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【1991年10月21日付本紙より】
セナ王者!ベルガーにV譲りワンツーゴール!◇10月20日◇三重・鈴鹿サーキット(1周5・86403キロ)◇出走26台(完走11台)◇晴れ◇14万8000人 アイルトン・セナ(31=マクラーレン・ホンダ)が2位に入り、2年連続3度目の世界タイトルを獲得した。フィニッシュ直前にはスピードを落とし、2位を走っていたチームメートのゲルハルト・ベルガー(32)に勝利を譲り、シーズン中の支援に報いた。逆転狙いのナイジェル・マンセル(37=ウイリアムズ・ルノー)は10周目にリタイアした。 無線で問いかけセナのアクセルが緩んだ。最終ラップ。セナの問いかけがベルガーに通じた時だった。「逆の状態になりたいのか」。52周を終わりトップのセナと2位ベルガーとの差は6秒あった。「そうだ」。無線の乾いた声がセナの耳に入った。レース中盤からベルガーが話しかけてきたが、はっきりと聞き取れなかった。逆転を狙うマンセルは10周目でリタイアし、セナの王者はすでに決まっていた。
「そのまま行けば優勝できた。だが、ゲルハルトは今までいろいろ助けてくれたんだよ」。マシン開発のテストを休まず行ってきたのも、セナ優勝のためにウイリアムズのマシンをブロックしてきたのも、ベルガーだった。第3戦サンマリノGPではセナを抜けたが、2位のままチェッカーを受けた。この事がセナには負担として残っていた。最後になって無線も友情も通じ合った。最終コーナー、セナの内側をベルガーが通り過ぎていった。そしてベルガーへの借りも返し終えた。 実はレース前、序盤を制した方が優勝者となる約束を二人は結んでいた。ポールポジションのベルガーは「アイルトンのために、できる限り逃げて差を広げておきたかった」と速いペースで周回を重ねた。中盤になり、ベルガーのエンジンが不調になり、セナがトップに立ったが、ベルガーは2位を走り続け、優勝は自分のものと思っていた。しかし、セナは勝つつもりでスピードを落とさなかった。勝利にこだわった。だが、最後になって勝ちを譲った。「アイルトンは、僕と同じぐらい相手のことを思ってくれていた」とベルガーは言った。 史上初の開幕4連勝を果たしたものの、最も苦しみ抜いたシーズンだった。マクラーレンのシャシー(車両)開発が遅れ、ホンダエンジンにも注文をつけ通しだった。「88年のセナのチャンピオンはマシンの力が七に対し、セナの力は三だった。しかし、今年はその比率が逆転していた」と、桜井淑敏ホンダ元監督は言い切る。
そしてタイトルを取るためにGPの戦い方を変えた。個々のレースではなくシーズンを通して戦うことを意識していた。「性格には合わないが、ポイントを稼ぐために走らなければならない時もある」とセナは言う。「その意味では戦略にたけたプロストに似てきた。しかし、プロストと決定的に違うのは予選にも力を入れていること。セナよりもプロストの方が最速ラップが多いことで分かる。予選が悪ければ、決勝でより速く走るしかない」(桜井氏)。 故郷ブラジルGPでの優勝に続き、シャンパンを自分の頭に振りかけた。したたり落ちる美酒に涙がまじる。速さが競われるF1界のはずが、ブラジル人のため苦しい思いをしてきた。しかし、F1界トップであるバレストルFISA(国際モータースポーツ連盟)前会長が、セナに親しげに声をかけるようになり、セナの実力を認めざるを得なくなった。マンセルも、マシンから降りたセナに握手を求めた。ヨーロッパだけでなく、真に世界に認められた王者がついに誕生した。【飯田玄】 (写真=ベルガーに勝利を譲るも年間総合王者を獲得したA・セナ)
マンセル、わずか10周でリタイア奇跡の逆転世界王者に背水の陣で挑んだマンセルだったが、10周目の第1コーナ入り口でアウト側にコースアウト。前を行く2番手のセナを捕らえる寸前で、無念のリタイアとなった。 「ブレーキが何の前兆もなく壊れた。どうしようもなかったよ」。セナとベルガーのブロックで、スタートはグリッド通りの3番手。猛追して後ろからセナにプレッシャーをかけたが、またしても女神に見放された。 しかしマンセルの表情は、すべてが終わった解放感で満たされていた。ファンに手を振り、笑顔でマシンを降りた。レース終了後は、セナの手を持ち上げ祝福した。「今季、ここまでやれて自信が戻った。満足なシーズンだったよ。今はセナ、マクラーレン、ホンダにお祝いを言いたい」。 タイトル獲得寸前まで行きながら、王座に就けなかったのはこれで6度目と、今年も不運の男らしい幕切れだった。だが、鈴鹿までV争いの夢を与えてくれたマンセルに14万8000人のファンは温かい拍手を送った。
中嶋悟「これがレース」予期せぬ終宴
中嶋悟(38=ティレル・ホンダ)の日本ラストランは、31周目リタイアに終わった。一時は7位まで順位を上げたが、31周目にハンドルがロックしてS字カーブから飛び出した。無念のリタイアも、ファンは中嶋の健闘をたたえ拍手を送った。第16戦豪州GPに、中嶋は完全燃焼を誓った。 中嶋は、ハンドルを切ることもできずに、コースの外へと飛び出した。31周目のS字カーブだった。タイヤバリアに突っ込み、衝撃でヘルメットがガクンと前後に揺れた。史上最高の14万8000人をのみ込んだサーキットが、場内アナウンスの声に耳をすまし、時が止まった。午後1時58分、中嶋の最後の日本GPは終わった。 足と首を衝突のショックで痛めていたが、すぐに車から降りて歩き出した。斜面でころびそうになり、おぼつかない足取りで心配されたが、約10分後にはピットに戻ってきた。温かい声援と拍手が、背中から中嶋を包み込んだ。スタートの出遅れを何とか取り戻し、27周目には7位を走っていた。入賞から表彰台へ、だれもが描いていた夢が現実に加速していた。それが、7位に上がってから4周で、中嶋さえ予想もしなかった結末を迎えた。テレビのインタビューを受ける間、右手のこぶしを強く握り締めていたことが、悔しさを示す唯一のポーズだった。 73年、この鈴鹿でレースデビューを果たして6819日目。F1への夢を育てた鈴鹿で、一つの仕事が終わった。「何かが壊れたみたいだ。とにかくハンドルが切れなかった。とにかく終わったね。去年と同じように、入賞を目指したけど、これがレースだよ」と淡々と話した。時折、困ったような複雑な笑みを浮かべて、レースが終わる前にサーキット内のホテルへ帰っていった。 予定されていたオープンカーでの場内一周も、中嶋の意向で中止になった。リタイアし、足と首を痛めていたこともあるが、福田直道マネジャー(43)は、「中嶋の契約はオーストラリアまで続いているから、これで終わりじゃないという気持ちなんです。セレモニーは、来年1月のファン感謝デーでやらせていただきます」と中嶋の気持ちを代弁した。観客は、それでも中嶋を待っていた。場内アナウンスの「きょうは何もありません」との放送があるまで、ほとんどがその場を動かなかった。 165センチ、58キロの小さな体で、体に頼らないで勝負のできる自動車レースを選んだ。しかし、リタイアしても決して言い訳をしなかった。体力的にも、日本のレーシングドライバーとして一番最初に科学的なトレーニングを取り入れた。レースに勝つため、いつかはF1に乗るために、常に新しい目標に向かって中嶋は走り続けた。期待通りの結末ではなくとも、ファンの目に最後の走りは焼き付いたはずだ。「彼の最後のレースに全力を尽くすだけです」。ホンダの白井裕V10プロジェクトリーダーは悔しそうに言った。あと1戦、74戦目が中嶋の最後のレースとなる。【桝田朗】
サトル語録
●「いよいよ夢が現実になってしまう。今のときめきは、F2をやっていた10年間でも味わうことのできなかったものだね」
●「ボクらの年代にはロータスやフェラーリといった名車に対しては、特別な思い入れがあるんですよ。小さいころ、よくプラモデルを作って眺めたっけ。夢に見た、あこがれのロータスのコックピットに自分がいると実感した気持ち、口では言えないよ」
●「平均したペースで走ることだけを考えていた。7位に入れるなんて思ってもみなかった。うれしいの一言」
●「スタートも切れないと思っていた。セナのマシンだから乗りづらかったけど、最後までとにかく粘ろうと思っていた。どんジリから6位だから本当にウソみたい」 ●「気持ちを変えて、今日は今までと違う走りをしようと思いスタートから飛ばした。中盤のもみ合いもなくうまくいった。素直にうれしい」 ※87年7月12日、第7戦英国GPで日本人史上最高の4位に入り、ホンダが初の1、2、3、4フィニッシュを達成した。
●「バカな息子を持った親は、何か人にほめられることをすれば喜んでくれるでしょ? 学校とかで1等賞取ったことなかったから、レースで1等賞を取ると本当に喜んでくれたんだ。F1はこれからなのに……」
●「どんな名門でも方向を誤ると勝てない。4があれば3がある。表彰台を狙いたい」
●「オレだって早く経験したいよ。来年はオレの方が表彰台に立てる可能性が高い」
●「原稿がないのがボクの人生。原稿があるとトチッちゃう。そのときそのときの言葉と出合いが人生だと思う。だから講演でも原稿は書かないし、小説や映画も作りものだから嫌い」
●「メカのみんなのやる気もひしひしと伝わってくる。何かの恩返しをしなければいけない」
●「F1のシステム上、今の時期にチームに対してボクの存在を消しておくのがチームのため」
攻めて散った「パパ、リタイアしちゃったんだって」。午後5時過ぎ、東京の実家から愛知県岡崎市の自宅に戻ってきた中嶋夫人あけみさん(37)は、長男一貴くん(6)次男大祐くん(2)の二人をあやすように話しかけた。地元鈴鹿でのラストラン。「出掛ける前は、地元ということで緊張していたようです。でも珍しく攻めて、精いっぱいやったんですから(リタイアでも)いいんじゃないでしょうか」。レースを生で見るのは、好きではない。「やっぱり、心配ですから」。 10年ほど前、ホッケンハイムにF1観戦に行ったことがある。「そのとき、主人は物欲しそうな顔で(マシンを)見ていました。だから、F1搭乗が決まったときの喜びようが、一番印象に残っています。子供のころからの夢がかなったんだから、表彰台なんてうまく行きすぎですよ。そんなに甘い世界じゃありません。主人もわかっていると思います」とにこやかに話した。 二人の息子に、カートをやらせようとも考えている。今までは中嶋が多忙で、それもかなわなかったが、もうすぐ、家族の元へ戻ってくる。
お疲れ様中嶋◆西武・清原内野手 「ついに中嶋さんが、日本でのラストランを終えましたね。僕もプロ入りする前から車が大好きで、車の運転をしている時が快適な時間なんです。車中でもよくF1のテーマ曲を聴きながら気分を高めて球場入りしたりしています。日本のトップドライバーとして歩まれ、僕たちファンを楽しませてくれて感謝しています。日本シリーズが終わったら、ゆっくりビデオでレースを見るつもりです」。 ◆大洋・高木豊内野手 「中嶋さんとは一昨年の秋、ゲーム移動のための新幹線を待っている時、紹介されてホームで一度しゃべっただけですよ。確か鈴鹿グランプリの前でした。僕も車が大好きなので話している間に、すっかりファンになりました」。
中嶋グッズ完売リタイアするも中嶋グッズは完売−−300以上のF1関連ショップが出たサーキット・ランド内で特に人気だったのが中嶋のスポンサーである「PIAA」の店。820円のタオルから6万8000円のコートまで約50種類のグッズが並んだ。中嶋のネーム入りの旗は、大(5150円)小(1030円)で計7000本が、この日の決勝を待たずに売り切れた。
僚友モデナ6位入賞31周目で無念のリタイアの中嶋とは対照的に、チームメートのS・モデナが6位入賞を果たした。「マシンは完ペキに近い内容だった。コーナーの立ち上がりで、もっとパワーアップしたいと思うと、そのようにできた。レースが進むに連れてマシンはパーフェクトになったよ」。鈴鹿でのラストランのために、中嶋のマシンに比重をかけたセッティングがされてきたが、皮肉な結果となった。
亜久里はエンジントラブル前年3位の鈴木亜久里(31=ラルースF1)も、チームの状況が変わりエンジンの不調続きではどうにもならない。走行中に2度もエンジントラブルを起こし、27周目にリタイアした。「何とか完走ぐらいは、と思っていたけどダメだった。中嶋さんも、最後にいい成績を挙げたかっただろうけど、これがレースだからね。とにかくお疲れ様と言いたい」と話し、サーキットを後にした。
総入場者数は過去最高の33万7000人◆総入場者数 3日間の総入場者数は33万7000人(初日6万9000人、2日目12万人、最終日14万8000人)で過去最高を記録。90年31万6000人、89年28万3000人、88年23万3000人、87年22万2000人で、4年前に比べて11万5000人増加。鈴鹿市の人口は約17万人で、まさしく“民族”大移動の祭典だ。 ◆3万台が集結 駐車場は2万5000台分が用意されたがすべて満杯。付近の民間駐車場を含めると約3万台が鈴鹿に集結した。2輪(1000台)、自転車(2500台)、バス(400台)の駐車場もすべて満杯となった。 ◆ガードマン 15万人の観衆を整理するガードマンは4500人が動員。所轄の鈴鹿警察署では機動隊などの応援を頼み、3日間で600人が警備や交通整理に当たった。ダフ屋の検挙はなかったが、通常(3日間通し券1万3000円)の10倍の価格がついたとか。 ◆トラブル 期間中の物件事故は20件近くあったが、大事件はなし。駐車違反の警告は3日間で約300件。鈴鹿では毎年夏に恒例の8時間耐久オートバイレースが行われるが、「8耐よりも客筋が良くて、暴走族対策は必要ありませんでした」(鈴鹿署)。 ◆報道陣も国内最高 国際レースとあって、新聞・雑誌記者は国内270人、海外200人が取材に当たった。フジテレビのスタッフは370人で、テレビカメラ35台が使用された。
石橋貴明ら満喫スポンサーの招待客が、各ブースから応援した。その中に「とんねるず」の石橋貴明や、「米米クラブ」のカールスモーキー石井ら芸能人も。生のF1サウンドを聞きながら、結果が手に取るようにわかるモニターを見つめるぜいたくな方法で、晴天の日本グランプリを満喫していた。
ロータス来季はいすゞV12有力ロータス・チームが、来シーズンのエンジンにいすゞ自動車製のV12エンジンを使う可能性が高くなった。ジャッドなど三つのエンジンを候補にしてきたが、ジャッドV10はブラバムに決定。すでに英国シルバーストーンで2日間にわたってテストしたいすゞ製エンジンに絞られてきた。 テストに参加したジョニー・ハーバートは「とてもいい感触を持っている。コンパクトだし、信頼性もある」と話している。テストでは、初めてにもかかわらずエンジンは一発で始動し、V8エンジンを使用している現在の車体に簡単な改良を加えただけで、V12エンジンを積むことができたという。 ロータスのピーター・コリンズ監督は「まだ決まっていない」と言葉を濁しているが、同チームのドライバー、ミカ・ハッキネンが、いすゞ製トラックの試乗会に出席する予定もあり、親密な結びつきとなっている。いすゞが参戦すれば、フットワークに来年から供給する無限と合わせ日本で4番目のメーカーとなる。
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