
2005年2月15日更新
「バイク=不良」そんな時代だった
「中野真矢氏との対談(前)」
いいのか、こんなことがあって! ブラウン管の向こうの我がヒーロー、中野っちと会えるなんて。昨シーズンの中野真矢の活躍を見てたらさ、きっと今、上昇気流バリバリに向かうミドリのプラズマを全身から放出させてそうだ(カワサキだけに)。夢の中に出てくるほど楽しみにして当日を待った。
そしていざ、対談日。電車に揺られ、あるお寿司屋さんの個室へ。あの世界の中野真矢がいたんだ。第一印象は…凛としてた。プラズマ放出というより、静かで透き通ったようなオーラを漂わせていた。そして掘りごたつに足を伸ばす体勢にも関わらず、背筋がピンッと伸びていた。何ていうか、男の方にこういう印象はどうかと思うが、美しかった。あふれ出る真っ白さの素は、彼の生き方や夢への姿勢を映すものだと分かった。
まず、聞きたかったのは、レーサーになる以前の下積み時代だ。彼の幼年期や、その頃からの意志や、どう夢をかなえてきたのかという、プリミティブな部分について。
「もともと才能っていうのがあったと思います?」。彼は真剣なまなざしで答えてくれた。「バイクを乗る、操るという点での才能は、特別なんかではなかったです。というか、自分より速い人もたくさんいた。けれど、自分にあった才能は、好きだったということと、負けん気みたいことと、ライダーへの強い気持ちがあったことだと思います」。
いつのまにか膨れ上がっていった彼の夢への思いが、ゆっくりと、熱く、地変を起こすマグマのように、そこに実在した現実というものを超えて行ったのだ。思い返せば、自分もピアノを幼年からやっていて、毎日8時間もの練習をしていた。英才教育という場のレッスンに通っていたあの日々。今思えば、神童という人たちが僕の周りにはたくさんいた。けれど、みんな止めて行ったんだ。練習が嫌になったり、変化の見えない毎日に飽き、ピアニストという夢があまりにも遠すぎて辟易(へきえき)として途中下車したんだ。「才能あるね、神童だね」と言われている時期は、誰でも目の前のことをできる。でも、変化のない日々にカギを握るのは、自分に課せられた運命と信じて前進を続ける強い魂だ。それを彼は幼年期から持っていた。
そして、彼の思春期の頃へと話が進んだ。中学生、高校生。自分なんかは、幼年期からやってきたピアノに迷いを持った。「このピアノを続けてピアニストになることが、本当にオレの人生か? ちっちゃな頃に決めた、いや、ある意味親にやらされたピアノというもので続いていく道を歩いていくことが、本当にオレの人生なのか? こんなレールの上を歩いているような日々が、自分の人生だっていえるのか?」。誰もが同じだろう。
だが彼は、強い意志を持って前を向いていた。彼が強くあろうとしても、正しく行こうとしても、なかなか思い通りにならないこともあっただろう。
「まだ、ライダーっていう分野を理解してもらえていなかったですからね」。彼は振り返った。「ライダー=暴走族みたいな、不謹慎な、そんな風習があったと思う」。そうだなぁ、ぶっちゃけ、あったかも〜と自分もうなずいた。「走り屋らしいぜ、アイツ」とか、「バイク乗ってんだって、ヤバくない?」とか。「あの子は何か変。間違った道を歩んでいこうとしている。不良だ」。確かにそんな時代だった。
けれど、彼はそんな苦境に遭った時にでも、それを乗り超えて行った。父親を連れ、高校へ出向き、先生と向き合い、自分の思いをぶつけた。「僕は、決して間違っていない。ライダーの世界というのはそういうものじゃない。そして、ライダーになることこそが、夢なのだ」。
そして、中野っちは自ら道を切り開き、デビューを果たした。(続く)
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染谷俊(そめや・しゅん)
ピアニストとしての英才教育を受け音大を卒業するが、17歳でロックに目覚めてからシンガーソングライターの道を歩み93年CDデビュー。現在までにアルバム9作を発表。近年では、ピアノインストアルバムの発表や作詞作曲家としても独自の音楽センスを発揮し注目を集めている。染谷俊の魅力を届けるに欠かせないライブ活動は年間数十公演と精力的に行っている。鍵盤を叩き情熱たぎるメッセージロックを旋律にのせて歌う姿は圧巻である。 他のミュージシャンへの楽曲提供や、黒田倫弘、矢沢永吉、渡辺美里(敬称略)らといった実力派ミュージシャンとのライブやレコーディングセッションへも積極的に参加している。
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