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| 写真=自分だけの露天風呂だ。「おやじの湯」と名付けよう(撮影:長谷川文) |
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栃木・栗山村の秘境川俣温泉を堪能
秋の足音に生ビール、自分専用手堀りおやじの湯
いすに座るとき、無意識に「どっこいしょ」とうめくようになった。そろそろガタがきたらしい。温泉にでも行って体を癒やそうかとあれこれ探すうちに、手掘りの露天風呂の話を耳にした。秘境川俣温泉(栃木県栗山村)の奥、湯沢沿いに温泉が噴き出していて、河原に自分だけの風呂を掘って楽しめるという。これだ、究極の男のロマンだ。「おやじの湯」と名付けよう。スコップを担いで林道を分け入った。
孫でき腰痛に
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写真=湯沢沿いの小道は途切れがちで、何度も川を渡った |
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ゆっくりと身を沈めた。湯が流れ込んでくる右半分が少し熱い。川の水が岩の間から染み出してくる左側、背中の辺りは少し冷たいが、湯量はたっぷりある。湯沢のせせらぎに鳥が鳴き、ススキの穂が銀色に光っている。やや乳濁した湯に、白い雲が映っている。湯に身を任せていると、夏から秋へと速足で通り過ぎる季節の足音が聞こえるようだ。季節も旅人なのだ。
自分だけは時間を止めて、たった1人の湯。伸び伸びと足を出した。
日本人だ、風呂は日ごろから大好きである。湯につかりながらアイスクリームをなめ、推理小説を読むのが唯一の健康法だった。それが半年前に孫が生まれて以来、おやじは「おじじ」と呼ばれ、風呂は「主上」をおし抱きながら入る羽目になった。気の休まる暇がない。ウンの悪い日は、もっこりした小判が浮いていることもある。体重8キロ、腰痛も無理はない。
孫に負けてどうする。自分だけの「おやじの湯」を掘って入ろう。悲壮な覚悟の温泉掘りだった。
目的は果たした。
差し渡し3メートル余り、立派な露天風呂だ。汗が出てきたら川の中の岩にに腰を移す。抜かりはない、缶ビールも持ってきた。
10月から紅葉
朝早く東京を出た。東北自動車道を宇都宮で降りて北上。鬼怒川温泉を左折して約1時間、川俣温泉に着いた。平家の落人が軍資金を埋めたという「平家塚」もある。バスが通るようになったのは戦後のことだ。
ここから奥日光方面へ向かう山王林道(奥鬼怒林道)の途中から右に入り、湯沢という川をさかのぼると上流の左岸に温泉が流れ出ている。情報はそれだけだった。よく分からない。困っていると老舗の温泉宿「ふくよ館」(電話0288・96・0127)のご主人・八木沢一さん(58)が、泊まり客でもないのに丁寧に道を教えてくれた。
「ここはアルカリ性単純泉で、地元の人か登山者しか知らないような湯治場でした。交通の便もよくなって子宝の湯としても知られるようになり、年間13万人ぐらいが訪れるようになりました。10月に入れば紅葉が始まり、1年で最も美しい季節になります。温泉の手掘りができるのは山王林道を10分ほど車で上がった右側、作業用の林道から湯沢沿いの小道を2時間ばかりたどった所です」。
ところが、台風や雨で道が荒れていて、作業用の林道から小道への下り口が分からない。適当に50メートルほどのがけを滑り降りたが、川をたどろうにも両岸が岩の急流、行く手を阻まれては何度も左右に渡り返した。下半身はずぶぬれだ。対岸(左岸)には平家平温泉からの遊歩道がついているので、家族連れにはこちらがお薦めだ。左が工事現場の辺りでやっと本来の小道を発見したが、丸太で組んだ橋は2カ所で流されていた。探検気分だ。
温泉調節自在
あった。大きなS字カーブを曲がると、石ころと雑草の通称「広河原」が現れた。左岸、がけから70度はありそうな湯がわき出している。物好きな人が運んできたのか塩化ビニールのパイプがつないであり、河岸近くまで延びている。その先に風呂を掘った。
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写真=担いできたスコップで治水工事を約1時間 |
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掘ったといっても、原形はすでにできていて、人が使った跡がある。ただ、内側には砂や小石がたまっているから、手を入れる必要がある。担いできたスコップでこれを掘り出した。
湯の道も掘った。川からも水を入れて薄めないと熱過ぎるから、治水工事には念を入れる。工事用の青色のシートを底に敷くと効率がよくなるが「いかにも露天風呂」の情緒のために穴を掘り壁を作り、背もたれの岩を運んできた。
作業1時間。精を出したらかえって腰が痛くなったが、湯に浸り川で冷やすと全身が本来の自己修復能力を発揮し始めた。クマもこうして傷を癒やすのだ。
小道を女性の登山者が通らないとも限らない。こちらが海パンをはいていれば向こうも安心して近づいてくる。素っ裸では敬遠される。ひそかな出会いを期待して、おやじは海パンをはいた。こういう心遣いがナンパのこつなのだ、と信じてはや幾星霜。
お、来た来た。赤いシャツが木立の間に見え隠れした。でも男だった。
出しちゃった
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写真=ここで1泊するという越川さん(左)と |
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「仕事を終えて、昨夜のうちに車で山に入っていたんです。日が出てからゆっくり来ました」。千葉県の会社員、越川文徳さん(32)という好青年だ。テントを担いでやって来た。バイク雑誌でこの場所を知り、5月の連休にも来たという。「雪がまだ残り、風情がありました。今日はここで泊まって、のんびりするつもりです」。いいなあ。
彼はコーヒーを沸かし、飯を炊き、彼用の風呂を掘る。おやじは「おやじの湯」に浸る。浸りながら、大自然の招きに従って、たまっていたものをゆっくり出した。自分専用でなければ許されないぜいたくだ。体だけでなく、心の奥にたまっていた毒まで全部出し切った気がした。
手掘りができる温泉は湯沢のさらに上流にもあり、日本各所にあると聞くが、この広河原は格別だ。
いい湯のはずだ。ここはマタギの人たちの秘湯ともいわれ、30年前にもここから村の全戸に温泉を給湯する計画があったとか。コスト高で計画は中断したが、実現したらさぞお年寄りに喜ばれることだろう。
帰りたくない、あの温泉宿で1泊するか。
日はまだ高かった。
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後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、59歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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