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2005/6/13

米国の仕組みが、日本にないことが許せなかった
チュー中原のコーナーが、対談スタイルにリニューアル。「日本のバスケットボールをもっと盛り上げよう」というコンセプトの下、中原雄氏(38)がバスケットボール好きの面々と熱いトークを繰り広げます。第1回は、NBAを日本に広めた功労者で、テレビ解説などでおなじみの島本和彦氏(58)の登場です。2人の付き合いは15年以上にもなり、「チューヤ」「おやっさん」と呼び合う仲。このたび、日本初のプロリーグ「bjリーグ」に参加する大分ヒートデビルズのPR担当となった島本氏は普及、強化のためのアイデアを実現すべく日々、奔走しています。【構成:飯田みさ代】
中原 大分の「エグゼクティブPRディレクター」になったということですが、東京出身のおやっさんが、なぜ大分にかかわることになったんですか?
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| 愛用のパイプをふかしながらバスケットへの思いを熱く語る島本氏 |
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島本 そういえば、詳しいことを話してなかったね。実は大分のオーナー、矢野裕史さんとはbjの話が出る前からの付き合いなんだ。彼が若いころ、米国留学したときのルームメートが僕の知り合いだったことで、3年前にロサンゼルスで紹介されたのが始まり。当初から彼は「大分のバスケットボールが弱い。強くするため、何とかできないか」と情熱を燃やしていて、いろいろ相談を受けていた。そうしていくうちに当時、新潟アルビレックスの社長だった河内さん(現bjリーグコミッショナー)を紹介し、bj立ち上げの話になってトントン拍子に話が進んで、大分の参戦が決まったんだ。
中原 そんな付き合いがあったんですね。
島本 出会ったころ、彼は家業の関係で資金ができた。ちょうど40代半ば。残りの人生を考えたとき、その資金で「自分が精一杯、情熱を注ぎ込めることをやりたい。愛するバスケットボールのために力を注ぎたい」と考えるようになっていた。そんな人が出てきたことも、僕としてはうれしかったね。だって、金をもうけたアメリカ人の夢ってスポーツチームのオーナーじゃない? 地域の少年野球のスポンサーから始まって、メジャーリーグのオーナーが最高のステータスで。今でこそ、三木谷(浩史)さん、堀江(貴文)さんなんかが出てきたけど、僕は前から「日本でもそういう人が出てこないのはウソだ」とコラムに書いていたわけ。そしてバスケットでも、ようやくそういう人が出てきた。だから絶対に失敗させちゃだめだ、金の問題じゃないと思ってるわけですよ。
非日常的なエンターテインメントの場
中原 失敗させないために第一に考えていることは何でしょう?
島本 まずは、そこが非日常的な場で、行ってみたら楽しかったという場所にしなければならないよね。日本には40年も歴史があるJBL(日本リーグ機構)があって、いくらbjが「プロ」と言っても、プレーで熱狂させられるのは10年後ぐらいじゃないかと考えている。だから、ハーフタイムやタイムアウトで観客を盛り上げたり、キャラクターが子供たちを楽しませたりするとか、そういったエンターテインメント性が必要なんだ。僕もオーナーも米国でのあんなに楽しい場(NBA)を体感しているし、現地の子供たちに何が楽しいのかということも、聞いて分かっているからね。
中原 「興行」と見ているわけですね。正直言って、JBLにはそういった要素がほとんどなかったですね。
島本 JBLの中にもやりたい人はいたんだけど、その仕組みを作れなかった。今、ようやく検討し始めたところだけど、しばらくは取り掛かれないと思う。だから、そういうことをやる場(=bj)があってもいいんじゃないかと。僕は、米国(NBA)を長らく見てきて「米国にある素晴らしい仕組みが日本にない」ということが、ずっと許せなかった。それならば、自分で作っちゃえって。協会がやってくれるなら、それはそれでいいけど、やらないんだったら自分でやっちゃえって。それで今回、動いたわけ。
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| 「月刊バスケットボール」を愛読し、島本氏解説のNBA番組を見て育った中原氏 |
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中原 そういう場は必要で、みんな願っていたことです。
島本 やるからにはメディアに取り上げてもらうことが必要で、僕はしゃべることも、書くことも十分ではないけれど、両方できると思っているから、PRという役割を担うことになった。今は月1回は大分に行って、企画などの会議に必ず出席しています。
中原 プロリーグの誕生で、子供たちに夢ができますよね。自分がやってるスポーツにプロがあれば、競技への取り組み方、見方が全く変わると思います。先があれば、何より親が応援するようになります。
島本 子供の将来が不安で、「この子が通用するのかな」と心配するのが親。田臥(勇太)君のご両親だって、そう思ってたみたいだからね。でも「やらせてみたら意外にやるじゃない」と親もその気になったとき、国内にプロがあるのとないのでは全然違う。
中原 日本のバスケットが弱いのは「大学生がだらしないからだ」と言われてますけれど、ここ10年で(JBLのチームが)めちゃくちゃつぶれてる状況では、学生に目標がないんですよ。熊谷組から始まって、NKK、住友金属、いすゞ…と名門チームが次々となくなっている。だから、能力がある子でも考えるのはバスケットのことじゃない、就職のことですよ。コーチになった6年前、学生にはっきり言われました。「これだけバンバンつぶれたら怖いですよ。それだったら、もうちょっと違う方向で、末永く勤められる会社を選びたい」と。
島本 そう、受け入れ先がないからね。それなのに、何十年も一貫して「大学がだらしない」と言い続けている状況も変わっていない。指導する側としてはものすごく大変だね。
中原 そうなんですよ。「頑張れ」って言うにしても、どこに向けて頑張るのか、何を頑張るのか、問われると困るときがあります。そんな中、ようやくbjが立ち上がるわけですが、悲観的な見方をする人がいるのも事実です。でもネガティブなことは考えずにbjとJBLの両方に頑張ってもらって、ともにパワーアップして、早く一緒になって欲しいと思ってます。
島本 一本化はともかく、それぞれがいろいろと考えればいいんですよ。bjは「JBLに頼らないで自分たちで頑張る」と言っているけど、JBLから提案があれば受ければいい。JBLは「自分たちがやっていることが、bjの中に入ればこんなことに広がるね」って考えればいい。過去のことにとらわれて、後ろばっかり見てたって仕方ないんだから。田臥君がNBA入りしたとき、全世界から何て言われたか。「あいつはプロのないところから来たんだから、すごいんだ」と言われたんだからね。
世界から注目、逸材加入も
中原 来年、日本で世界選手権(さいたまスーパーアリーナほか)が行われると、世界から日本のプロリーグが注目されますね。
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| 6月6日のドラフト会議の前に、指名選手を相談する大分の首脳陣。左から島本氏、オールドハム監督、矢野オーナー |
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島本 おそらく、世界選手権に出場した多くの選手が日本でプレーするようになる。これは間違いない。前例があるから確実に言えることだね。以前、「ジャパンクラシック」という米国の大学4年生を集めたプレドラフトのようなイベントを日本で3年間、開催したことがある。NBAのドラフトに上位で指名される選手より、少し評価の低い選手を集めてキャンプを張ったもので、その中から化けたのが、スコッティ・ピッペン(元ブルズ)。
中原 あのジャパンクラシックで1番有名なのはゲーリー・ペイトン(セルティックス)ですよ。エリック・マッカーサー(アイシン)もいたし。
島本 あのときの来日メンバーから、多くの選手がJBLに入った。米国に見に行かなくても選手を見られるんだから、日本側にとっては大きなメリットだったはず。今回の世界選手権でも同様のことが起きると思うよ。そのとき、選手側としては目指すのはJBLじゃないでしょ。だって、プロがあるんだから。
中原 そうなると、bjはエライことになりますね。
島本 ごそっといい選手が加わる可能性は十分あるわけだ。
中原 米国の選手もそうでしょうけど、欧州や南米の選手なんかは、bjで2〜3年頑張って、それをステップに米国へ挑戦しようと考える選手も少なくないと思いますよ。
島本 ありえるね。僕が「月刊バスケットボール」の編集長をやっていたとき、バスケットが盛んになることをやらないと、雑誌が売れなかった。だから、いろんなことを仕掛けたんだけど、これからもそういったことをやっていくつもり。
中原 では、大分だけじゃなく、bjリーグそのものにもかかわっていく?
島本 河内氏からは「早く大分を何とかして、bjの方に協力してくれ」と言われているけど、先に大分から言われたんだから、そうはできないでしょ?(笑い) ただね、他チームでも盛り上げるためにどうしたらいい? と言われれば、仕事としてやりますよ。いろいろアイデアが浮かんでくるからね。やってみたいことはいっぱいあるんだよ。【第1回終了】
◆島本和彦(しまもと・かずひこ)
1946年8月18日、東京都世田谷区生まれ。玉川大出。日本文化出版「月刊バスケットボール」の編集長を経て、NBAの専門誌「HOOP」の創刊に携わる。78年から現地でNBAを取材。日本におけるNBA普及の中心的な存在で、NBAの日本開催にも尽力した。現在はNHK−BSやCS放送を中心にNBA中継のコメンテーターを務めるかたわら草の根的な活動も。今後はbjリーグの大分ヒートデビルズの広報担当としてさらなる意欲を燃やしている。
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◆チュー中原(本名・中原雄=なかはら・たけし)
1966年11月10日生まれ。福岡県出身。専大ヘッドコーチ。89年に専大からいすゞ自動車入り。主将として4連覇を達成した後、99年に退社後、母校専大アシスタントコーチに就任、04年4月からヘッドコーチを務める。大学史上初の全日本大学選手権、関東リーグ戦を制すなど指導力に定評があり、テレビ解説でも活躍中。愛称は「チュー」。
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