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2005/6/27

アキレスけん断裂から再起へ
今回は、日本バスケットボール界の第一人者で元日本代表の司令塔、佐古賢一選手(34=アイシン)の登場です。中原雄氏(38)とは、いすゞ自動車時代に同じポイントガードのポジションで切磋琢磨した仲。気心が知れているだけに、本音がビシビシ飛び出しました。3月末のスーパーリーグプレーオフの東芝戦で左アキレスけんを断裂し、現在リハビリ中の佐古選手は、新たな目標に向かって燃えています。【構成:飯田みさ代】
中原 足をやったときは、僕もショックだった。パッと、ケンの顔を見たら「アキレスけん」って言ってるような気がして、まっさか、切れてないだろうなと心配で心配で…。
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| アキレスけん断裂から再起を図る佐古選手 |
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佐古 シュートを打って着地した瞬間、バーンって音がしたんだけど、痛くないんですよ。ただ、左足に全く力が入らないから、そのまま後ろに倒れた。最初は筋肉が切れたと思って、ふくらはぎを触ったんですけど、痛くない。嫌な予感を抱きながらアキレスけんを触ってみたら、途中からなかった。触っていくと、どこから切れてるかも分かって、それで「すみません、アキレスけん切れました」って言いながら退場したんです。
中原 ウワー。切れてるところが分かるのか。
佐古 手術して入院した直後は、何でオレがこんなことになっちゃうんだってショックも、憤りもありました。でも、片足が使えなくなって見えたものもすごくあります。
中原 強くなるからね、ケガした選手は。
佐古 今のオレ、近年にないほど燃えてます。1日3時間、リハビリをやるんですけど、終わったらヘトヘトですよ。ガンガンです。具合悪くなるまでやってます。
中原 やらないと、やる前の体に絶対に近づけないというのが、自分の中にあるからだろうな。
佐古 「普通に戻ったぐらいじゃ、許せない」って気持ちがあるからなんです。逆に、前よりいい体を作ってやろう、体のメンテナンスのために、また一から体を作り直すために、今はちょうどいい時期なんだ、って自分に言い聞かせてるんです。自分の体とじっくり向き合って、今までトレーニングできなかったところも重点的にやっています。一般の人が術後2カ月で70〜80%ぐらいしかできないところを、僕は120%以上のことをやってるようで、リハビリの先生からは「自分で休みをドンドン作ってください」って言われてます。
中原 それ、リハビリじゃなくて、ワークアウトちゃうの(笑い)。
佐古 でも、それぐらいやってないと、満足できないんですよ。これをチャンスに変えるかどうかは、自分次第。オレはこれをチャンスに変えたいから、今までやったことないぐらいトレーニングしてます。いすゞからアイシンに移って、自分なりに頑張ってきて満足してた部分はあったんだけど、あれは努力じゃなかったんだなあって思うくらい、ケガをしてから「妥協」が許せなくなった。
中原 そうか、これをチャンスに変えないとね。
佐古 ただでさえ年取ると、練習量って増えるじゃないですか。動いているときのイメージを維持するためには練習しかないんです。若いころは練習しなくてもイメージ通り動けたし、逆に休んだほうが跳べたり、走れたりしたけれど、年取ると、練習しないと動けなくなる。
中原 もう言わんといて。僕は来年40代になるんやから。でも、ケンも若いころは全く感じていなかったことを、年や経験を重ねるうちに、感じていたのか。
嫁が、子供が見てるから頑張れる
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| 「ケンは人間くさくなったね」とうなずきながら話を聞く中原氏 |
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佐古 周囲は言いますよ。34歳で連覇も途切れて、アキレスけんも切れて、リハビリ頑張って復帰したからって、その前より動けるかどうか分からない。ちょうどいい引き際じゃないかって。でも、オレはそう考えない。
中原 確かに、いすゞでもアイシンでも全日本もリーグ戦も優勝し、MVPだって何回も獲得した。日本代表のポイントガードとしても一時代を築いた。「もう、いいだろう」って声があるかもな。
佐古 でもね、ケガした試合を家族が見てるわけですよ。子供たちはみんな泣いてましたよ。あの子たちの中にある強いお父さんが、目の前で、プレーできないケガをしてしまったということを、小学4年生、2年生、5歳なりの感性でそれぞれ受け止めているわけです。それを見たら「負けちゃいけない」と強く思ったし、身をもって子供に教えなければと思ったんです。現役生活の中で、親としてできる最後のことは、これくらいしかない。教育のつもりで、気力を振り絞っているんです。
中原 あれを見たら、子供は泣いてしまうわ。会場中がシーンと静まり返って、凍りついた。
佐古 選手って不思議なもので、見てくれる人間がいる限り、頑張れるんです。自分が今、何でバスケットを頑張れるのかというと、嫁が、子供たちが自分を見ててくれるから。自分も、自分がやってることを見せたいから頑張っている。自分を理解してくれる人間、自分を大切だと思ってくれる人間が1人でも2人でもいることを、自分のパワーに変えています。よく最近、インターネット(sakoken.Net)のファンの人からのコメントで「パワーをもらっています」「元気をもらっています」とあるんだけれど、それはお互い様。僕も、それで力をもらっていますから。
中原 少し会わない間に、佐古賢一はものすごく人間くさくなったね。オヤジの部分だとか、旦那の部分とか。人間くさいやつっていいよな。だって僕らは男である前に、女である前に人間。人間同士の付き合いができるやつがいい。
恐怖、切れた瞬間よみがえる
佐古 そう、自分が人間だと感じるときはね、夜、寝る間際。布団に入ってスーッと眠りに入るとき、バーンって切れた瞬間かよみがえって、飛び起きてしまうんです。怖いっすよぉ、あの切れた瞬間がよみがえるってのは…。オレの中ではケガそのものがどうこうってよりも、ケガをしたという恐怖心に打ち勝てるかという不安の方が大きい。
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| 身振り手振りを交えながら、真剣にバスケットを語り合う佐古選手と中原氏 |
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中原 その恐怖心を払しょくするため、練習をめちゃくちゃしてるのかもしれないな。
佐古 そうですね。何も特別なプレーをしたわけでないのにケガしたっていうのが脳裏から離れない。ドリブルでゴール下に切り込んでいって、ポンって切り替えて、ポン、ポンって止まって、10センチぐらい下がってシュート打って降りただけなんだから。あんなプレーは、練習で何万回もやってきたことだし、そんなに難しくないし、体に負担がかかってることもない。なのに切れた…。その現実を乗り越えるには、万全な体をつくるしかないかと。
中原 自宅に戻らずにリハビリに専念しているのも、精神的なものが大きい?
佐古 病院が自宅から遠いこともありますけど、今、自分にとって大事なことは家族との時間より、自分の体ということを理解してもらっています。そんな中、小学4年生の長女がバスケットを始めたんですよ。
中原 えっ、ホントなの?
佐古 それを聞いたときは、涙が出ました。自分のお父さんが大ケガをして、選手をやめちゃうかもしれない瞬間に出会っているのに、バスケットを始めてくれた。うれしいじゃないですか。
中原 ええ話やなあ。
佐古 「お父さんがケガしたから、代わりに私がバスケを始めた」という言葉を、どうしても子供から直接聞きたくて、電話で始めた理由を聞いたんですよ。そしたら答えは「うーん、仲のいい友だちが始めたから」って言われちゃって(笑い)。
中原 何だ、ケンのケガとは全く関係なかったやんか。
佐古 そうなんですよ。そう思い込んでいたのは自分だけ。でも、理由は何でもいいかって(笑い)。
中原 ケガからいろんな経験をしているケンの話を聞いて、復活の日が楽しみになってきた。新たな「佐古賢一ストーリー」が生まれそうだな。
佐古 「アキレスけん断裂からの復活」というネタそのものが、注目されますよね? これまで応援してきてくれたファンのみんな、支えてくれた人たち、チームメートに復活のときを見てもらい。復活の1試合目でどうプレーするか。それが自分の1番大きなモチベーションになってます。
中原 対戦相手としては、こんな強い気持ちの選手と当たるのは嫌だね。
佐古 そう、オレって往生際悪いですから。【第1回終了】
◆佐古賢一(さこ・けんいち)
1970年7月17日生まれ。横浜市出身。北陸高3年時、高校総体で全国制覇。中大時代の3年生から全日本入り。93年、いすゞ自動車入社。3年目から日本リーグ(JBL)2年連続MVPなどの大活躍で、チームも常勝軍団へ。全日本では10年連続司令塔としてチームを率い、31年ぶりに世界選手権出場という快挙も達成。02年、いすゞ自動車の廃部に伴い、アイシンへ移籍。同時にプロ宣言。179センチ、80キロ。家族は妻、1男2女。www.sakoken.net
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◆チュー中原(本名・中原雄=なかはら・たけし)
1966年11月10日生まれ。福岡県出身。専大ヘッドコーチ。89年に専大からいすゞ自動車入り。主将として4連覇を達成した後、99年に退社後、母校専大アシスタントコーチに就任、04年4月からヘッドコーチを務める。大学史上初の全日本大学選手権、関東リーグ戦を制すなど指導力に定評があり、テレビ解説でも活躍中。愛称は「チュー」。
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