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2005/11/07

隆盛前の分裂は、必要プロセス
「プロ野球界だって、分裂の歴史があったんだ」。元プロ野球選手で、スポーツキャスターの青島健太氏(47)は、bjリーグとJABBA(日本バスケットボール協会)の対立の構図を見て、客観的に指摘します。さらに、隆盛の前に抗争や対立があるのは、通らざるを得ないプロセスと評しました。歴史は繰り返すのか−−中原雄氏(38)も青島氏の見解に納得の表情でした。【構成:飯田みさ代】
中原 野球って、日本の文化になってると思うんですよ。例えば、公園で父親が子供に「キャッチボールしよう」とか「バット振ってみろ」とか、普通に言うじゃないですか。生活の一部になってるわけですよ。でも「お前、ここからシュート打ってみろ」とは言わないでしょ。だいたい、バスケットのリングがないですからね。
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| プロ野球の歴史を例に、バスケットボール界の現状を見ている青島氏 |
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青島 そうだね。リングは最低でも、すべての小学校に取り付けないとね。また、その辺のちょっとした公園にもだね。まあ、プロリーグができたら可能だよ。プロ収益金をそういうところに回していけばいいんだから。
中原 ホント、そういう意味でもプロの意味はありますよ。
青島 世の中に、バスケット好きはたくさんいるのよ。野球、サッカーだけじゃない。季節的にもバッティングしないじゃない? だから、bjリーグが盛り上がる可能性はあるし、協会も刺激して「みんなでやれば、もっと面白くなる」というところに持っていかないとね。
中原 一本化は、bjの盛り上がりが大前提ですから。
プロ野球も対立の時代があった
青島 古い話をすると、プロ野球でも対立、分裂の時代はあったんだよ。昭和24年(1949年)にセ・リーグとパ・リーグに分かれたんだけど、その背景は決して美しいものじゃなかった。「自分たちが主たるリーグだ」という勢力争いで生まれたものなんだ。
中原 ええーええー、野球にもそんなことがあったんですか。
青島 戦後の時代、セもパも強烈なライバル関係にあって、交流も阻んで相容れない状況だったんだよ。どっちかが人気リーグになるためにどのチームを組み込むか、綱引きがたくさんあったんだ。鉄道系、新聞系のグループで対立したかと思えば、その中で寝返ったり、出し抜いたり、けんか状態のときがあったんだね。
中原 広い意味で言えば、今のバスケット界に似てますね。
青島 当事者たちは、ものすごく大変な思いをしてると思うんだけど、一歩引いて見てみると、プロ野球も隆盛の時代の前には、そのようないざこざがあったことが見えてくる。日本シリーズだって、2リーグに分かれた結果の産物だからね。
中原 じゃあ、プラス思考で考えてもいいわけですね。
青島 僕はそう思うよ。お互いが「あいつらに負けるか」と競い合うことで、全体が底上げされ、やがて「いがみあってても仕方ない。一緒にやったほうがいいぞ」となるかもしれない。そもそも、ライバル関係が存在するのは、「うまくいったら魅力的だ」というマーケットが、そこにあるからでしょ。
中原 そうですね。
青島 野球をやってきた僕の立場からクールに言わせてもらうならば、全国的な人気リーグができる前には必ず、もうけ話の主導権争いがある。競合相手が現れる。それは当然、通らなければならないプロセスなんだと思う。バスケットは今、その状態にあるけど、ここをこらえてお互いに頑張れば、いつかは一緒にやれるときが来るんじゃないか、ということだね。
中原 なるほど! 勉強になりますね。歴史は繰り返す、か…。ならば、けんかするなら思い切りしたほうがいいですよね。「負けるか、こら」っていう気持ちをもって。
青島 そのうち、bjが引き抜いたとか、JBLに乗り移ったという話が出てきても、おかしくない。そうやって地殻変動を起こしながら、リーグは大きくなっていくもんなんじゃないかな。
強いチームには荒くれ者が必要
中原 話は変わりますけど、チームの中には必ず、ここ一番で頼りになるやつって必要ですよね。
青島 絶対、必要や。
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| 「荒くれ者が必要」と熱弁する中原氏 |
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中原 大事な場面で、仲間に「お前、何びびっとんかい」「失敗恐れんな」と言って、なりふりかまわず突き進んでいける荒くれ者が。特に、今年のチームを指導するようになって、感じていることなんです。
青島 今年は、そういう感じなんだ。
中原 素質、才能的には優れているんです。中には将来、NBAも夢じゃないやつもいるんですよ。でもね、ちょっと優等生タイプが多いかな。
青島 去年のメンバーで、荒くれたやつっていたの?
中原 ジェイですね。bjリーグの大阪エヴェッサにドラフト1位で指名された波多野和也ですけど、あれはすごかった。闘争心がものすごくて、1試合に20本以上もリバウンド獲っちゃうんですからね。まさに、デニス・ロッドマンですよ。母親がブラジル人でブラジル生まれ。小学3年生で日本に来たんです。ハートもものすごく強いけど、外見も格好良い。顔もこんなに小さくて、手足がこんなに長くて、スター性抜群ですね。
青島 へえぇ、そんな有望な選手がいるんだ。
中原 でも個性が強すぎて、大学のころはボロカス言われてました。3年のリーグ戦で髪型をモヒカンにしたら、関係各位から非難ごうごう。でも僕は、練習を一生懸命やってる日ごろの生活態度も分かっていたから、何も言わなかった。試合で泥臭いこともやりますしね。彼がそうしたいと思ったことだし、髪型1つで捕まるわけじゃないと思ったので。その後ジェイは、インカレになったら丸刈りですよ。「髪型を変えた理由は何だ」ってメディアからも質問攻めにあってました。いわば、プロ向きの選手なんでしょう。
青島 アマチュアとプロを両方経験したから言うわけじゃないけど、やっぱり学生やアマは、スポーツマンシップのようなものを求められるよね。ただ、プロというのは、どれだけ自分が世間に認知されて、見てもらえる存在になるかどうかが、大切になる。
中原 まさしく、それですよ。
青島 そういう存在になれるかどうかは、すごく強い個性とか、強い自分が必要になる。奇抜なこととか、今までなかったことをやれば、メディアにたたかれることもあるけど、それを貫くというか、ね。
中原 客はそれが見たいんだから。
青島 つまり、チームに必要な選手は「1人で勝負する選手」なんだよ。みんなが敵になっても自分のスタイルを貫ける人間。そういう人間が大事な場面で大仕事をする。逆に言えば、強いチームにはそういう選手がいるんだよね。
中原 確かに。
青島 ここで打てなかったら負けるといったような大事な場面に遭遇すると、重圧で、軸足がぶれそうになるぐらいの緊張に襲われ、心が揺らぐんだよね。でも、それに負けない自分があるか、その中で必死に自分を見失わないようにできるか、といったことが試される。だから、あらゆるものを自分の活力、エネルギーにできる人間の方が、ビッグなことをする。
中原 時には勝つために、チームの和を乱しても行かなきゃならないときもあると思うんです。コーチの枠に収まりきれないものを持ってる選手じゃないと。
青島 コーチの力量を超えないと、か。
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| 熱弁トークを繰り広げる青島、中原両氏 |
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プロや個人競技のにおいがした
中原 健太さんがアマチュアからプロになったとき、「オレはプロなんだから」という意識は持ちましたか?
青島 そういうものは感じたよね。でも、表現したり、打ち出したりする前に終わっちゃったね。
中原 ヤクルトで5年間でしたよね。
青島 プロに行く前は「チームを盛り上げよう」と勇んでいたけど、実際のプロは、チーム競技というより、個人競技のにおいがした。
中原 まあ、周りはすべてライバルですからね。
青島 プロの世界では当たり前のだけど、ことごとく待遇が区別されていたね。例えば、マッサージルームは試合に出ている順に利用できる雰囲気になっている。若松さん、杉浦さん、八重樫さんたちがやった後で、空いてそうだと思ったら、ちょっと行ってやってもらうぐらい。年下でも試合に出ていれば、ホテルで1室もらえるけど、僕ら控えは2人でツイン利用。新幹線の移動はグリーン車だけど、バッティングピッチャーといったスタッフ系の方は、年上でも一般車両だったり。それで悔しかったら、一流選手になれ、ということ。まあ、アマチュアは控えでも、レギュラーと給料は一緒だし、そういう差をつけないからね。
中原 高待遇を望むなら、レギュラーになればいいってこと。はい上がって来いということですね。
青島 かつての名監督と言われた南海ホークスの鶴岡一人さんは「グラウンドには銭が落ちている」と名言をはいたけど、プロはそれだけ言えばいいんだよな。努力していたかもしれないけど、結果が出てなければ、それで終わり。練習してなくても使えれば、来年も契約ってことになる。
中原 アマチュアは育てることがメーンなんで、頑張ってるところを見てあげたいとか、心情的な部分も重視しています。
青島 プロは自分のことしか考えない。「あいつ、育ってきたな」とか、周りに目が向くようになったら、消えていく選手の年代に入ったってこと。若いときはそんなこと考えないからね。だって、チームが負けたって、自分が頑張れば、給料上がるんだから。まあ、チームが優勝したら、多少の上乗せはあるだろうけど。
中原 厳しい世界を勝ち抜いたからこそ、スター選手は輝いてるんでしょう。バスケ界も厳しく、たくましく、強くならないといけませんね。
◆青島健太(あおしま・けんた)
1958年(昭和33年)4月7日、新潟市生まれ。埼玉・春日部高−慶大−東芝を経て、85年にヤクルト・スワローズに入団。慶大時代は1シーズン6本塁打22打点の新記録をマーク。東芝時代は83年社会人野球の都市対抗で優勝し、全日本にも2度選出された。ヤクルトでは、プロ野球史上20人目の公式戦初打席本塁打を放った。89年プロ生活を5年間で引退、翌年オーストラリアにわたり、日本語教師を務めた。91年帰国後、スポーツライターとして執筆活動を開始し、テレビ、ラジオでもスポーツキャスターとしておなじみの顔となった。183センチ、血液型は0。
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◆チュー中原(本名・中原雄=なかはら・たけし)
1966年11月10日生まれ。福岡県出身。専大ヘッドコーチ。89年に専大からいすゞ自動車入り。主将として4連覇を達成した後、99年に退社後、母校専大アシスタントコーチに就任、04年4月からヘッドコーチを務める。大学史上初の全日本大学選手権、関東リーグ戦を制すなど指導力に定評があり、テレビ解説でも活躍中。愛称は「チュー」。
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