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自らのゴールで勝利をつかみ取る 沢穂希 沢 穂希
 「なでしこジャパン」の心臓、沢穂希(25=日テレ)が、忘れ物を取りに行く。15歳で代表入りして以来11年、女子サッカー界をけん引。99年に単身渡米し、米国女子プロリーグでもまれてきた。8年前に初出場したアトランタ五輪で逃したゴールと勝利を、2大会ぶりとなるアテネで、つかみ取る。
未熟さを痛感したアトランタ
サッカー日本女子代表の最終合宿初日の練習で汗を流す沢穂希=2004年4月9日、静岡・Jステップ
サッカー日本女子代表の最終合宿初日の練習で汗を流す沢穂希=2004年4月9日、静岡・Jステップ

 女子サッカー界のカリスマ、「女版中田」と称される沢は、96年アトランタ五輪に17歳で出場した。当時、すでに主力として活躍。五輪直前に行ったトレーニングマッチのオーストラリア戦、スウェーデン戦で2戦連発、計3得点を1人でたたき出すなど、絶好調で初の五輪に臨んだ。しかし、現実は甘くなかった。
 日本は1次リーグで全敗した。沢は3戦通じてノーゴール。アトランタ五輪予選も兼ねていた前年の95年スウェーデンW杯でも不発だっただけに、五輪での巻き返しを誓っていた。しかし、得点を決めたのは、木岡と半田という、1回り以上年の離れた30歳のベテラン2人だった。未熟さを痛感した。「子供でしたよ、あのころは。自分のことでいっぱいいっぱいで…」と懐かしそうに振り返る。
天才を待ち受けたアクシデント
 だからこそ、今大会は自らのゴールで、勝利をつかみたい。雪辱を期すはずのシドニー五輪は、前年99年のW杯の成績がふるわず、出場できなかった。同年、米国で発足したプロリーグへ移籍するため渡米。後ろ髪を引かれる思いで、日本をたった。再びめぐってくる五輪に備え、米女子プロリーグの強豪アトランタ・ビートでひたすらもまれた。世界選抜にも選出され、活躍。日本の天才少女は、世界の天才に成長した。
 しかし、選ばれし者には天がドラマを望むのか。満を持して挑んだはずの今年4月の五輪アジア予選で、思わぬアクシデントが待ち受けていた。大会中に右ひざ半月板を損傷。痛みと焦りから、思うようなパフォーマンスを出せなかった。「予選では、みんなに迷惑をかけた。本番こそ、私が点を決めてチームの勝利に貢献したい。メダルの確率も高いし」。代表で唯一のノンアマ登録選手。責任感の強さは並じゃない。
アテネ五輪が新たなスタート
 今回、アテネには母満寿子さんを自費で招待する。「プロ」とはいえ、年俸は「C契約よりも下」(関係者)。Jリーガーとは雲泥の差だ。それでも、沢の選択をいつも温かく支えてくれた満寿子さんに、雄姿を見せたい思いが強かった。「大学も1年で辞めちゃったり、迷惑をかけたし。後悔はしていないけど、やっぱり申し訳なかったと思うから」と話した。サッカーの才能を開花させたのは、沢自身だが、アスリートとしての資質は、短距離選手だった母から譲り受けている。
 5月に手術した右ひざは完治。7月11日のLリーグ伊賀戦で復帰し、即復活ゴールを決めた。あとはコンディションを100%に戻すだけだ。7月30日に国立で行われた壮行試合のカナダ戦は、大事を取って欠場したが、6日のオランダ代表との試合で、4月26日中国戦以来の代表戦に出場。
日本対北朝鮮 後半終了間際ヤン・キョンヒ(左)とボールを奪い合う沢穂希=2004年4月24日、国立競技場
日本対北朝鮮 後半終了間際ヤン・キョンヒ(左)とボールを奪い合う沢穂希=2004年4月24日、国立競技場
 「今いる位置をマラソンに例えたら?まだまだです」。周囲にはラストスパートに入ったかのように映るが、本人にとっては駆け出しも同然らしい。「サッカーは納得いくまで、続けますよ」。アテネ五輪がカリスマの新たなスタートとなる。エースの挑戦は続く。

[2004/8/10]

五輪プレイバック 1996年アトランタ大会
1996年7月23日付 紙面
1996年7月23日付
世界一の90分! !日本
【アトランタ支局22日】
マイアミの奇跡が世界を揺るがした。サッカーの日本五輪代表がサッカー史に残る大番狂わせを演じてみせた。初戦、優勝候補筆頭のブラジルと戦った日本は後半27分伊藤輝悦(21=清水)が挙げた歴史的ゴールを守りきり1-0でブラジルを破った。この快挙に海外の通信社は衝撃的な事件として全世界に打電。28年ぶりの本大会出場を果たした日本は、あのメキシコ大会同様、メダルどりに向かって第一歩をしるした。
(日刊スポーツ1996年7月23日付)








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