にも招集され、期待が高まっていた矢先のアクシデント。同選手権から違和感のあった右足を、所属する市原の練習で再度痛めた。
 診断は右足第5中足骨骨折の全治2〜3カ月だった。山本昌邦監督(46)は「残念。しっかり治して早く戻ってきてほしい。いい選手はたくさんいるので、阿部がいないなりにやるしかない」。五輪アジア最終予選の出場は厳しいと見られていた。

不屈の男がもたらした五輪切符
 しかし、復活を信じた男は不死鳥のごとくよみがえる。2月13日から始まった市原の熊本合宿では懸命なリハビリが実り、驚異的な回復力で全体練習に合流した。五輪アジア最終予選UAEラウンドの招集こそ見送られたが、2月29日のプレシーズンマッチ柏戦ではリベロでフル出場して完全復調をアピール。「足は大丈夫。あとはコンディションを上げていくだけ」。3月14日からの日本ラウンドでは代表復帰を果たした。
 不可能を可能にした阿部に、活躍の場が巡ってくる。DF闘莉王が日本ラウンド初戦バーレーン戦で負傷退場。リベロとして途中交代し定着すると、強烈な右足キックを武器に3試合で1得点2アシストと、大活躍で日本をアテネ五輪出場へと導いた。「五輪へ行けてうれしい」。出場を決めたUAE戦では山本監督と抱き合い、涙した。ユース時代からけがなどで9度も代表を辞退してきた元主将が、不屈の精神で五輪切符を日本へもたらした。
36年ぶりのメダル獲得へ
 日本が出場を決めても、最終メンバー入り、そしてレギュラー獲得を目指して妥協はしなかった。「選ばれるためにチームで結果を出したい」と、4月10日の鹿島戦では右太ももを打撲しながらもその後数分は試合に出場。月末のギリシャ遠征を通算10度目の代表辞退と棒に振ったが、高い代償にも悔いはなかった。「リベロもボランチもパーフェクトにできれば」。掲げた目標へ、得意の守備だけではなく攻撃にも磨きをかけてきた。得点力のある右足からのプレスキックが注目されがちだが、ボランチそしてリベロとして、この5カ月で急成長を遂げた。
五輪アジア最終予選 日本対UAE アテネ五輪出場を決め、左から阿部勇樹、平山相太はスタンドに向かってバンザイする
五輪アジア最終予選 日本対UAE アテネ五輪出場を決め、阿部勇樹(左)、平山相太はスタンドに向かってバンザイする=2004年3月18日、国立競技場(撮影・鹿野芳博)
 7月7日には礒井かおりさん(22)と結婚した。パラグライ、イタリア、ガーナと強豪がそろう1次リーグを前に良き伴侶を得て、36年ぶりのメダル獲得へ期待は増すばかり。不可能を可能にすべく、阿部が世界の強豪へ立ち向かう。

[2004/8/12]

五輪プレイバック 2000年シドニー大会
中田が外した 俊輔涙 
2000年9月24日付 紙面
2000年9月24日付
【アデレード23日=桐越聡】
日本が米国に敗れ、メキシコ五輪以来、32年ぶりのメダル獲得を逃した。前半30分にFW柳沢敦(23=鹿島)が先制点、1―1で迎えた後半27分にはFW高原直泰(21=磐田)のゴールで突き放すも、後半44分に追いつかれた。計30分の延長戦でも2―2のスコアは動かず、PK戦に突入。4人目のキッカーを務めたMF中田英寿(23=ローマ)のPKが左ポストを直撃し失敗、死闘の末に準決勝進出が消えた。
(日刊スポーツ2000年9月24日付)


バックナンバー

【第1回】山本ジャパンを支えるいぶし銀 徳永悠平

【第2回】自らのゴールで勝利をつかみ取る 沢穂希







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