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| 写真=「汚れた英雄」のようなオオカミの目で第1ヘアピンを抜けた――つもりである(撮影・長谷川文) |
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死線に触れる快感
おやじレーサーサイドカーに挑む
ヘアピンに差し掛かる。バンクの壁が時速100キロで迫ってくる。左の肩がアスファルトをツツーッとこすった。恐怖が快感に変わる。1日、茨城県筑波サーキットで開催されたMCFAJ(全日本モーターサイクルクラブ連盟)のロードレース今季開幕戦。おやじは借り物の革つなぎに身を固め、「汚れた英雄」気分で生まれて初めてのサイドカーレースに挑戦した。
脳みそと体液が
フランス映画「男と女」を思い出す。ドキンドキンと心臓の音がヘルメットの中でこだまして、次第に早くなる。汗が目に染みて、呼吸が荒くなる。周囲で何が起きているのか、よく分からない。シグナルが青になった。スタートだ。もう後戻りはできない。
力いっぱいにマシンを押した。2歩、3歩。グオーン。カワサキGPZ1100のエンジンが獣のようにほえた。あわててパッセンジャーシート(助手席)に飛び乗ると、ドライバーの宍戸護さん(45)がアクセル全開。90馬力の強烈な加速重力が加わった。手すりにしがみつくと、わずか数秒で右回り第1コーナーの壁が迫ってきた。決戦だ。
「右だ、右」。おやじは恐怖にかすれた声で自分に命令し、練習した通りに右側、宍戸さんの腰の真後ろに体を移した。マシンが急旋回を始めると脳みそと体液の全部が遠心力で反対側に押し付けられた。失神寸前だ。我に返るともうS字コーナーを抜け、第1ヘアピンに入りかけていた。
「左だ」。時速100キロからの急減速をひざで感じ取りながら、助手席の左外側へ大きく上半身を振り出した。不思議なことに、もう恐怖心は感じない。
肩先がコーナー内側の縁石に触れた。死線との接触だ。下も前も見ない。オオカミの目でコーナー出口をにらみ続けた。遠心力に耐える永遠のような数秒が過ぎると、ふわっと重力が抜けた。宍戸さんがこっちを見て、目だけで笑った。
「いけるじゃないか」。
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| 写真=出走直前、チーム「マイロード2」と最後の打ち合わせだ
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カブで万博まで
3月にスーパーカブで万博会場まで行った。そのときバイクを貸してくれた宍戸さんが、サイドカーレースのパッセンジャーを捜していた。宍戸さんはモトクロスでも「チーム・マイロード2」を率いて活躍している中年の星だが、サイドカーレースもベテランだ。
サイドカー。昔は新聞社でも使っていた。
マシン製作の巨匠矢崎新一さん(59)の話 昔はバイクの横に側車を取り付けた実用車を改造していたが、今はフレームも別設計の3輪専用マシンで、重心が低く、空気抵抗の少ないため最高速は軽く250キロに達する。左右非対称という特性が、製作者と乗り手両方にとって、独特の難しさと面白さになる。
MCFAJ小泉甫事務局長(58)の話 連盟が発足した58年(昭和33年)当時からサイドカーはバイクレースの伝統的な柱で、海外で活躍した選手もいる。ただしマシンが特殊。パッセンジャーのなり手も少なくなって、平均出場台数はロードレース約250台、モトクロス400台に対し10台前後に減った。逆に言えばこれからの狙い目だ。
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| 写真=早朝からピット裏でも体重移動の練習をした
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忍者ハッタリくん
そうか、狙い目か。大藪晴彦著「汚れた英雄」の北野晶夫が、青春時代のヒーローだった。「後藤なんかパンツも替えない、汚い英雄だ」と、仲間に言われた。復しゅうのときがきたのだ。宍戸さんが「最初はだれでも初心者だ。予選だけでも出なよ」と誘う。
決め手はマシン名、「忍者ハッタリくん」と車体に大きく描いてある。おやじの人生そのものズバリだ。
ようし、乗った。まずクラブ員になり、選手登録、出走登録をする。費用約3万円で予選要員のおやじレーサーが誕生した。
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| 写真=走り終えてドライバーの宍戸護さんに感謝
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夜の町のスター
サイドカーは2輪マシンのように、コーナー内側に倒し込むことができない。パッセンジャーが内側に移動してバランスを取ることで、遠心力に対抗して旋回できる。すばやく移動しないと内側が浮き上がり、転倒事故になる。
その移動練習を、前夜何百回も練習した。筑波サーキットのレイアウトを丸暗記し、駐車場に置いたマシンに乗って「はい右ヘアピン、立ち上がって最終コーナー、もう1度右」。イメージで30周、全身汗だく、両ひざがすりむけた。
その痛みが、緊張と不安への抵抗の拠点になった。予選直前、なぜかエンジンがなかなかかからずに、十数回もピット裏で押し掛けした。へとへとに疲れたことで逆に心身がほぐれた。困っていると他チームが助けてくれた。レース仲間の友情は、無言だが熱い。
コースは1周2キロ。予選はタイムアタックで決勝のスタート順を争った。
転覆しそうになったのは2周目、ヘアピンを抜けてほっとしたときだった。直後の左直角のシケインコーナーで、移動が遅れた。足先がもつれて、体が右に残った。イメージトレでもいつも引っ掛かっていた個所だった。マシンがはねた。閉じてはならない目を閉じた。宍戸さんが必死に修正した。死なずに抜けた。
3周目で全筋肉が疲労で硬化した。手すりをしっかり握れなくなった。逆に力みが抜けたのか、観客の表情が見えるようになった。宍戸さんは逆に加速する。直線では時速160キロ、気を抜くと振り落とされる。
もう限界だと感じた6周目、チェッカー旗が出た。トップに20秒差の1分31秒で6台中4位。無事に決勝担当の吉岡利昌さんにリレーした。「ああ、生きて帰った」が、正直な感想だった。「ちびったか」。ワル仲間が肩をたたくが、まだ顔がこわばって、うまく笑えない。午後は観戦。決勝で3位、チームのもう1台藤本卓司・安田武司組も4位に入賞するのを見た。
両ひざがまたすりむけて血がにじんでいた。いい勲章になる。「実はこの前レースに出てね」。麻布ではしんどいが、東中野か東武練馬なら、この傷跡で夜の町のスターになれるかもしれない。そうだ、今週はすそがめくりやすいズボンにしよう。
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後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、58歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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