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| 写真=透き通った南の海を、丸田さんはゆったりしたリズムで泳ぎ切った。04年5月、沖縄県小浜島で(撮影:大貫映子) |
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海人は80歳!!
オープンウォーター現役スイマー丸田俊子さん
山を走るトレールランやアドベンチャーレースとともに、海で長距離を泳ぐOW(オープンウオーター)が盛んになってきた。市民スポーツは既存競技の枠から抜け出し、独自の世界を築き始めている。その大きな新しいうねりの中で、80歳の現役スイマーが誕生した。4年前に海デビュー、毎年タイムを更新している丸田俊子さん(海人クラブ所属)だ。OWの常連としては最高齢、時代最先端の冒険レディーだ。
腕に力こぶ
部屋と部屋を仕切るコーナーに棒が掛けてある。そこを通るたびに、丸田さんは両手を伸ばしてぶら下がる。日に何十回もそこを通る。何十回もぶら下がる。東京・高井戸の自宅に作った自主トレ兵器だ。「だからほら、恥ずかしい」と、Tシャツをめくって見せてくれた上腕に、かわいい力こぶがにょきっと現れた。80歳の力こぶ。練習場所の中野サンプラザ(東京都中野区)でお会いした。
丸田さん「子どもも成長して、一応の区切りが付いた45歳のときに、思い切って通い始めたのが近くの浜田山の水泳教室でした。実は、泳ぐことが夢だったんです。戦前、家族でよく神奈川の鵠沼海岸に行き、姉たちは知り合いの強力さん(今のライフガード)に泳ぎを習っていましたが、幼いわたしは波打ち際で見ているだけでした。そのうちに強力さんが亡くなられて、そのままになったんです。それが悔しくて(笑い)。いつかきっとわたしも泳ぐんだと、心に決めていたんです」。
戦争の荒波
1925年(大正14年)4月25日、東京・四谷生まれ。名門の雙葉を卒業し、43年に青山の陸軍連隊区司令部に勤務した。
丸田さん「命令されてどこかに行かされるよりはと、自分から志願したんです。戦没者の情報を遺族に直接説明する仕事でした。胸が詰まる思いもしましたが、当時は『つらいのは自分だけではない』という意識をみなが共有していましたから、悲報に接した婦人たちも、取り乱すことはありませんでした。厳然としていましたね。わたしも45年3月10日の大空襲では家から焼け出されて、終戦も司令部で迎えました。戦後は配給の列に並び、人並みに苦労しましたが、みな一緒でしたからね。ただ水泳の機会はなかったんです」。
女たちは時代の荒波に負けていなかった。6年前に他界された和夫さん(享年80)とは大恋愛の末、戦乱を押しのけて45年4月15日に結婚した。
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戦後、書家の柳田泰雲に師事、丸田春香の号を受けた。家事の合間に書道教室を開いてきた。
競争しない
丸田さん「ゼロから習い始めた水泳教室では、40歳代はわたし1人でした。書道教室との時間が合わずに一時期中断しましたが、その後中野サンプラザのプールでマスターズ水泳にも参加するようになりました。泳ぐのが面白いという気持ちが先なので、競争する意識は今も全くないんです。鵠沼で波と戯れた経験があるので、水が怖くなかったんです。『潜ることができれば人は浮く』のを体で知っていたんですね」。
潜れれば浮く、浮けば泳げる。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」に通じる真理だ。気品の中の気骨。
4年前、1500メートルの元日本記録(16分40秒)保持者でフリーの指導者木原珠子さん(30)と出会った。
本当の自由
木原さん「丸田さんの泳ぎに初めて接したとき、衝撃を受けたのはわたしの方でした。人間はこんなに純粋に『泳ぐ』ことを楽しめるのかと。タイムや競争につい真剣になり過ぎて、結果的に水泳をやめる方もいるのですが、丸田さんはタイムにも順位にもとらわれず、本当の自由を水の中で楽しんでいます。わたしも現役中に96年福岡国際15キロ(3時間06分で優勝)などのOWを体験して、プールの競泳が水泳のごく一部に過ぎないことに気付き、00年から大貫さんが主宰する『海人クラブ』にもコーチとして参加するようになりました。丸田さんと出会ったのもそのころで、中野サンプラザの水泳教室で静岡県相良の遠泳に誘うと、おそるおそる手を挙げたのが丸田さんでした」。
☆
77歳の海デビューは前例がなかった。
丸田さん「2キロを完泳できるとは思っていませんでしたが、とうとう海で泳ぐ夢を自分で実現できたかと思うと、それだけでうれしくて。ゆっくりゆっくり、疲れるとボートやブイにつかまりながら泳ぎました。水も冷たく、木原さんの姿が見えなくなると不安で不安で『先生どこっ』と何度も叫びました。けれど翌年にはマウイ島にも行き、魚を見たり海の青さを感じる余裕ができました。3年間で17レース。今年も18日の静岡県熱海の大会で3回目の海になります」。
自己ベスト
疲れたら平泳ぎで呼吸を整える。5月、沖縄県座間味の1・5キロで59分の自己ベスト。「海ではまだ成長途中です」と笑う。
週4回プールに通う。マイペースだが1回2時間、3キロは泳ぐ。水と戦わない、年齢に逆らわない。
19日は敬老の日だ。「逆ですよ。私こそ木原先生や大貫先生、そして海に感謝しなくては」。
「楽しさを共有」主宰・大貫さん
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写真=「海人くらぶ」の文字は丸田さん(右)の書。今年5月、仲間の区あや子さん(64)と。左は大貫さん、上は木原コーチ |
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「海人クラブ」は、82年に日本人で初めてドーバー海峡を遠泳横断した大貫映子さん(45)が主宰する「海で楽しく泳ぎたい人」の集まり。
大貫さんはその後イタリアのカプリ島=ナポリ33キロレース、下田=大島42キロ横断などのOWに挑戦。早大卒業後は編集記者、水泳指導などを経てオーストラリアのパースの大学、大学院でレジャー学を学んだ。
「日本では記録や順位をスポーツや人生の最大目標にしがちですが、オーストラリアでは自分で自由に目標を選択して挑戦する真のエンジョイ精神が息づいている。既存の概念に縛られない楽しみ方を、みんなと共有したくて」。
会員は約120人。特定の練習場所を持たず、あちこちの50メートルプールで月2回、海では月1回程度練習会を開いている。自由に楽しむのが特長だが、コーチやスタッフのレベルは非常に高く初心者講習には定評がある。クラブ事務局(電話)03・5971・3212。http://www.uminchu21.com/index.htm
19日にOWイベント
オーシャンマン競技やOWのイベント「ビーチアドベンチャー湘南2005」(本社後援=写真は昨年の大会)が19日、鎌倉由比ケ浜で行われた。OWは集団での1キロ遠泳と1・5キロレースの2種目。大会事務局(電話)0466・26・4480。http://www.spors-buddy.jp
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後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、59歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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