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2005/8/8

事故がなければ、今の自分はなかった
| 車いすバスケットボール日本代表・京谷和幸選手:第1回 |
「車いすのJリーガー」と聞いて、ピンと来る人もいるでしょう。サッカーのジェフ市原(現千葉)でMFとしてプレーし、車いすバスケットボールの日本代表として、シドニー、アテネのパラリンピックに出場した京谷和幸選手(33)です。Jリーグ開幕の半年後に交通事故に遭い、半身不随となりましたが、「事故が今の自分をつくった」とすべてを受け止め、前向きに生きています。北京でのパラリンピックを競技人生の集大成とするために、日々前進する京谷選手を中原雄氏(38)が直撃しました。【構成:飯田みさ代】
中原 お会いするのは2度目ですね。アテネで2度目のパラリンピック出場後、今年は5月の日本車いすバスケットボール選手権で千葉ホークスが優勝し、MVPを受賞。相変わらずの活躍ですね。
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| 事故から立ち直り、車いすバスケで活躍するまでを語る京谷選手 |
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京谷 5月の全国大会では、僕より活躍した選手はいたんですよ。決勝ですごく点を取った選手もいたし。でも、1回戦からトータルで見て、チームをまとめたということで評価してもらいました。
中原 体もごっついですよね。
京谷 腕だけでやるスポーツですからね。全国大会終了後、1週間はオフですけど、その翌週から3カ月間、徹底的に走り込みをします。やっぱり、疲れてくるとシュートが入らなくなるんです。試合では、技術的なことよりも最後はスタミナ勝負なんですよ。
中原 疲れたら、入らないというより、届かないですよ。それにしても、車いすバスケって、激しいですねえ。容赦なくぶつかり合うし、ケガしたかと思うようなシーンの連続。健常者のバスケよりきついかもしれませんね。ホントの格闘技ですよ。
京谷 特に、ゴール下は激しいですね。僕は、みぞおちから下がまひしていて、腹筋も背筋も効かないので、ゴール下では耐えられない。だから、ポジション的にはPG(ポイントガード)を務めています。サッカーのときもMFだったんで、司令塔としては同じでしょうか。
中原 ……。腹筋背筋が効かないなんて、考えられないです。どうやって座っていられるのか、想像も…。
京谷 背もたれを高くして、支えているというか。脇なんかは感覚がないから、傷だらけなんです。
中原 僕も1度、クリニックで車いすバスケを体験したことがあります。難しいっすねえ。僕らは、手を出してボールを取ればいいけど、車いすバスケの場合、まずは車を動かなさないといけない。あとは、車いすの細かい動かし方、ターンやバック、とてもじゃないけど、無理だって思いました。
京谷 最初は、だれでも難しいですよ。
サッカー人生は20歳で終わった
中原 京谷さんの場合、Jリーガーになってわずか半年で交通事故という、本当の意味での人生のターニングポイントを迎えた。だけど、そこからまた違った競技に挑戦し、再び日本の第一線で活躍している。いやあ、普通じゃ、なかなかできないことですよ。自分に置き換えて考えてみても、できないと思います。ここまで、相当な苦労や努力があったんじゃないですか。
京谷 うーん、努力というのは、1か2ですかね。「自分はそうなる」って決めたから、残りの8か9は、決めたことを達成するために必要なことでしかない。周りはそれを「努力」と呼ぶのかもしれないけど、僕は「プロセスの1つ」としか思わない。
中原 そのように考えられるようになったのは、いつごろからですか。
京谷 やはり、サッカーで身についたものですかね。ボールを取られたら取り返すといったような、日々の練習の中で。
中原 それが、今でも生きているわけですね。
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| 身振り手振りを交え、京谷選手と語る中原氏 |
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京谷 僕の人生は「事故」が1つのキーワードなんですけど、サッカー人生としては20歳で終わっていたと思うんです。それまでは、ユース(U−20)代表、オリンピック(U−23)代表候補に選ばれて「絶対に日の丸をつけてやる」と明確な目標があった。でも、年代別の代表が解散したとき、それ以上の目標がなかったんですよね。Jリーグが始まって、プロサッカー選手になったことで満足してたんでしょう。
中原 モチベーションが高まらなかった?
京谷 そう、ただ試合に出たいとか、チーム内のリトバルスキーとの争いしか頭になかった。試合に出たら目の前の、同じポジションの相手に勝つことしか考えてなかった。その先の動機付けがあったら、変わったかもしれないんですけど、なかったですね。
中原 今の京谷さんからは信じられないですね。
京谷 20歳を過ぎて、遊びたくなったんですね。僕は高校を卒業してすぐに就職したから、大学生がうらやましかった。その一方で、自分の方が先にサッカーで飯食ってるという優越感もあり、そんな宙ぶらりんな気持ちで22歳まで過ごしていました。もし、あのとき、もう少し違った自分があれば、と悔やむときもあります。
中原 それは僕もありますよ。高校や大学時代に、今の気持ちを持って過ごしていたら、もっと違った人生があったよなあ、って。
京谷 ありますね。
中原 だけど今、その気持ちがありさえすれば、いいと思うんですよ。今が良い状態ならば、過去を「もう、いいや」と思える。だから、今が重要だと思うんです。
京谷 そうですね。何かあると人間ってすごく強くなるし、変われる。事故がなければ、今の自分はなかったと思います。きっと、今でも横柄で、わがままで自己チューでしたね。サッカーやってるときなんか、自分のことを「天才」と思っていたし、ほかの選手のことを絶対に認めませんでしたから。中学のとき、姉妹都市の清水市(現静岡市)に遠征に行ったんです。僕ら室蘭選抜は0−10でボロ負けしたんですけど、それでも「自分だけは、勝っていた」と思ってました。「オレのパスをシュートできない仲間が悪い」と敗因を仲間のせいにしてるようなやつだったから、浮いてましたね。今、そうやって自分を客観的に見られるようになったのも、事故のおかげです。
中原 でも、ある意味、スポーツ選手って自己中心的じゃないと大物になれないと思うんですよ。ここ一番で「オレが!」って思えるやつじゃないと、並みの選手で終わってしまう。京谷さんも、そういう我の強さがあったから人と違ったんじゃないですか?
京谷 「スラムダンク」の井上雄彦先生と対談したときも、そういう話になったんですね。井上先生は「京谷君は、サッカーやってるときはエゴのかたまりだった。それが少しずつ角がなくなって、今は一番いい部分のエゴだけが残っているんだよ」と表現していて、自分でもそうかもしれないなあって、思ってます。
中原 いやあ、ええこと言うなあ。
北京を現役生活の集大成に
中原 ところで、奥さん(陽子夫人)もバスケットをやってるんですよね。
◇車いすバスケの主なルール◇
試合時間は10分間のピリオドを4回実施。コートの大きさ、ゴールの高さ、ボールの大きさなどはすべて一般のバスケットボールと同じで、コート内でプレーできるのは1チーム5人。選手は、障害の程度に応じた持ち点がある。健常者が5点で以下0.5点ずつ下がり、最も重いのが1点といったもので、コート内の5人の合計点は14点以内にしなければならない。
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京谷 週1回。バスケって言うより、みんなと体を動かして楽しむというか、そんな程度のものですよ。
中原 僕もそうですよ。引退した身ですからね。汗をかいて、健康維持のため、スポーツを楽しむという感じでやってます。真剣にやってるのは、京谷さんぐらいですから(笑い)。
京谷 アハハハハ。僕も多分、北京を終わったらそんな感じになると思います。
中原 ホントですか?
京谷 「代替わりします」って、宣言しちゃいましたもん。車いすバスケって、障害のクラスによって持ち点があるスポーツで、僕は最も重い「1点」のクラス。このクラスで日本のトップにいるんですが、僕がいると、若い世代が入ってこられない。僕の次に来る選手が29歳なので、4年後、8年後を狙えるようにするには、若い選手を育てないといけないんですね。
中原 世代交代を考える時期にきてるわけですね。
京谷 実際、アテネで引こうかと思ったんです。チームの結果は8位でしたけど、自分としては満足した部分もあったから。自分は、自分のクラス1の中では世界トップでやれたので、もう、いいか、とも思ったんですが、何かが引っかかった。
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| 日本代表としてプレーする京谷選手(撮影=多田さやか) |
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中原 完全燃焼はしていなかった。
京谷 アテネの最終戦となった決勝トーナメントの7、8位決定戦でアメリカと戦ったんですね。10代、20代前半の選手が中心のアメリカとは、予選リーグでも対戦したんですが、決勝トーナメントでは予選のときと質もチーム力も全然違ったんです。何が違ったかというと、ただ1人、40代のベテラン選手が加わっていた。彼が入るだけで、こんなにもチームが変わるのかなと衝撃を受けました。
中原 なるほど。
京谷 コートにいるだけで、流れを変えられる。そんなベテラン選手がどの国にも必要だし、どの競技にも必要ですよね。今の日本のチームで、その役割を自分のほかにだれができるのかって考えて、それからです。「北京はサブでいい。ただチームのために支援したい」と気持ちが変わってきたのは。今はその準備を始めています。
中原 年齢と経験を重ねるうちに、視点が変わってきたんですね。僕が現役のときは「1年でも長く生き延びてやろう」と思ってたので、現役のうちから、後々のことを考えているのはすごいと思います。僕はコーチになった今、その役割を理解し始め、やりがいを感じています。向いてるかどうかは分からないけど、手探りながら、いい意味で楽しんでます。自分が思い描いている通りに選手が動いてくれると、すごく楽しいんですよ。将来、京谷さんが指導者としてチームに携わったとき、選手がイメージ通りの動きをしてくれたら、コーチの方が面白くなるかもしれませんよ。
京谷 指導者としても、チームにかかわりたいとは思っています。でもその前に、現役として日本のパラリンピックでの最高順位、7位以上の成績を残すことが目標です。そして次の世代には、自分が残したものを継承してもらって、メダル獲得まで到達して欲しい。そうなれば、自分が足跡をしるした意味があると思うから。アテネのときは、自分個人としての達成感はあったけど、チームとしてやり残したものがあった。だから北京では、日本のために力を尽くしたいと思っています。
中原 大きな目標を持って、前に進んでいますね。【第1回終了】
◆京谷和幸(きょうや・かずゆき)
1971年(昭和46年)8月13日、北海道室蘭市生まれ。室蘭大谷高を経て古河電工入り。ジェフ市原(現千葉)のMFとして、Jリーグ1期生。U−20日本代表、U−23日本代表候補。Jリーグ開幕半年後に交通事故に遭い、半身不随に。車いすバスケに出会い、日本代表としてシドニー、アテネのパラリンピックに出場。現在は日本代表の副主将。陽子夫人との共著「車椅子のJリーガー」では、事故11日後に病室のベッドの上で入籍した話など、事故を乗り越えた軌跡が書かれている。家族は、夫人と1男1女。O型。
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◆チュー中原(本名・中原雄=なかはら・たけし)
1966年11月10日生まれ。福岡県出身。専大ヘッドコーチ。89年に専大からいすゞ自動車入り。主将として4連覇を達成した後、99年に退社後、母校専大アシスタントコーチに就任、04年4月からヘッドコーチを務める。大学史上初の全日本大学選手権、関東リーグ戦を制すなど指導力に定評があり、テレビ解説でも活躍中。愛称は「チュー」。
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