「引退するにはもったいない」 野村復活!!
柔道の野村忠宏(27=ミキハウス)が前人未到の五輪3大会連続金メダル獲得に向け、動き出す。講道館杯日本体重別選手権(23、24日、警視庁武道館)で2年2カ月ぶりの実戦に臨む。00年シドニー五輪後は第一線を離れ、昨年8月から米国へ語学留学していた。現役復帰を決意し、9月から本格的に練習を再開したばかりだ。ブランクは克服できるのか。来年の世界選手権(大阪)、04年アテネ五輪を視野に入れる野村の本心を聞いた。
柔道に飢えていた。野村は9月から母校天理大で本格的な練習を再開した。恩師でもある全柔連の正木嘉美男子強化コーチから「技の切れも、動きも完全に戻ってきた」と太鼓判を押されるほど状態はいい。
野村 約2年間、柔道を離れたマイナスの中で自分がどれだけできるか。「何とかなるやろ」という根拠のない自信はある。
00年シドニー五輪で2大会連続金メダルを獲得。その3年前の世界選手権も制していた。世界の頂点に立った、まさに「全盛期」に柔道から距離を置いた。シドニー五輪後、第一線を離れた。疲れ切っていた。
野村 これでいいかなという満足感以上に精神的に…。勝って当たり前という周囲の期待はもちろん、自分でも常勝を義務づけていた。いつもギリギリの状態で柔道をしていた。
01年5月に葉子夫人(28)と結婚。同8月から米サンフランシスコへ語学留学した。カリフォルニア州立大系の語学学校で週5日、1日4〜5時間の授業を受けた。
野村 柔道? 完全に忘れました。ビデオも見なかった。英語の試験は大変だったけど楽しかった。でも、だんだん、このまま楽しいままでいいのかと思うようになってきた。
柔道との「再会」は偶然だった。たまたま現地の道場で子供たちと柔道をする機会があった。頂点を目指す戦いではない。初心者に柔道を教えるうち、祖父の道場で柔道を始めた5歳のころの新鮮な気持ちが生まれていたという。
野村 自分の技、体力の限界で一線を離れたわけではなかった。まだ引退するにはもったいない(笑い)。今、自信を持って何がしたいかと思ったら自分が柔道をすることだった。
2年2カ月のブランク。試合勘が戻るかどうかもカギを握る。だが国内外に急成長を遂げた選手はいない。まだ十分に戦える。復帰を決意するにあたり、再び頂点を狙えるとの現実的判断があったのも事実だ。
野村 同じ年の徳野(神奈川県警)ら代表争いのメンバーは以前と変わってない。軽量級は国内の戦いの方がしんどい。国内で優勝できれば、外国人と戦っても負ける気がしない。
今年1月から米国でランニングを開始した。11月の講道館杯復帰を視野に予定も2カ月早め、6月に帰国。本格練習を開始した9月だった。ちょうど大相撲で横綱貴乃花の復活が注目されていた。復帰への不安と戦う中、感じるものもあった。
野村 試合が楽しみになったら柔道を辞めようと思っているので、正直怖さはある。試合2日前ぐらいは多分眠れなくなると思う。そんな時、進退をかけた重圧の中で結果を出した横綱のことを思うと勇気がわいてくる。
新生野村は勝利はもちろん、内容にもこだわっていく。アトランタ、シドニー五輪では5戦中4試合が1本勝ちだったが、だいご味である1本勝ちをさらに追求するつもりだ。
野村 全部1本勝ちを狙う。スカッとする1本勝ちなら柔道を知らない人でも楽しめるでしょう。講道館杯では優勝はもちろん、世界のトップに立てる自信を得たい。
来年の世界選手権、04年アテネ五輪へ、今回の復帰戦はその第1歩となる。
(聞き手・田口潤)
野村忠宏(のむら・ただひろ)
◆生まれ 1974年(昭和49年)12月10日、奈良県広陵町生まれ。
◆サイズ 164センチ、60キロ。
◆経歴 天理中−天理高−天理大−奈良教育大大学院−ミキハウス。
◆柔道一家 父基次さん(58)は元天理高監督。叔父豊和さんは72年ミュンヘン五輪金メダリスト。
◆タイトル 96年アトランタ、00年シドニー五輪優勝。97年世界選手権優勝。96、97、00年全日本体重別選手権優勝。95年ドイツ国際、00年フランス国際優勝。
◆得意技 右背負い投げ、左釣り込み足。
◆同点なら延長戦
講道館杯日本体重別選手権では、同点の場合に延長戦で勝負を決める「ゴールデンスコア方式」を試験的に導入する。来年9月の世界選手権、04年アテネ五輪でも採用の見通し。どちらかがポイントを奪った時点で試合が終了するが、5分が経過し、なお同点の場合は判定となる。
長期ブランクから復帰した柔道選手
古賀稔彦は92年バルセロナ五輪で金メダルを獲得後に休養したが、96年アトランタ五輪では銀メダルを獲得した。その後、一時引退を決意も98年11月の講道館杯で2年4カ月ぶりに復帰した。88年ソウル五輪からの4大会連続出場を目指したが、00年4月の全日本選抜体重別でシドニー五輪の代表から漏れ、引退した。女子では楢崎教子が銅メダルを獲得したアトランタ五輪翌年の97年に結婚。一時は主婦業に専念したが、00年シドニー五輪では銀メダルを獲得した。
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