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| 写真=ゴールした鏑木(右)と横山は互いの健闘をたたえ合い感謝し合った。スポーツの原点を見た(撮影・長谷川文) |
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峠の激走!!
悪天候真っ暗闇の中で逆転また逆転
泥だらけのまま、ゴールした2人が互いの肩を強く抱き合ったのが印象的だった。東京都多摩山域の71・5キロを制限24時間で走り抜ける過酷な山岳レース「長谷川恒男CUP」(9、10日、あきる野市)第13回大会を取材した。降り続く雨の中、真っ暗闇の峠で逆転また逆転。最後は鏑木毅(36)が新記録の8時間14分09秒で1分先着、昨年勝者の横山峰弘(35)が2位に入り、新たな激走伝説を生んだ。
驚異の新記録
「すごいことになっている。大岳山の上りで鏑木が先頭に出たが、横山と奥宮がぴたりと付いているそうだ」。終盤の情報が断片的にゴールの五日市会館に届き始めたのが午後9時前だった。「いや第3関門手前で奥宮が転倒、左手首を脱臼して遅れたそうだ。奥宮はリタイア勧告を無視してまだ走っている」。
雨が降り続き風も出た。峠では体感温度が5度近くまで急降下した。スタートしてすでに8時間。各自が携行するヘッドランプの光を頼りに、暗闇の山中で壮絶な戦いが進行している。待ち受ける人々はその過酷さを想像して息をのんだ。
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写真=1位鏑木。8時間14分09秒、死闘の末に驚異的な新記録で五日市会館にゴール |
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現在、北米大陸で世界と戦っている石川弘樹(30)が03年にマークした8時間24分06秒が大会記録。「悪条件の今回は8時間30分が限界か」。予想しながらゴールの最終準備が始まった。
その直後「もう来た、来たぞ」と闇の向こうで声がした。その声を追い抜くように、黒い影が走り込んできた。鏑木だった。全身が雨と汗にぬれていた。
予想もしなかった驚異の新記録。そのわずか1分後、今度は横山が飛び込んできた。ゴールするとがくっと上体を折り、ひざに手を当ててあえいだ。鏑木もふらりとよろけ、壁につかまった。地獄の激走だった。
2人抱き合う
それから唐突に2人が抱き合った。「ありがとう」「そっちこそ本当に強かった」。2人を遠巻きにして誰も近づかなかった。近づけなかった。声など掛けたら、神聖な瞬間を汚すような気がしたからだ。
レースは新人奥宮俊祐(26)が序盤をリード、これを第2関門手前で横山が抜き、大岳山の上りで鏑木が追い付く展開だった。
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写真=2位横山。第1関門を3位で通過した直後の横山(午後3時41分) |
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群馬県出身の鏑木は早大競走部では箱根駅伝のメンバーに入れなかったが、群馬県庁に勤めてから地元で山を走り始めた。富士登山マラソンでは3回優勝し、直前の2日にはボルネオ島のキナバル山レースで世界10位に入ったベテランだ。ただしこの大会は初参加。表彰状を渡されてから言った。「すごいのは横山さんだ。キナバルの筋肉疲労で僕は序盤は動きが悪かったが、第2関門で5分差3位と聞いて、先行2人の光を闇の中に必死に探して加速した。大岳山の上りで一気に抜いたが横山さんが少しも離れず、下りの岩場で逆に先頭を奪われた。これは上りでしか勝てないと、第3関門手前の緩やかな上りで最後の勝負をかけて30秒リードできたが、振り返ると彼のヘッドライトがいつまでも付いてきて、ゴールまで本当に苦しんだ」。
この2人、一緒に酒を飲むこともある。横山は「靴底を少し滑らせる」下りのスキッド走法が得意だが、教えたのは鏑木だった。だから横山に大岳山の下りで勝負をかけられのは全くの想定外。「横山さんはさすが勝負師、あわてました」。
あわてさせた横山は冒険レースの名門イーストウインドに所属し、山岳スキーでは日本一。東京の木場に生まれ、サッカーで武南高校に進んだ後、千葉商科大時代に山登りを覚えた。この大会は出場5回目だ。横山もライバルを褒めてばかりいた。「全力で競ったから、昨年のタイムを25分も短縮できた。鏑木さんは陸上部出身だけに平地も速い。今後の課題を教えてくれた。僕は奥宮さんを抜くために三頭山で頑張りすぎた。第2関門でトップに出るまでに体力を消耗し過ぎてしまった」。
気持ちが1つ
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写真=3位奥山。第2関門手前の鞘口峠まで1位を死守(午後5時34分) |
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第3の男奥宮は東海大出身。大宮自衛隊の選手として富士登山駅伝の常連だが、本格的な山岳レース個人参加はこれが初。「夜の山道など全く未経験。暗いところで置いていかれたら大変と、大岳山では無理して頑張った。それで下りで尻もちを着き、左手を脱臼した。小指が薬指と離れて変な方を向いていたのでテーピングができず、そのまま走った。前半頑張ったのも、暗くなる前にできるだけ稼ぎたかったから」。
思わず周囲は笑ったが、奥宮は後で打ち明けた。「実は今年1月、持病の不整脈で心臓の手術を受けました。競技生活がどうなるのか冒険でしたが、これで自信が付きました」。
壮絶な戦いだった。
この大会も生い立ちは厳しかった。正式名称日本山岳耐久レース。91年にパキスタンで遭難した長谷川恒男氏の冒険心にちなんで93年から始まった。安全とスピードは対立する2つの要素だが東京都山岳連盟は反対を押し切って主催した。
森谷重二朗大会会長(64)は言う。「異論も多かったが現代登山にスピードは不可欠、緊急時の迅速な移動能力の訓練こそ最良の安全策だと説いて回った。当初は経費も払えず、借用証を連発しまくった」。
参加者は倍増し、24時間歩き通して「完走」を楽しむ年配者も増えてきた。
スポーツ原点
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写真=参加者と330人のスタッフの健闘をたたえる森谷重二朗大会会長(右)と、名誉顧問の長谷川昌美さん |
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夫の遺志を継いで今もアルパインガイド長谷川事務所を運営する長谷川昌美さん(52)は「ゴールが感動的でした。登山でもどちらが頂上に行くか選択を迫られるとき、そこまでが苦しければ苦しいほど自我が昇華して、気持ちが1つになっていく。あの2人も苦闘の中で、相手と同じ感動を共有しながらゴールしたのだと思います。恒男も喜んでいるでしょう」。
スポーツの原点を見た。
☆ ☆
参加2018人、完走1111人。完走率55%。山岳レースは本格的なスピード時代の幕を開けた。
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後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、59歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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