20日午前0時42分。
享年26歳、加藤大治郎選手は逝った。
入院先の三重県四日市市の県立総合医療センターで最後の闘いを続けていたが、意識の戻らぬまま、帰らぬ人となった。
脳幹梗塞。2週間前のロードレース日本GPで事故、幼いと表現してもいいような純なあの笑顔は、二度と戻ってこない。
大変に残念なことだ。
21日に通夜、22日に告別式が東京都台東区で行われるが、ライダーとして契約していた本田技研の広報部は「5月中に、ファンの方のお別れ会を開催する予定です」と発表している。
真樹子夫人と長男の一晃君、長女の凛香さんが残された。凛香さんは、生後3週間と聞く。それを聞いたら、もう何も書きたくなくなった。
1976年7月4日にさいたま市で生まれた。
ポケバイの天才児で、16歳で国内B級ライセンスを獲得。2年後には2階級特進で国際A級に昇格し、翌年には早くも日本GPで3位。21歳で全日本チャンピオンになっただけでなく、日本GPで優勝した。
あまりにも速すぎるライダーだった。
しかし今回の事故のとき、彼はあの時も不死鳥だったから、と仲間と話した。
94年だったと記憶する。
彼がまだ高校生で出場した鈴鹿8耐は、スタート後約30分で大事故が発生。第1ライダーだった加藤大治郎選手は横滑りになって炎の中に吸い込まれていった。あわや大惨事という場面だったが、左肩などの打撲だけで生還した。
その後、本人も「あの時は驚きました」と笑っていた。今度は、そうはいかなかった。
01年は、世界選手権シリーズの250CCにフル参戦2年目だった。そのシーズン直前、鈴鹿で話をした。本コラムにも書いた。少し、そのコラムを引用したい。
−−(01年3月21日付から)
火曜日、久しぶりに鈴鹿を見学に出かけた。
250CCで2年目のフル参戦となる加藤大治郎(24)と、30分ばかり話す機会があった。身長162センチ、体重52キロ。驚くほど小柄で、しかも無口で、おとなしい加藤だが、ホンダ・中島監督によれば「いったんマシンにまたがると、全く別人のような集中力を見せる」そうだ。そんなところが、人気の秘密であり、また「東洋のミステリアスなタイガー」の雰囲気を感じさせるのだろう。
本人も、「出るなら世界チャンピオンになるつもりで出たい」と話すのだが、それ以上に周囲、特に海外からこのテストの取材にやってきたスペイン人やイタリア人記者たちが、「250CCのチャンプは、加藤で決まりだろう」と、恐ろしいほどの高い評価を受けている。
加藤は埼玉県出身で、「気がついたら、バイクにまたがっていた。3歳の誕生日にポケバイを買ってもらったらしいけど、その記憶すらない」そうだ。すなわち、ゴルフのタイガー・ウッズが「物心つく前に、もうクラブをスイングしていた。だから理論を口で説明するのは得意じゃない。先に体で覚え込んでしまったから」と告白するのに似て、本人も「乗り方を口で言うのは、僕にはできない。聞かれても、なんと言っていいか(笑い)。体で先に乗ることを覚えてしまったから」という。もっとも、3歳の誕生日のときは、エンジンを父親がかけると、泣いて逃げたそうだ(略)。
しかし97年に250CCで全日本1位となり、世界選手権シリーズ日本GP(鈴鹿)にスポットで出させてもらうと、いきなり優勝。翌年も優勝。99年は鈴鹿が開催されなかったが、今年勝てば「日本GP4連勝」という快挙になる。
世界選手権には昨年、初めてフル参戦し、日本GPのほか、ポルトガル、リオ、もてぎとシーズン後半尻上がりに調子を上げて早くも4勝、ランキング3位。しかも、リタイアは1度もない。いわゆるがむしゃらなだけのタイガーではない。「日本のコースで外国人には負けたくない。まして日本人には負けたくない。だからじゃないですか?」が、本人の「自分はなぜ鈴鹿に強いか」評。
彼の所属するチームは、むろんホンダ・マシンを使用するが、ベースはイタリア人監督のチーム。「イタリア語なんて全然わからなかったし、興奮すると早口でしゃべり続ける彼らのスタイルに、初めは戸惑うばかり。わかった、もう寝ると言って、打ち合わせを切り上げたこともあった。そのうち、少しずつ用語もわかるようになってきた。根はいい人ばかりだから、苦ではない」。サッカーのヒデと同じような境遇だ。そして、目標も高い。
「昨年は、欧州自体が初めての体験だったので、コースも飲み込めないままに走った。今年は、チャンピオンにならねばウソだ」と、前述の通り、強気だ。「昨年だって、そのつもりだったのだが」とまで言った。
(略)むろん、夢は−−というよりも「計画は」500CCへのアップと、世界最速の男の座だ。
すでに行われた欧州の一連のテストでは、加藤のタイムはライバルたちを1秒前後離してきた。鈴鹿では、コンスタントに2分7秒台を出し、一部の500CCに並ぶタイムになっている−−。
そして言葉通りに、01年は年間11勝という圧倒的な強さで世界王者になった。予定通りに02年は500CC(MotoGP)に昇格、ランキング7位。今年は彼が世界王者を狙う年だった。
速いだけでなく、大人だった。
速いだけでなく、クールだった。
今になって、F1のセナを思い出させる。
彼ら2人には、共通点がたくさんあった。
天国で、どんな話をするのだろうか。
楽しい話をしてほしいと願う。あの笑顔よ、永遠に。
あまりにも速く、あまりにも純粋だった。