トヨタ杯が日本のサッカーを育ててくれた
ありがとう、トヨタ杯。
24年前、それは大きな衝撃だった。
欧州王者と南米覇者が世界一をかけて対戦する。考えられないことだった。当時、日本で本場のサッカーに接することはできなかった。たまに、海外のクラブが来日しても、それは親善試合でのもの。日本代表が健闘し、相手が少し一生懸命なプレーを見せると「本気にさせた」と喜んだ時代だ。今度は違う。タイトルをかけた真剣勝負だ。高校選手権しかサッカーが(マスコミに)認められていなかった時代に、この大会は日本サッカー界への「黒船」だった。
もっとも、第1回から大盛況だったわけではない。もちろん、大会側は「満員」と発表したが、国立競技場のスタンド上部はガラガラだった(それでも、当時としては大変な数だったが)。まだ欧州チャンピオンズ杯(当時)やリベルタドーレス杯の存在も一般的には知られていなくて、大会前には「欧州代表として○○が来日する」と「発表」されていた。海外の情報そのものが、今では冗談に思えるほどなかったのだ。
来日したチームは「ピッチ状態が悪い」と怒り、枯れ芝を塗料で緑色にしたこともあった。特に欧州組は観光半分で、来日するとすぐに秋葉原とか六本木に繰り出した。それでも、サッカーファンにとっては最高のクリスマスプレゼント。毎年、その日(かつては12月の第2週の日曜日)が来るのを楽しみに待った。日本サッカー協会や電通の関係者は、大会を通じて「本場のサッカー」を学んだ。この大会が、その後の日本サッカーの発展に寄与したのは間違いない。
Jリーグの発足と前後して、大会も大きく変わった。まず、大会そのものがより我々に近い存在になった。多くの出場選手が日本でプレーし(第1号は第2回大会でMVPに輝いたジーコだけれど)、中には日本でプレーした後、トヨタ杯で再来日する選手も出てきた。南米選手の欧州流出によって、「欧州対南米」の図式は「南米が欧州に挑む」に変わってきた。現実的には欧州チャンピオンズリーグの決勝こそ「世界一決定戦」と言うにふさわしいかもしれない。それでも、トヨタ杯はトヨタ杯であり続けた。
最後のチャンピオンは欧州代表のポルトだった。17年前、雪の中でエースのマジェールがゴールし、勝って以来だ。絶叫する「マジェール、マジェール、マジック・マジェール」の実況が今も耳から離れない。雪の中、試合を強行すると決めたことに、ポルトのスタッフは「延期しないのはクレージーだ。だから、日本みたいなサッカー後進国で試合をやるのは嫌なんだ」と激怒していた。でも、その日本はW杯開催国にまでなった。あの日、早朝から雪かきのために集められたのは、帝京高などのサッカー部員たち。白い息を吐きながら「本物のサッカーが見たい」と、かじかんだ手を動かしていた姿が忘れられない。
大会を支えた関係者、そして多くのファン。その熱意が、日本のサッカー界を発展させた。だからこそ、大会に感謝をしたい。
ありがとう、トヨタ杯。
【スポーツ部:荻島弘一】
[2004/12/13/17:35]
写真=第6回大会トヨタ杯【ユベントス対アルヘンチノス・ジュニアーズ】シュートを放つプラティニ(ユベントス)=1985年12月8日
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