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2005/9/12

バスケットボールを見ながら死にたい
| シグナス・ドリームステージ・エンターテイメント社長・澤地俊一氏:第2回 |
バスケットボールを愛する若者たちを応援するシグナス・ドリームステージ・エンターテイメントの澤地俊一社長(51)は昨季、田臥勇太選手が所属したロングビーチ・ジャムの応援団でもあります。ジャムはこのたび、NBA傘下のNBDLに入り、NBA選手の育成、強化を担うことになりました。スター選手の卵が集まる夢多きリーグを盛り上げ、近い将来、そこから日本人選手が誕生することを期待しています。【構成:飯田みさ代】
澤地 死ぬときは、バスケットを見ながら死にたい、っていうのが昔からの夢だなあ。
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| 身振り手振りを交えながら、バスケットについて語る澤地氏 |
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中原 僕はですね、「ああ、バスケットをしたい!」と思いながら、死にたいですね。
澤地 僕は、それまでにNBAのマイナーオーナーにでもなっていて、NBAのフロアシートにちょこんと座って、ガクッ…、っていきたいなあ。
中原 そんなん、ほかの観客に迷惑ですよ。コート脇で死なれていたら。ハハハ。
澤地 僕はシーズン中いつも、レトロな時代のNBAのチームワッペンが全部ついている革張りのジャンパーを着て見てるから、かなり目立つよ。
中原 あれ、澤地さんが持ってる唯一のNBAグッズでしょ? あれはオークションに出したらエライ高いですよ。目立つように、仕込んでるわけですね。
応援するジャムがNBDLの傘下に
澤地 今季も、ジャムの試合はそれを着て見るよ。僕は、テツさんが経営するジャムの応援団。テツさんは、ジャムを日本人に限らずNBAに挑戦したい人への登竜門と位置づけて強いチームにしたし、チーム経営も成功させて、随分とNBAの選手も輩出した。田臥勇太君もそこで育ったわけだからね。今季は米独立リーグのABAを脱退して、NBA傘下のマイナーリーグ、NBDLに参入。今年度に新加入の資格をとれたのは、西海岸で唯一だったそうだよ。西海岸に1チームだけでは試合運営はできないので、実際の参戦は2006年シーズンからになるみたいだけどね。
中原 NBDLは01年からスタートした傘下の教育リーグのようなものですからね。これまでとは、チームの格も違いますよね。
澤地 昨季まで、NBAのチーム登録選手は15人(12人がベンチ入り、残り3人は故障者リストとして私服で帯同)だったけど、今季から14人ロースターになったよね。そしてNBDLのアフィリエイトの仕組みが始まる2006年からは、さらに3人プラスされるでしょ。その3人は、マイナーリーグで経験を積んで来い! ってことで、NBDLのチームに割り振られる仕組みになるようだね。
中原 つまり、ジャムには3人のNBA選手が入るってわけですね。
澤地 ところが、ジャムは西海岸で唯一のチームだから、同じロスを本拠とするレーカーズとクリッパーズの両方から、計6人を預かることになるらしい。
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| ジャムのNBAアンバサダーについて語る2人 |
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中原 なるほど。
澤地 ジャムとしての難点は、対戦チームが近くにいないことなんだ。NBAも本当は、西海岸に3チームぐらい欲しかったというんだけど、実際に約3億円の保証金を出せるチームがほかになかった。ジャムが毎回、東海岸まで遠征するのは経費が無駄。ということで、今季は「NBAの親善大使」となって、中国やヨーロッパを転戦することになったんだ。
中原 NBAのアンバサダーですか。
澤地 だいたい2カ月ぐらい中国に滞在し、そこのナショナルチームやクラブチームと対戦しながら強化に務める計画らしい。NBAの世界戦略とも、ちょうどいい形でリンクするんじゃないかな。
中原 逆に、グローバルな構想になったんじゃないですかね。NBAの傘下になったわけだから、発想もやることも、でっかくなった。
澤地 そうそう。その中でいい選手を育てて、NBAへ送り込むという楽しみもあるしね。またアジアを回るとなると、将来的に、日本が1つのホームタウンになるという可能性だってある。
中原 そうなれば、楽しみが増えますよね。昨季は、田臥君をはじめ日本人選手が所属しましたけど、今季は日本人が在籍する可能性はあるんですか?
澤地 そこはどうだろう? 正直、僕は分からない。でも、ジャムが契約する形であれば、日本人が1人か2人、入ることもあるでしょう。将来のNBAスターと一緒にできるんだから、相当、力はつくと思うよ。まあ、僕の当面の楽しみは、ジャムのヨーロッパ遠征について行って、エーゲ海あたりでゆったりすることなんだけど。
中原 いやー、いいですねえ。エーゲ海。
異国で思う年上女房
澤地 アメリカに住むようになって、時々、嫁さんのことを思うねん。1歳年上なんだけどね。結婚してからずっと働いてなかったのに、今はヘルパーの仕事をしている。早く稼いで、楽にしてあげたいってね。でも嫁さんは「私じゃないとダメなのよ」と天使みたいなことを言って、ヘルパーを天職のように思ってるみたいなんだけどね。
中原 そういう人じゃないと、澤地さんとは一緒になりませんわ。
澤地 僕は昔から何もしないで有名で、片付けだってしたことない。これまでゼネコンのおっさんを相手にしてたから、ほとんど朝帰りやったし。嫁さんも豊田通商でバスケやってたんだけど、僕は寮生活で洗濯がいやだったから結婚したんや。
中原 そんなこと言ったら、怒られますよ。
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| バスケットボールの応援団長・澤地氏は対談中、笑顔が絶えなかった |
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澤地 僕が自宅の2階で、痛風を起こしたときは、この87キロの体をおぶって、狭い階段を下りてくれた。そんなことのできる唯一の女性ですね。僕の母が肺がんで死ぬまで半年間、家で療養していたんだけど、面倒見てたのはすべて嫁さん。1日だけ僕が背中をさすってあげた晩があったんだけど、その翌朝に母は亡くなっていた。そんなことで、嫁さんには「あんただけいい思いをしたんやな」って、散々言われました。まあ、彼女に対して愛情はあるのに、口に出しては言えない。
中原 ホームシックになってません?
澤地 いや、うちはB型家族ですから。好き勝手やって、離れて暮らす方がいいんです。
中原 大阪ディノニクスの理事として、bjリーグから下りたことをあらためて振り返るとどうですか?
澤地 大阪ディノニクスはNPO法人。bjリーグ入りするには、非営利団体はダメということで、僕がシグナス・ドリームステージ・エンターテイメントという会社を作って参加表明を出したんです。でも、諮問委員会で財源の問題が引っかかって…結局、双方の意見が合わなかったんですね。
中原 僕はディノがものすごく斬新な考えをもってやっているので、残念な気がしましたね。アメリカでは、クラブチームが独立リーグに参加するのは普通でもあるので。
澤地 bjのモデルは新潟で、新潟が成功したというけれど、そのやり方が都会で成功するわけじゃない。それぞれの地域性を考えてやっていかないといけない、と主張して結局、意見が合わなかった。
中原 お互い、いいものを作ろうとすると、意見が対立することがありますよね。でも、本気だからこそぶつかり合うんだと思います。それぞれが切磋琢磨(せっさたくま)して、成功して欲しいと思っています。
澤地 何かいつかドカンとやりたいね。今、アメリカで勉強しているのも、その準備のためでもあるんだから。【第2回終了】
◆澤地俊一(さわち・しゅんいち)
1954年2月27日、東京生まれ。甲南大卒業後、豊田通商でもバスケットボールを続ける。ポジションはSG。30歳から家業を継ぐが、昨年、一念発起して渡米した。現在は、シグナス・ドリームステージ・エンターテイメント社の社長。NPO法人大阪ディノニクスの理事。家族は容子夫人(52)と2男。容子夫人も豊田通商のバスケ部出身。22歳の長男の名前は健、17歳の二男は康(こう)で「2人合わせて“健康”」。米国では、康さんと2人暮らし。魚座、B型。足のサイズは28.5センチ。
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◆チュー中原(本名・中原雄=なかはら・たけし)
1966年11月10日生まれ。福岡県出身。専大ヘッドコーチ。89年に専大からいすゞ自動車入り。主将として4連覇を達成した後、99年に退社後、母校専大アシスタントコーチに就任、04年4月からヘッドコーチを務める。大学史上初の全日本大学選手権、関東リーグ戦を制すなど指導力に定評があり、テレビ解説でも活躍中。愛称は「チュー」。
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