地獄を見た“怪物”川岸「優勝しかない」

尾崎将司らジャンボ軍団と打ち込む川岸 |
13年前の90年。ゴルフ界に新風を吹き込んだ男がいた。川岸良兼(ミズノ)。「怪物」と呼ばれた。だが道具の進化に対応できずに伸び悩んだ。一時は「引退」も考えた。昨季は年間獲得賞金168万4566円まで落ち込んだ。ツアー予選会を勝ち抜き、再び今季から表舞台に登場する36歳は今、はい上がるきっかけをつかみ、尾崎将司(56)率いる「ジャンボ軍団」の一員として沖縄でキャンプをスタートさせた。開幕戦(4月3〜6日)東建ホームメイト杯での優勝を目指し、走り始めた。
地獄を見た川岸が立ち上がろうとしている。「昨年は自分を見つめ直した1年でした。今後の方針も固まった。11年間、試合に追われできなかったことができましたから」。
日大から89年にプロテストに合格。翌90年に3勝を挙げた。けた外れの350ヤードドライブ。尾崎将に「怪物」と言わしめた。「あのころ、自分が『特別』と思い、ゴルフをなめていた」と振り返る。
転落への第1歩は唐突だった。91年5月米ツアー、アトランタクラシック2日目の10番。「突然、バックスイングができなくなったんです。体が固まって」。以後、迷いながらのスイングが続いた。
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川岸の年度別成績
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| 年度 |
獲得賞金(円) |
順位 |
優勝 |
| 89 |
416万6800 |
114 |
− |
| 90 |
8735万0200 |
3 |
3勝 |
| 91 |
4165万9492 |
24 |
1勝 |
| 92 |
2351万2059 |
48 |
− |
| 93 |
4968万0518 |
19 |
− |
| 94 |
2684万3813 |
47 |
− |
| 95 |
4646万9212 |
28 |
1勝 |
| 96 |
3152万9886 |
32 |
− |
| 97 |
2218万3454 |
54 |
− |
| 98 |
3205万6237 |
37 |
− |
| 99 |
7282万9630 |
10 |
1勝 |
| 00 |
2367万9570 |
50 |
− |
| 01 |
554万2914 |
109 |
− |
| 02 |
168万4566 |
150 |
− |
※順位は賞金ランク 太字はシード権
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道具の進化にも乗り遅れた。パーモンにこだわった。「パーシモンでは、クラブヘッドのフェースを開きかぶせ打つ、僕の技術が生きた」。がシンプルなスイングが求められるメタルウッドの登場で怪物のキバは抜かれた。
素材の柿の木が不足し95年からメタルを持ったが、打ち方は変えなかった。「メタルでそれをやるとボールは曲がる。でも自分の打ち方を失いたくなかった」。
99年には4年ぶりに優勝も、道具はさらにシンプルなスイングが求められるチタンへと進化した。01年賞金ランク109位。シード権を失い、02年ツアー出場権をかけたファイナルQTにも落選。「生きていても仕方ない」とさえ口にするようになっていた。
90年に8735万円あった獲得賞金は02年は168万円にまで落ち込んだ。小学生の娘2人を抱え、アマのコンペの「参加料」などで生活費を補てんした。コーチもつけず、ボールを打った。「焦りはなかった。逆に(悩んで)試合に出るより、練習がじっくりできたことで前向きになれた」と言う。そして10月下旬、ふと気付いた。「強く振って飛ばす時代じゃない。道具に合わせバランス良く振ればいい。フェースはフラットのまま打てばいい」。方向は安定、飛距離も戻り自信もわいた。昨年12月ファイナルQTでは初日207位も最終日6日目に12位と巻き返し、ツアー出場権をつかんだ。
1月からは尾崎将のもと練習を積む。結果を残す自信も戻った。「最初が肝心。僕の第2のデビュー戦ですから」と4月の開幕戦を目指し「優勝しかない。僕にとって2位以下は同じ」と言い切る目には力がある。生まれ変わった36歳は今季にすべてをかける。【柳田通斉】
最後まで気にかけ恩師逝く
川岸の復活を祈りつつ、この世を去った人がいる。日大ゴルフ部時代の恩師、竹田昭夫監督(享年74)だ。富美子夫人は言う。「主人は倒れる直前まで『川岸が気になる』と話してました」。
丸山、片山、倉本、湯原ら130人以上のプロゴルファーを育てた同監督はスケールの大きい川岸のゴルフにほれ込み「才能なら、丸山よりも上」とみていたという。低迷する川岸が悩み、3年前に「プロゴルファーをやめたい」と打ち明けても「何を言っている。逃げるんじゃない」と再びクラブを握らせた。
昨年9月4日、竹田監督の葬儀で川岸は泣いた。「護国寺の門を出たところの木の陰で、大きな体を振るわせ大粒の涙を流しながら、主人を見送ってくれました。よほど今の自分が悔しかったのでしょう」(富美子夫人)。
後日、夫人は電話で「そんなに悔しいのなら、勝ってほしい」と言い、竹田監督の遺言「この正念場を抜けるかどうかで、お前のゴルフ人生は決まる。もう1度、死んだつもりでやってみろ。今からでも遅くない」を伝えた。
「僕の親分」と慕う恩師の言葉は川岸の胸に響いた。「早く勝って監督と奥さんのもとに報告に行きたい」。富美子夫人も、その日を心待ちにしている。
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◆91年にはカズ、野茂とCM
川岸は91年、サッカーの三浦知良(読売クラブ)、プロ野球の野茂英雄(近鉄=いずれも当時の所属)とともにサントリーの「ビア吟生(ぎんじょう)殻やぶり」というビールのCMに登場した。ゴルフ界の枠を超え、プロスポーツ界を代表する若手選手として注目されていた証明でもあった。しかし、その後、ほかの2人は大活躍。大きく差をつけられた。
◆川岸良兼(かわぎし・りょうけん)
1966年(昭和41年)12月6日、石川県生まれ。父親の勧めで10歳からゴルフを始め、日大に進学。日本アマ、日本学生などに優勝し、89年プロテスト合格。1年目の90年に静岡オープン、関東オープン、ラーク杯を制し、いきなりシーズン3勝。青木、尾崎将、中嶋の実力派トップ3に並び「AONK」と呼ばれた。ツアー通算6勝。趣味は将棋、読書。家族は麻子夫人と2女。180センチ、80キロ。
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