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「日本の歴史を塗り替えた1勝」 伊達公子 伊達公子(96年全英オープンベスト4)
1996年4月29日付 紙面
1996年4月29日付
伊達 グラフ破った
◇28日◇フェド杯テニス1回戦最終日・シングルス2試合、ダブルス1試合◇観衆9682人◇東京・有明テニスの森公園
 伊達公子(25=フリー)が世界NO・1のシュテフィ・グラフ(26=ドイツ)を初めて破る歴史的勝利を収めた。世界ランク7位の伊達は過去6度勝てなかった今季無敗、無敵の女王に対し、左足にテーピングをしながら、第1セット0―5の劣勢をばん回。最終セットも12―10で取り、3時間25分の大熱戦に勝利した。伊達の活躍で波に乗った日本は、最終試合のダブルスでも逆転勝ち。3勝2敗で強豪ドイツを破り、初のベスト4へ進出した。
(日刊スポーツ1996年4月29日付)

 伊達公子は精魂ともに尽き果てた。奇跡的な勝利にも「やっと終わった」と、何とか両手を突き上げるのが精いっぱいだった。3時間25分の死闘は、女王シュテフィ・グラフのフォアがネットにかかり幕を下ろした。それは日本選手が世界1位を初めて破った歴史的瞬間だった。その勢いで、日本は3−2で強豪ドイツを破り、伊達の1勝が日本テニス界の歴史を塗り替えた。
有明1万大観衆があと押し
左太もも裏にテーピングをしながらもグラフとの死闘に粘り強くボールを追い続けた伊達
左太もも裏にテーピングをしながらもグラフとの死闘に粘り強くボールを追い続けた伊達=1996年4月28日東京・有明テニスの森公園(写真=下田雄一)

  伊達は満身創痍(そうい)だった。ツアーの連戦でたまった疲労は、前日のフーバー戦でピークに達した。筋肉痛と発表された左足のふくらはぎは、実は肉離れを起こしていた。テーピングでぐるぐる巻きにされた脚は「どのぐらい動けるか分からない」という状態。その日の朝も練習はできなかった。
 世界7位の伊達とはいえ、女王グラフは別格だった。過去6戦全敗。1セットを奪うのがやっとだった。それも、その日まで96年ツアー無敗。前年から20連勝中のグラフに、伊達がケガを抱えて勝てるなど、誰も想像していなかった。
 第1セットは、あっという間に0−5となった。有明コロシアムに押し掛けた1万人近い観客に、暗いムードが漂った。しかし、そこから伊達の逆襲が始まる。肉離れに加え、ゲームも取れない劣勢で、逆に伊達は開き直った。「できる限りのことをやるしかない」。無心が余計な緊張をなくし、第1セットを大逆転の末に7−6のタイブレークで奪った。
 コロシアムを揺るがす大歓声が、伊達をあと押しした。日本テニス協会は、当時、自国開催の国別対抗戦デ杯、フェド杯は、テニスの普及につながると、地方開催を決めていた。今大会も、すでに浜松市開催が決定していた。しかし、選手や若手の現場サイドが、ドイツに勝つためには、日本のテニスのメッカ「有明コロシアム」しか選択肢はないと、反旗を翻した。
 伊達は、選手側の先頭に立って、有明開催を説いて回った。沢松奈生子とともに、自腹でチケットを購入し、子供たちや身障者を招待する「伊達・沢松シート」を提供した。若手のコーチたちは、手弁当で各地のクラブを訪れ、チケットを販売した。そうやって集めた1万人の観客が、伊達を助けた。
グラフのフォアがネットにかかり勝利した瞬間、ホッと表情を崩した伊達
グラフのフォアがネットにかかり勝利した瞬間、ホッと表情を崩した伊達
「私1人の力では、ここまで頑張れなかった」
3時間25分の死闘を終え、互いの健闘をたたえ合った伊達(右)とグラフ
3時間25分の死闘を終え、互いの健闘をたたえ合った伊達(右)とグラフ
 最終セットは、いつ果てるともなく延々と続いた。タイブレークはなく、どちらかが2ゲームを離さない限り、試合は終わらない。伊達は、すでに痛み止めを3錠のみ「負けたくない」という気力だけで戦っていた。1ポイントごとに、大観衆が伊達に声を掛ける。女王グラフの顔は青ざめていた。
 グラフにも弱点があった。国別対抗戦のプレッシャーだ。ツアーの個人戦とは違う国を背負った重圧は、グラフでさえも苦手だった。93年の対豪州戦で格下の選手に敗れて以来、フェド杯には1度も出場していなかった。しかし、この年のアトランタ五輪の出場条件として、フェド杯の出場があった。五輪のために、グラフはフェド杯出場を受諾した。
 最終セットの第22ゲーム目。伊達が2度目のマッチポイントを奪うと、観客は総立ちになった。最終セットの計22ゲームは大会史上最多の激闘だった。「私1人の力では、ここまで頑張れなかった」。伊達の勝利が、日本テニス界を変えた。そして、伊達は、同年のウィンブルドン準決勝でグラフに雪辱され、9月に引退を宣言した。
 


【吉松忠弘】


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