松野明美さん爆笑トーク
<私は当然五輪代表になると思っていた>
「私はねぇ、何もお願いするつもりで“私を選んでください”って記者会見開いたんじゃないの、あの時はもう当然選ばれると思って、だから“頑張ります、金メダルを取ります”っていう挨拶のつもりだったんですゥ」。
いまや爆笑系ランナー・タレントとして大人気の松野明美さんと、トーク番組をやった。
いや、おかしいのなんの、とても活字でその痛快さを再現することは出来ないが、スポーツをこんなに楽しく語ってしまっていいのだろうかと思うほど、彼女は人を笑わせ、自分も笑った。(そして泣かせた)。
松野さんは68年、メキシコ五輪の年に熊本に生まれ、鹿本高校時代に長距離ランナーとして注目され始めた。ニコニコドーの選手として88年ソウル五輪1万メートルに出場、本人の数え間違いかどうか今でもなぞだが、予選であと1人抜けば決勝進出のところを、通過ならず。しかしゴール後に倒れ込む独特のスタイルが「かわいい」と、おじさん達の評判になった。
その後92年の大阪国際女子マラソンで2位に入り、2時間27分02秒をマークしたが、有森裕子にその年のバルセロナ五輪代表の座を奪われた。代表選考の発表を前に記者会見し、「私を選んでください!」と発言。話題を呼んだ。
トークは、その件にまず触れた。
「だから、発表の日もわくわくし通しで、落ちるなんて考えもしなかった。ニコニコドーの合宿所の食堂にいたら、岡田監督が“ちょっと来て”というので、朗報だと飛んでいったんです。そしたら落ちたって聞かされて、頭ん中真っ白、もう!私はその日からマラソンを憎みましたね。マラソンに裏切られたと思いました。24時間365日、恋人のようにマラソンとつきあってきたのに、これは何!人生って、こういう裏切られ方をするものなんだって」。
「だいたい、走るってそんな楽しいもんじゃないですよ。まだ走るのか、まだ30キロもやるのォーって、私なんか練習でいっつも思ってましたからね。つらくって、ええ。それを我慢してやった結果が、これですからね」。
「有森さんをけ落として出たいっていうんじゃなくて、ただ五輪にもう1度出たかっただけなんですよ。有森さんを恨んでなんかいません。でも有森さんは私よりタイム悪かったし、第一、選考会に出てこなかったのよ。それなのに何で有森さん選んだんですか(恨んでるよ=笑い)、今でもヘンだと思ってます、はい」。
「88年ソウル五輪は1万メートルで出ました。あのときは初めてですから、五輪ってこういうものかって、鳥肌が立ちましたからね、私なんか。今でも思い出すと鳥肌立ちますよ(本当に立っていた)。あんなたくさんの人に囲まれて、もうそれだけで押しつぶされそうになりましたよ、スタートで。走り始めると、すぐに苦しくなるんですよォ、だいたい私146センチだから、外国の選手のちょうど腰やお尻の当たりしか目に入らない。お尻目線で目いっぱいですよ。だから、何かハプニングでも起きて、犬でも出てきてくれないかな、噛まれたらもう走らなくていい、レース中止になるのにって、本気でそう願ったんですよ」。
「それが本当の気持ちなんですよ、選手の気持ちなんですよ」。
「それでもうダメ、止めようかなって思ったときに、ふとスタンドの上の方、万国旗の中に小さな小さな日の丸を見つけたんです。その小さな旗が、どれほど大きく心に映ったことか。ああ、日の丸が私を応援ししてくれている、ようし頑張らなくっちゃと、そこから勇気が沸きましたね。でも、楽しく走ってるように見えたのは、外側だけ、そんな甘いもんじゃないですよ、そんな強くないですよ、私」。
「えっ? 家でですか? 私、夫婦げんかしたいんですよ、やっちゃいたいんです。でも主人(前田真治さん)が全然相手にしてくれなくて、喧嘩にならないんです。結婚ですか? 2001年の9月10日、例のテロ事件の前の日、ハワイで挙式したものだから、足止め食って、すぐには日本に帰れなかったんです。主人とは偶然同じ高校出身なんです。ある結婚式で知り合って、後で知ったんですけど、主人は軟式テニス、私は陸上部。向こうも私のことなんかよく知らなくて、1度も応援に来なかったらしいです。でもそういうおっとりしたとこが大好きで、はい、子どもはもう2人」。
「走るのですか、私走るの大好きですから。子どもを2人とも主人に預けて、毎日1時間は走ってますよ」。
「それがねぇ、家事が忙しくて、10分でも走る時間を見つけるのが大変(????)。昔は嫌いになるまで走ってたのに、今は走る時間がないとなると無性に走りたくて」。
「アテネ五輪ですか? もちろん女子マラソンに興味ありますね。3人はすばらしいレースをすると思いますね。ただ今回は日本の最強メンバーじゃない。高橋さんの走りはやっぱり見たかったですよ。金メダルですか。金はちょっと無理でしょうけど−−だってあのコースは頑丈な人向きで、下りでバーっと行かれたら日本選手には苦しいですよ、だからぜひ銀メダル取って欲しいんです」。
「それと末続選手ですねえ。彼なんか、少数派というか、他の人と全然違う。実は私、引退した(95年)後、リポーター役で、末続選手が高校生の時に取材に行ってるんです。そのときたまたま故障続きで、彼はろくに走れていなかったんですが、そのくせに、“僕は五輪に出るんです”なんて言ったんですよ、高校生が。おかしいというか、ヘンでしょう? 馬鹿? そう馬鹿。でもスポーツでホントに強い人って、やっぱり普通じゃない。普通じゃ勝てない。ヘンなヤツだと思われるほど強い信念があって、おかしいと言われるほど人の何倍も練習するような人じゃないと、絶対勝てない。スポーツってそうなんですよ」。
(実は仕事もそうなのだが、多くの人は自分と仕事はそういう関係ではないと、他人事のようにこの話を受け止める。そこで、勝負がもうついている。そのスポーツの怖さ恐ろしさをも、松野明美さんは、言うなればまんじゅうのように、爆笑の皮に包み込んでしまう。熊本では、「松野明美の子宝まんじゅう」というのがあって、売れているそうだ)。
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後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、57歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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