9人PK戦、ポルト世界一/トヨタ杯
<トヨタ杯:FCポルト0−0(PK8−7)オンセ・カルダス>◇12日◇横浜国際総合競技場
欧州王者FCポルトが南米王者オンセ・カルダスを下し、17年ぶり2度目の世界一に輝いた。延長戦まで合計120分を戦い0−0。PK戦の末、8−7で勝った。87年に雪の国立競技場で初制覇。その後17年の歳月をかけてのタイトルはトヨタ杯史上でも最長記録。ダコスタ会長が付けた「ドラゴンズ」の愛称がサポーターに浸透、継続強化の環境づくりの成果だった。トヨタ杯は欧州13勝、南米12勝で終了。来年から世界クラブ選手権となる。
ゴールポストが、最後の最後に味方した。PK戦5人目。決められればすべてが終わる相手のひと蹴りは、左ポストに救われた。その後、9人目のDFペドロ・エマヌエルが流し込んで、激闘に終止符を打った。81年から続いた最後のトヨタ杯は、名残を惜しむかのように約3時間にも及んだ。FCポルトが、クラブチーム世界一決定戦の最後の王者になった。
信じられないことが次々に起きた。90分間で、シュートが4回もポストやバーにはじかれた。2度のゴールは、いずれもオフサイド。延長前半には、GKビトル・バイーアが極度の緊張からけいれんで倒れ、交代を強いられた。PK戦では、MFジエゴがゴール後に暴言を吐いて退場した。それほど、極限の戦いだった。
フェルナンデス監督は言った。「サッカーに対する考え方が対照的だった。最後に正義が勝った」。シュート数は23対4。内容では明らかな判定勝ち。MVPを獲得したMFマニシェは、1人で相手の2倍のシュートを放った。PKは失敗したが「相手の守備的な戦い方は、決勝戦にふさわしくない」と言い切った。
17年ぶりのV。トヨタ杯を2度制覇した7クラブの中で最長になる。この間、「ドラゴンズ」という愛称をきっかけに力を維持した。ポルトガル国内のライバル、ベンフィカはタカ、スポルティングはライオンがシンボル。17年前、クラブの紋章を見つめていたダコスタ会長は「うちは、ドラゴンだ」とひらめいた。
1893年のクラブ創設時にデザインされたエンブレムには、よく見ると火を噴く竜がいた。サポーター集団は「スーパードラゴンズ」を名乗り、人気が高まった。求心力が増した。国内第3のクラブにすぎなかったが、98−99年シーズンまでリーグ初の5連覇を果たすなど、世界の入り口に常に立ち続けられるクラブに成長した。トヨタ杯出場権を得るための欧州チャンピオンズリーグには、マンチェスターUに次ぐ10度の出場を果たした。
昨年11月には、ドラゴン・スタジアムがオープン。周囲を巻き込んだ竜のムーブメントは、ファンを取り込み、クラブの成長を促した。Rマドリードのような予算はない。年俸総額は、Jリーグレベルの1000万ユーロ(約13億5000万円)。MFデコやモーリーニョ監督のように金でビッグクラブに引き抜かれる。だが、地道にアイデアを積み重ね、国内リーグを制してきた。その歩みの先に、2度目の世界制覇が待っていた。【佐々木一郎】
[2004/12/13/08:43 紙面から]
写真=トヨタカップ(右)とインターコンチネンタルカップを持って歓喜するペイショト(右)、アウベルト(撮影・蔦林史峰)
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