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後藤新弥の「DAYS' online」タイトル
バックナンバー 後藤新弥 スポーツ&アドベンチャー
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 2004年09月02日更新

アテネの残像−−1

<デ・リマは世界一の幸運児になれた>

 ふと目を閉じると、走馬燈のようにアテネ五輪の残像が、まぶたをよぎっては消えていく。

 勝った者の涙、負けた者の涙。

 真実の母オリンポスと、全能の神ゼウスの力。

 現れては消えるスポーツ極限のドラマの中で、では読者それぞれに、「この1シーン」を選ぶとしたら、何がいったい残るのだろう。

 筆者の場合は、ブラジルのデ・リマが、観客のスタンディング・オベーションに、両手を広げながら嬉しそうに、楽しそうに、いかにも満足げにスタジアムを走った、あの瞬間が忘れられない。

 これがオリンピックだ−−。

 時差の関係で、1日中テレビを見ていたような2週間は、ある意味でつらかった。アテネ五輪と言うよりも、ネテネぇ五輪になってしまった。筆者にも、夏休みの予定はあった。筆者にも、趣味の陸上競技100メートルのレースの予定がちゃんとあった。予想外の金メダル・ラッシュは、そうした計画をすべて押しやり、気が付いてみれば「あれ、僕の夏はどこに行ったの?」である。

 けれど、それらはすべて、あの一瞬の感動で、報われた。スポーツの真実を、そこに見たからだ。

 最終日の男子マラソンは、バンデルレイ・デ・リマ(35)が終始先頭を走っていた。さすがに30キロを過ぎると勢いは落ち始め、後続選手にいずれ抜かされるのが、刻一刻と鮮明に見えてきた。そんなことは、しかしリマには問題ではなかったのだ。

 だれもがリーダーの座から逃げ腰になり、やや後方に控えて勝機を狙うという作戦を考えているときに、「そんなに勝つことが大事なのか。勝つことだけがレースなのか、スポーツなのか、人生なのか」と、まるで世界相手に抗議するような、果敢な走りを続けていた。それだけで、心あるスポーツ・ファンには、十分すぎるほどの感動だった。

 誰かが、先頭を走らなければならない。誰かが飛び出して、レースをよりレースらしく戦うべきなのだ。デ・リマは、ためらうことなく、それを引き受けた。

 そのあげく、37キロ過ぎに、とんでもない不運に見舞われた。欧州あちこちのイベントで奇行を働いてきた名うての出たがり男が、道路左から飛び出して、抱きつき、押し倒そうとしがみついた。「殺されるのかと思った」と後で勇者は語ったが、もはやスピードは回復せず、乱れたリズムは2度と戻らなかった。1キロもしないうちにバルディニに抜かれた。スタジアムに戻ってきたときは、3位だった。

 けれど、そのデ・リマの表情には、「自分は不運で負けた、なんであんなことをさせたのか」といった怒りや不満は、どこにもなかった。

 むろんランナーである以上、ハプニングが無くても優勝できなかったことぐらいは自分で分かっていたろうし、その無念さがあのハプニングでいい方に解消できた、やれやれシメタ! という感情だって、何%かはあったろう。

 それでも、「あれがなければ勝てたのに」といったふりは、みじんもなし。ただうれしげに、苦しい日々が終わったことを心から喜んでいた。ギリシャの人がほっとして喜んでいるのを見て、またさらに喜んでいた。それを見て、スタンドはさらに沸いた。フェアプレーの鏡の行き来だ。無限に続く歓喜の映し返し。

 ブラジルは国際スポーツ仲裁裁判所に異議申し立てをすると発表し、IOCは特別賞の発行を手際よく声明したが、それは蛇足というものだ。デ・リマは、スポーツ選手が最も名誉とする、フェアプレーの感動を世界に与え、尊敬を勝ち取った。それ以上、何が必要だというのだろう。

 どのみち、先頭を走るということは、そういうことなのだ。先頭を走れば、常になんらかのリスクを背負い、不運を拾う。人はねたみ、人は失敗を待つ。「あいつも、一時はよかったが、もうだめさ」といったセリフが言えるのを、今か今かと待っている。

 しかし一方で、先頭を走ることの勇気を知る人たちは、たとえそれがライバル国の選手であっても心から讃え、祝福し、声援を送り続けるはずだ。沿道の人たちが最大の拍手を送る相手は、いつも、先頭を切る勇者なのだ。デ・リマだって、そのプラスとマイナスを、知らないわけじゃない。いいとこだけ貰おうなどと、思うはずがない。

 競技者というのは、「そもそもスポーツに不運はつきもので、それを甘んじて潔く受け止めることこそが、スポーツマンの誇りなのだ」と考えている。なかなかそうはできないが、そうしようという理想を持っている。

 デ・リマには、その精神を明らかにするチャンスが与えられたのだ。デ・リマは、結局は幸運だったのだ。

 デ・リマは、だれよりもオリンピアンになった。


著者の言葉
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 【郵送宛先】 郵便番号104・8055 日刊スポーツ新聞社 編集局 後藤新弥

著者プロフィル
 後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、58歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
 本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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