おやじ忍法壁登り!!…落ちた
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| 写真=奏でるように壁を舞う尾川智子さん(長谷川文撮影) |
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ボルダリングに挑戦、日本の第一人者・尾川智子さんに師事
しなやかな肢体が人工のホールド(手掛かり)をするすると伝う。吸い付くように逆傾斜の壁にぶら下がり、乗り越える。奏でるように登っていく。道具を使わずに登るボルダリング(フリークライミング)の世界で、いま最も注目されている選手、尾川智子(26)さんだ。うっとりと見とれていると、声が掛かった。「ご一緒にやりません?」。は、はい、やります。そして、おやじは落ちた。
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| 写真=ボルダリング選手の尾川智子さん。鍛え抜いた背中が美しい
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重力をなだめて
壁から天井まで、人工のホールドが全面に取り付けられている。形状も大小さまざま、室内全体が月面のようだ。
その壁に、尾川さんがさっと取り付いた。右、左、左、右。白い指がさっと伸びて、しなやかな肢体が滑るように移動する。長い髪が大きく揺れる。それを追うように、両足が小刻みに細かなホールドを伝う。160センチ52キロのスレンダーなボディーが蛇のように壁をはう。
ぐいぐいとホールドをつかむのではない。滑らかな動作の内側にすでに次の動作が含まれていて、流麗にリエゾンしている。逆傾斜をも、重力の法則を優しくなだめて登り切る。
こぶしを小さな割れ目に入れて支点を作り、指1本で体重を支え切る。難所をさっと越える時、気品に満ちた横顔に妖(あや)しい微笑が一瞬浮かんだ。
70年代後半、米国のヨセミテなどで始まったのが、ハーケンやカラピナなどの道具なしで岩壁を登るフリークライミングだ。人工壁を使った新時代の競技としても発展した。中でもボルダリングは最も原点的な種目で、安全確保のためのロープすら使わず、高さ4メートルの壁で技術、体力、集中力を競い合う。
愛知県出身の尾川さんはその第一人者。早稲田大学理工学部応用物理学科を卒業。ワンゲル部でフリークライミングと出合い、00年富山国民体育大会(国体)で準優勝した。一気に日本のトップに立つと03年アジアXゲームに優勝、昨年のW杯(中国大会)で日本人最高の10位に入賞した。
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| 尾川さん「大丈夫ですか?」 おやじ「平気平気!」 |
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| 尾川さん「すご〜い! 上手!!」 おやじ「ムフフ。そうでしょ」 |
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| おやじ「!? アレェ〜…」 尾川さん「…」 |
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3次元のチェス
東京・国分寺のクライミングジム「B−pump(ビーパンプ)」(電話042・324・6762)は、尾川さんの練習基地でもあり、インストラクターとしての仕事場でもある。
誘われて、おやじも靴底が滑りにくい専用シューズを履いて壁の前に立った。
「レベルに応じたコースが設定されていますから、安心してください」。尾川さんが微笑すると、「できません」が「はい」になってしまう。この性癖で、人生何度失敗したことか。
壁の基部のホールドを両手でつかんでスタート。マークを順に追って、最後に天井近くのゴールのホールドを両手でつかめば成功になる。「はい、右手をそのピンクのホールド、左手を伸ばして右足を外へ」。下から尾川さんが1動作ずつコーチしてくれる。
しがみつくと動きが取れなくなるが、壁から上体を離すと視野も開ける。横向きにしかつかめないホールドに戸惑っていると「ひざを右に押してから、振り子のように反対側に体を振り出しましょう」。その通りに動くと垂直の壁をクリアしていた。体と壁をどう使うか、3次元のチェスだ。
3つ目のテーマをこなすと「お上手です」と、下から褒められた。不可能に見えた逆傾斜も何度目かに成功した。成功すると無性ににうれしい。「素質ありそう、おれは猿飛佐助の子孫じゃねえか」などと、勝手に思う。おやじ忍者、本領発揮だ。そして、落ちた。
調子に乗ってつい力任せによじ登り、筋肉のスタミナを使い切ったのだ。立ち跳びの逆の要領で素直に足先から落ちれば、何の問題もない。えげつなくも「褒められたい」一心でしがみついていたおやじは、背中からマットにどさりと落ちた。ぶざまだった。
不運をプラスに
「でも頑張るのって、すてきですよね」と、慰められた。尾川さんはポケットバンクのテレビCMにも出演。この世界ではスターだが、失敗も多かった。宇宙飛行士になりたくて東大を受験し、2度落ちた。早大ではたまたまカゼで欠席したのを厳格な教授にとがめられて単位を落とした。だから5年掛かった。
ただ、不運をプラスに変換する活力がある。そこが定年間際で無気力化するおやじとは違う。時間に余裕のある5年目の半年を、欧州での武者修行にあてた。そこで世界を肌で感じ、それが強さの原点になった。
「頑張ればいつか必ず登れるようになるのが、ボルダリングの大きな魅力なんです」。インストラクターをしながら頑張ってきた。
「登れないと嫌になる。1週間ぐらい、ジムに行かずに寝ているときも。でもそのうちに指先がジンジンとうずいてきて」。自分で自分自身をリセットする能力があるらしい。「群馬の山でこ関節を脱きゅうしたことがありました。3カ月歩けず、それで逆に躍起になって燃えましたね」。
16日に欧州へ出発、今年から本格的に世界に挑む。「いつか、表彰台に立ちたい」。海外の競技では、1つのテーマを下見を含めて6分でこなし、これを6テーマ。「きつい。自分だけが要素だから言い訳ができない。そこがまたピュアな魅力的なんです」とも。
帰り際、「世界最難関だった第14級のヨセミテの壁を初めて登ったのは、実はリン・ヒルという女性なんです」と教えてくれた。「このスポーツは男女がバリアフリーで、男の子に勝つ楽しさがあるんです」。
フン、だ。もう少し若ければワシがぎゃふんと言わせたのに。男の子、負けるなよ。ワシは筋肉痛じゃ。
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後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、58歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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